右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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合理的な「改革」とは薄められたサヨク主義
いわゆる経済学者、特に、改革派と言われるようなタイプの人は、その政策や経済のしくみが「合理的かどうか」ということをよく口にする。

しかし、簡単に合理的と彼らは言うが、それは一体何のための合理性なのだろうか。はたまた、合理的と言いつつも、その前提についてとても深く考えているとは言えないような、そんな合理性に意味があるのだろうか?

もっと「合理的」ということを突き詰めて考えてみよう。
「合理的」という言葉はわりと便利なのでよく使われるが、実はこの言葉は注意が必要だと思う。

「合理的」だから「正しいか」と言うと、実はよく考えるとそれは別問題である。

合理的というのは正しさの必要条件ではあるが、十分条件ではない。

合理的だというとこだけでは、まだ正しいかどうかは決められない。相矛盾する合理的説明というのが同時に複数存在する場合もある。

合理的というのは屈にっているということだが、どういう理屈を前提として選ぶかによってさまざまな「合理的」さがあるということだ。

そして、どの理屈を前提とするかは、状況によって決まる。状況に応じて最適の理屈を選択する必要がある。

したがって、状況という前提を無視した理屈は空理空論、状況に即した理屈を選んでいない合理性というのは机上の空論でしかない。

経済などのように人々の生活に直接にかかわるようなもののばあい、その前提には人々の慣習やら文化やらいろいろな心情のようなものが前提となっているのでなければ、生きた政策とはならないに違いない。

慣習やら文化というものは、歴史から生じるものである。結局、改革派というのは、そうした歴史から生じた人々の生活に深く根をおろした心情的なるものを、封建的とか古くさいなどと言って、破壊したがるサヨクであるということをしっかり認識していただきたい。

改革が誰も幸せにしないことが明らかになりつつある現在においても、「それは改革が足りないからだ」という屁理屈をこねまわす、理屈屋、彼らは、一つに理屈を暴走させているという点で、二つ目には上で述べた通り歴史破壊者であるという点で、マルクス主義者とそっくりである。

薄められたサヨクである「改革派」を疑わなければ、保守とは言えないだろうと思う。

保守ならば、「革」などという言葉を使うのはやめよう。なぜ普通に「改善」とか「改良」とか言わずに「改革」と言ってよろこぶのか。それはやはり薄められたサヨクだからである。

実際のところ、「改革」は「改善」や「改良」ではない。ひかえめに言っても、改革は改善や改良とは限らないのである。

そこらあたりの言葉遣い、つまり、改善やら改良と言わずに最初から改革ということばを使うことろが、ようするに、理屈を暴走させて過去の歴史を破壊して、とりあえず何かを変えてしまえば気分がすっきりするという、たんなる破壊主義者の思想が見え隠れしているのである。

まず保守派は改革というサヨクの言葉遣いを放逐しよう!
コメント
この記事へのコメント
日本の合理的
大東亜戦争敗北の反省に、日本人はもっと合理的になるべきだった、というものがあります。たしかにそうかもしれません。圧倒的に自分たちを負かした米国の徹底した「合理的」を前にすれば誰だってそう思うでしょう。ですが、そもそも日本に米国のような合理的を求めるのには無理があります。

江戸時代は今のように豊ではなかったかもしれませんが、戦乱を覚悟してまで何かを変える必要はありませんでした。革命などは論外であり、御一新ですら自発的に起こす必然性はなかったのです。日本の中には安寧がありました。それが日本の合理的だったのです。

しかし、欧米列強の侵入のために、日本の合理的を捨て欧米の合理的に合わせないといけなくなりました。欧米の使う武器が合理的だったから、それに勝つために仕方なく御一新という名の合理的な「改革」を為したのです。

その後5、60年と時が経ちましたが、仕方なしの「改革」によって覆い隠された日本の合理的は完全には失われませんでした。ゆえに、飛行機で敵の陣地を攻撃しあう近代戦の最中でも、日本人は、銃剣やサーベルより不合理とされた日本刀型の軍刀を腰に下げたくなりました。そして、それを振りかざして敵陣へ突撃したくなりました。損をしないことを絶対化した合理的からみれば馬鹿げた事かもしれません。しかれども「改革」以前の日本刀は日本社会にとって合理的だったのですから、こうした欲求が日本人の心底にあるのは無理のないことなのです。

歴史的、文化的に合理的だと思えてしまうことは「正しい」のです。それは戦争に勝つための合理的では計れません。況や戦争に勝ったものに押し付けられた合理的においておや。押し付けられた合理的は正しものに「改善」させなければなりません。日本の合理的を取り戻しましょう!
織館うゑし | URL | 2007/11/29 (木) 00:44:09 [編集]
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