右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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文化摩擦としての朝青龍問題
異文化交流が、主にマスコミによく登場する「進歩的文化人」らによって奨励されて久しい。

ところで、マスコミの朝青龍に対する報道ぶりが異常に加熱している。

上に立つ人間を悪者にしてよってたかって批判したがるというマスコミの習性も関係していることと思うが、しかし、朝青龍問題の根本は、モンゴルの文化と日本の文化の摩擦である。

モンゴルでは上に立つと威張り散らして良いと社会的に認められているが、日本では逆に謙虚になり人々の手本となる行動をとらないと醜いとされる。

そういうことを朝青龍にちゃんと教育しなかった親方や相撲協会の責任が第一だが、今後、あらゆる文化交流がすすみ、異なった文化の混在がすすむと、それによって摩擦が増えることが予想される。

グローバリズムがすすむとその反動で民族主義が台頭してテロが増えることと似ている。

進歩的文化人はむやみやたらと異文化交流をあおり、それを単純に素晴らしいこととしか言わない。そしてその結果として、このような摩擦がおこっても、面白おかしく朝青龍を非難してすましている。

異文化交流によって文化摩擦がおこった場合、少数側というか叩かれる側はたいてい「自分たちは差別されている」と主張して弱者の側に立つことで、道徳的な正義をふりかざす。

中身をよく見ずに、安易に「弱者」に見方するふりの自分に酔いしれるタイプの偽善者が日本人には多いので、「被害者」であることを強調するのが一番有効なやりかたである。

ところが、そうした偽善者の典型である進歩的文化人らこそが、無邪気に朝青龍をバッシングして差別している。

朝青龍は自分を差別されているとか被害者だなどとは言っていない。だから気づかないのだろうか。日本ではそう言うのが一番有利なやりかたのはずだが、そんな卑怯な態度を取らないだけ、まだ朝青龍のほうが立派なのかもしれない。

というか、これも日本人の文化を理解していない証拠かもしれないし、また「弱者」の側にたつことが何より不名誉だと考えるモンゴル人の文化ゆえなのだろう。

朝青龍問題が文化摩擦であることに気づけば、朝青龍バッシングこそある種の差別、異文化と深く交流せざるを得ないという相撲界の構造が生んだ不幸な結果であると理解できるはずだ。

私とて、不当な差別に怒りを感じるくらいの人並みの神経は持っている。ただ、偽善者になることが何より嫌いなので、「善意」を示すに際しては人よりも慎重なだけなのである。

ともかく、問題は、この「差別」を生む構造に気づくかどうかである。異文化交流の弊害にも思いを至らせるべきではないか。

進歩的文化人らは、朝青龍問題が文化摩擦であるとまずきっちり認識して、やたらと異文化交流のたぐいを煽らないこと、異文化とは、接近しすぎず、かつ、離反しすぎない、つまり交流においては節度を保つことが重要だと気づくべきだ。

朝青龍問題に関して言えば、相撲界は外国人力士に頼らずに相撲を盛り上げてゆくやり方を見つけだして実行する以外に、このようなトラブルの解決方法および予防方法は無いのではないか。

それが見つからないというのならば、こうしたトラブルによって相撲が徐々に腐り果ててゆくしか無かろう。

いずれにしろ、相撲の未来は暗いものだろうし、神事としての相撲はすでに消滅したと言って良いだろう。

コメント
この記事へのコメント
ごぶさたしております
ぼちぼちいってください。
日村さんの記事がいちばん安心できますので(^o^)

相手の文化を理解するのと、自分の歴史・背景をふまえたうえで行動するのは別次元です。
それを混同するのが、グローバリストちうやからにつけこまれるのでしょう

今後ともよろしくおねがいします m(_ _)m
ハンディ12 | URL | 2008/01/17 (木) 22:22:27 [編集]
ごぶさたしております。

バリバリ続けてゆく自信はありませんが、日々感じたことを中心に、ボチボチ、週1ー2回くらいをめどに、細々とやってゆきたいと思っております。
管理人 | URL | 2008/01/19 (土) 14:10:42 [編集]
興味深い記事を
見つけました。
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【相撲見物の質向上か、興行中一流料亭に賑わい。   (1884/ 明治17年05月31日付 郵便報知)】

 昨年までは大相撲の興行中、柳橋の茶屋、船宿、待合等には別に繁昌を及ぼさず、相撲帰りの客にて賑わいしは、下等の割烹店位なりしに、今年は上等の割烹店その他、上等客の立ち入るべき船宿、待合、茶屋等に、相撲帰りの来客が多く聚まる故にや、柳橋辺は近来になき繁昌にて、随って芸妓の捌け方もほとんど一月の松の内という景況なり。
 これ相撲見物の人種が、以前と変わりて上物になりしゆえ、かくのごとき余響を生じたることなるべし。
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さて、124年を経た平成の御世。
国技館に出向きもせず、お手軽なテレビ桟敷で観戦する「人種」は“上物”なるや“下等”なるや?

それにしても「飲み食いの多寡」をセレブリティの判断基準にしている処は全く変わっていませんね、マスコミ人は。 

「品格」なんぞ間違っても講釈して欲しくない「人種」でありますな。

Ma.wakizasi | URL | 2008/01/20 (日) 14:45:51 [編集]
いやー、124年も昔から、ほんと変わっていませんね。

人類が進歩しているなど誤解も良いところ、そんな不完全な人間が頭で考えた理屈にもとづいて改革なんぞやったところで、やらないほうがマシになるのは当然でしょうね。
管理人 | URL | 2008/01/21 (月) 14:52:14 [編集]
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