右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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利口ぶるバカ
常識的な人間関係や家族関係を保ち、普通に仕事したり家庭を守ったりしている常識人に、バカはいないと思っている。日々の堅実な暮らしぶりから常識を身につけ、状況に応じて行動しているかぎり、そういう多数の人たちというのはバカではない、むしろ良識ある人々だと思う。

それよりも、むしろ文化人や知識人、学者やニュースキャスターのようなタイプの人間のほうがバカである。彼らのことを私は「利口ぶるバカ」と呼びたい。
彼らは何かというと紋切り型のきれいごとや一般的テーゼみたいなことを言う。彼らには「徳の過剰は不徳に転ず」と言ってやりたい。

道徳でも何でもそうだが、「状況」の設定なしに理想の文句をたれるのはバランスを欠いた偏った考え方にすぎない。福沢諭吉の言うところの、「私徳」や「私智」である。

そういう屁理屈をまきちらかしているのが、知識人たちだろう。そういう人たちとはかかわりたくない。

本当に大切なのは、これも諭吉の言説を借りると、「公徳」および「公智」である、ということは先日書いた。「公徳」や「公智」は実生活の中から常識として徐々に身につけられてゆくものが多い。

ちなみに諭吉の考え方というのは、戦後日本にあっては、丸山真男のような進歩主義的な思想家らによってかなり都合良く引用され、ゆがめられた形で誤解されて広まっているようだ。

実際の彼はかなりのナショナリストであり、また決して自由・平等を金科玉条として掲げるような思想家でもなければ、西洋かぶれの実学論者などでもないのである。

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この『文明論之概略』の中で、「文明開化したとは言えない4つの例」みたいなものがあげられており、その一つがどうも現代の日本ではないかと思る。

「自由も同権もそれなりに実現されているが公の利益も自国のなんたるかも人間交際の味も知られていないような社会、これを果たして文明開化した社会と言えるものか?」いうような意味のことが書かれた部分がある。これは、まさに今の日本の状態にぴったりとあてはまっている。

現代の日本には「公(おおやけ)」という概念が欠落している。ひたすら私欲の追求ばかりである。世論も所詮は自分の事しか考えていないというレベルのものばかり。そして、自国のなんたるかも考えようとしていない。

それからここが諭吉の考え方の中でも見逃されがちな大きなポイントのようなのだが、「人間交際の味も知られていない」ということだ。

日本人は昔から「人間交際」ということにおいて劣っているとは言わないまでも、問題が多かった。

その理由が以下の引用部分で説明されていまる。

「この徳義にも智恵にも、各二様の別ありて、第一、貞実、潔白、謙遜、律儀等の如き、一心の内に属するものを私徳といい、第二、廉恥、公平、正中、勇強等の如き、外物に接して人間の交際上に見わるる所の働きを公徳と名く。また第三に、物の理を究めてこれに応ずるの働きを私智と名け、第四に、人事の軽重短小を分別し、軽小を後にして重大を先にし、その時節と場所とを察するの働きを公智という」(文明論之概略/ 福沢諭吉/ 岩波文庫)

するに人間交際のためになる「公徳」が「私徳」よりも、そして「公智」が「私智」よりも大切であると言っています。

人間交際能力が格段に劣っている私のような人間にとっても、とても勉強になる。

ここに書いてあるのはどういうことか。

まず、「徳義」を「私徳」と「公徳」の二つに分けている。

そして、「私徳」の例として以下の4つをあげている。

貞実、潔白、謙遜、律儀等の如き、一心の内に属するもの=「私徳」

 貞実~誠実なこと 潔白~いさぎよく心がけがれていないこと
 謙遜~控えめな態度でふるまう、へりくだること
 律儀~義理がたく実直であること

これらの徳は、自分の内面の問題であって、行き過ぎるとむしろ人間交際にとってマイナスとなりかねない、自己満足の徳である、ということだろう。そういうタイプの人間を諭吉は「腐儒者」と呼んで嫌っている。

次に、「公徳」つまり以下の4つにあらわされるような徳こそ大切だとしている。

廉恥、公平、正中、勇強等の如き、外物に接して人間の交際上に見わるる所の働き「公徳」

 廉恥~恥を知る心のあること。
 公平~えこひいきしないこと。
 正中~不偏不党であること。
 勇強~?(辞書にのっていない)

このように、人間交際において重要となる「公徳」こそが大事な徳だと言っているわけである。


さらに、二つの「智恵」のうち「私智」とは

物の理を究めてこれに応ずるの働き


これはおそらく技術的な知識、理論から導かれる論理などそういったたぐいのものだろう。多少勝手に解釈すると、合理的なものの考え方のことだと思う。


そしてもう一つの「智恵」のうち「公智」とは

人事の軽重短小を分別し、軽小を後にして重大を先にし、その時節と場所とを察するの働き


これも、私流に多少勝手に解釈すると、合理的な理屈には相矛盾する複数のものが共存しうる場合が少なくない。

そのように複数の可能な合理的行動が存在するとして、それをそれぞれの状況に照らして見たとき、どうふるまいどう考えるのがもっとも適切か、その優先順位を決めていずれかを選別するための基準となる智恵ということだろうと思う。

これは、「経験的知識」、理屈から導かれるものではなく経験によって身につけられそこから判断されるもの、TPOに応じたふるまいのことだと思われる。

その他、丸山真男などいわゆる戦後の進歩的な知識人らによって、いかに諭吉がゆがめられて伝えられたか、実際の諭吉はむしろ保守主義者であり、ナショナリストでもあったわけだ。これについては、またいずれ詳しく取り上げたいとは思うが。

とりあえず一つだけ言うのならば、たとえば明治の開国の当時、外国の真似ばかりして日本人の大切な心をおきざりにしている人間を諭吉は「開化先生」「改革者流」「欧米の心酔者流」と言ってさんざんコケにしていることからもわかる通りである。

いずれにしろ、諭吉の言うところの、「私徳」や「私智」ばかりを、そして「技術的知識」や「合理性」に満ちた言説を吐き散らかしてきたのが、「利口ぶるバカ」たちである。

ちなみに私の周りには理系の人間が多く、彼らは「専門バカ」ではあっても「利口ぶるバカ」ではない。

・・・かと思っていたが・・・

実際には、気をつけなければいけないのは、良識ある常識人だと思っていた多数の人々が、突如として「利口ぶるバカ」になる瞬間があることである。

それは、テレビの見過ぎ、新聞や週刊誌の読み過ぎ、ワイドショーに感化されすぎなどの場合である。そのくせ、それらのメディアから表面的なことしか吸収できていないのだから始末に悪い。

さっきまで常識的なことを言っていた、普通のまともな人だと思っていた相手が、突如としてテレビに出ている「利口ぶるバカ」たちの遣い回されたフレーズを発することがある。

そういう時に私は、薄ら笑いをうかべて話題をそらすのが精一杯である。

常識や良識は、所属する集団(家庭・学校・会社・地域社会などの共同体)との安定的な関係を保ち、そしてそれらの集団が長期的に存続するために必要とされるものである。

そこには、人間相互の関係と、歴史とがある。共同体と歴史をないがしろにして解体に至らせる理屈こそが、利口ぶるバカの発する言葉なのである。彼らは社会の改革者を僭称する破壊者である。

利口ぶるバカどもの言説が日本人の良識・常識を根こそぎにしてきた。
コメント
この記事へのコメント
自分も家族や友人と様々な話題で議論をする機会がままありますが、その際には常識人として発言しているか、それとも「利口ぶるバカ」として発言しているか…常に自省していかねばならんと改めて思う次第です。
| URL | 2008/01/25 (金) 07:04:27 [編集]
まあ、こんなブログをやっている私こそ「利口ぶるバカ」なのではないかと言われるんではないかとちょっとドキドキですが・・・。

バカとはものを知らない人間のことではなく、「もしかして自分は間違っているかもしれない」と一切考えない人間のことだと私は思っています。
管理者 | URL | 2008/01/28 (月) 09:50:06 [編集]
インテリは専門特化の証ですからね。
こんばんは、はじめまして。
どうしても、今のような高度に研究や技術が特化せざるをえない社会では、全てを万能に出来ないないくらい各種分野の研究が広く細切れになり、かつ深くなった状況では、『職業としての学問』でM.ウェーバー氏が言ってたように、ある意味、専門馬鹿じゃないと他人とは違う、新知見の研究とは成り得ないとも言えそうですし、総合化やその副作用を予見するのも、困難を極めるじゃないでしょうか?
ところで、僕はCMの(NHKの大リーグ報道による衛星中継拡張路線や情報番組全般を含めた)『押し売り』主義や『集中豪雨』的な氾濫が鬱陶しく感じてます。
管理人さんは如何ですか?
三介 | URL | 2008/02/14 (木) 23:24:45 [編集]
三介さん、はじめまして、コメントありがとうございます。
>ところで、僕はCMの(NHKの大リーグ報道による衛星中継拡張路線や情報番組全般を含めた)『押し売り』主義や『集中豪雨』的な氾濫が鬱陶しく感じてます。

これはまったく同感ですねえ。私は毎朝、食事しながらNHKを見ているのですが、「なんちゃらアナウンサーのイチオシスポーツです」とか言ってスポーツのそれもメジャー情報が多すぎます。

朝から「公共放送でなぜメジャー?」とか思ってチャンネルをがちゃがちゃやるものの、みのもんたの顔を見ると不愉快になるのし、フジのバカアナにも腹が立ちますから困っています。まあ見なきゃ良いといえばそうなんですが、天気予報を見たいもので・・・。

「公共」という言葉の意味が単に「多数者の要求」という意味でしかないらば、遠からずこの国は滅ぶでしょうね。
管理人 | URL | 2008/02/15 (金) 09:05:30 [編集]
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