右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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【ホリエモン】規制緩和が検察権力を肥大化させる【大嫌い】
ホリエモンが懲役2年6ヶ月の実刑判決を受けました。ちょっと厳しかったですね。もうちょっと軽いかと思っていたので予想外でした。しかし、東京地裁は検察の言っていることをほぼ全面的に認めた、鵜呑みにしたと言っても良いレベルで認めたという気がしないでもありません。

私はこの検察によるホリエモン逮捕は、実際にはたいした罪を発掘できなかったので、検察が有能だったわけではなく、ホリエモンが人格的に大きな欠陥があったから部下から恨まれていてタレコミが山のようにあって、それに乗っかって逮捕しただけ、その程度だと思っていますが、これを国策捜査とか検察の暴走だと言って批判する人もいるようです。
たしかに検察は恣意的に、それこそ「国策捜査」のような事をするものだと思いますが、ある意味それは当たり前とも言えます。「検察はもともと国策捜査をするための機関だ」と断言する人さえいます。

警察が全ての犯罪を捜査することが義務づけられているのに対し、検察は「必要に応じて」事件を捜査することになっているわけです。どの案件を優先して捜査するか、そこらへんの判断は検察にかなり裁量権が委ねられてもいるのですから、検察側の人間の価値判断が入ったり、場合によってはそれこそ国策捜査というものになってしまう事があるのはむしろ当然だと言えるでしょう。

そして検察側も、国策捜査によって一罰百戒をもたらすが自分たちの役割・使命だとすら思っているようです。

それが妥当かどうかはともかく、たしかに検察と警察は違いますし、どのような事件を捜査するかは検察の裁量に委ねられている以上は、ホリエモンや村上ファンド逮捕に限らず国策捜査のようなものが多くなるのは当然かもしれません。

そうであるなら、私はホリエモンや村上ファンド逮捕に見られるような国策捜査、検察のある種の暴走というか検察権力の肥大化を招いたのは「規制緩和」のせいだと思います。

規制緩和は別種の規制強化をもたらすというのは常識だと思いますが、ホリエモンや村上ファンドを生み出した規制緩和は、検察権力の肥大化、検察資本主義という体制を生み出してしまったのだと思います。

規制による事前調整が崩壊すれば、権力による事後取り締まりが必要になります。何らかの権力強化が必要ですが、実際にはホリエモンや村上ファンドみたいのは野放し状態だったわけで、その結果として検察権力が暴走というか肥大化せざるを得なかったのでしょう。

ですから、今回の問題で検察の暴走だとか国策捜査という批判をするのであれば、そもそもそれを招いた規制緩和のやりっ放しを批判すべきです。

検察が逮捕するまでホリエモンや村上ファンド的なものは野放しでしたから。本当なら、規制緩和をするときに、新たな法規制なり何かのルール造りもあわせてすべきだったのが、ただ規制だけ緩和して自由というか無秩序にしてしまった、政府の失策のせいでしょう。

ところで、ほぼ1年前に旧ブログでホリエモンについて書いたのですが、その文章は今回の件についても私の考え方を示せているように思えましたので、ここに再度引用させていただきたいと思います。

- - - - - - - 旧ブログからの引用ここから - - - - - - -

「格差」についてと構造改革が生んだヒルズ族という新たな政府への依存勢力


今日発売(注:2006年4月26日)のSAPIOも格差社会を扱った記事がのっていて、「ゴー宣」と落合信彦がまるで正反対の事を書いていて興味深いです。私としては「ゴー宣」の内容のほうに歩があると思いますが。興味のある方は読み比べられる事をおすすめします。

(中略)

あと、落合氏が変な事言っていると思ったのは「ホリエモンは格差社会の勝ち組ではなく、メディアによって作り上げられたエセ勝ち組=まがいモン」だと言っています(まがいモンとはナイスなネーミングですね)。さらに、「まがいモン」はちゃんと罪に問われて罰せられるじゃないかとも言っています。

しかし、日本は構造改革によって規制緩和が大幅におしすすめられ、これまでの「事前調整型」から「事後取り締まり型」、つまり日本型からアメリカ型への移行をすすめたのですが、実際には規制を緩和しただけで事後の取り締まりが全然なされていなくて無秩序に近い状態だったわけです。アメリカの監視・取り締まりシステムはそうとう厳しいみたいですから。日本は規制だけなくして野放しにして、そこにホリエモンみたいのが台頭したわけです。

で、それを見かねた検察が、このままでは無茶苦茶になると、半ば暴走というか独断的にホリエモンを逮捕したという事だと思います。これは私の認識ですが。つまり、国の政策というか無策が彼を生んだわけです。事後取り締まりのシステムが全然機能していないという事でしょう。

また、落合氏は『格差社会は能力のあるものにとってはチャンスの到来なのだ、実際そのチャンスを生かして勝ち残った「実業」を持つ勝ち組がたくさんいるんだ』などと言っています。

しかし正直、落合氏の言っている事は疑問ですね。いったい「実業」を持つ本当の勝ち組とは誰の事を言っているのか書いていないのでわかりませんが、ヒルズ族のような勝ち組が実力でのしあがったと思ったら大間違いだと思いますし、上でも書いた通りホリエモン台頭をマスコミだけのせいにしていますが、その認識もおかしいと思います。

まず、どうも構造改革路線によって台頭してきた「勝ち組」を、彼ら自身の力で勝ち上がってきた実力者みたいに考えているのではないでしょうか。それがそもそもおかしいと思います。

構造改革論者が強調する点に、これまでの「公共事業」「財政政策」への批判があります。その流れとして彼ら曰く、
・日本人は政府の保護や指導に依存しない「自律的な個人」となるべきである。
・六本木ヒルズに住む「起業家」らは、政府の政策に依存せず大企業や労働組合のような組織にも依存せずに個人の能力で成功を収めた実力者たちである。
・彼らのような起業家が続々と現れるのが「努力した人が報われる社会」である。
・彼らのような「勝ち組」を否定的に見るのは「自立した個人」を抑圧する日本的な「横並び意識」のせいである。

このような考え方がそもそも間違いだと私は思います。この点に関して、先日買った「表現者」(注:表現者2006年第6号)という雑誌に興味深い文章がのっていました。中野剛志氏という人が書いていますが、ちょっとどういう方かわかりません。元通産相の役人で今は「経済ナショナリズム」が専門と書いてありました。


構造改革が生み出す「自律なき個人」 中野剛志

(前略)

筆者は、以下に述べる二つの理由で、構造改革は、個人の自律という理念に根本的に反するものであると考えるのである。

その第一の理由は、構造改革論者は、公共事業に頼っている地方の経済や事業者を、政府に依存して自律できていないとして批判する一方、六本木ヒルズ族のような新興成金の「勝ち組」を褒め称えているが、実際には「勝ち組」も政府に依存しているという点である。なぜなら、彼らは、ゼロ金利と量的緩和という異常な金融政策によって生じた資金の過剰流動の恩恵を受けて成長したのだからだ。したがって、今般の日本銀行の量的緩和解除は、資金の過剰流動性を解消し、バブル崩壊と共に六本木ヒルズ族の栄華を終わらせる可能性がある(そのせいか竹中大臣は日銀の量的緩和解除の決定にかなり落胆していた)。五年ほど前のITバブルの崩壊もまた、日銀の政策変更によるところが大きいが、今回も同様のことが起きるかもしれない。

要するに、構造改革路線は、地方経済や建設業者による財政政策への依存を攻撃し、断ち切る一方、金融政策に依存するファンドやIT関連企業を生み出していたということである。小泉政権は、政府に依存する経済の体質を改めたのではなく、新たな依存体質に作り替えたに過ぎない。しかも、これまでの財制裁策に依存する経済構造と、現在の金融政策に依存する経済構造を比較すると、後者の方がはるかに性質が悪い。なぜなら、前者は、社会格差・地域格差を是正する所得再配分機構があるが、後者は、社会格差・地域格差を悪化させるだけでなく、国富を海外に流出させる場合すらあるからだ。

「勝ち組」が依存しているのは金融政策だけではない。周知のように、金融市場関連の規制緩和もまた、彼らの急成長に貢献した。しかし、規制緩和とは、民主導で行われるのではない。規制の強化と同様、緩和もまた政府によって実行されるのである。橋本政権から小泉政権に至る、時の国家権力によって六本木ヒルズ族が生まれたのであり、市場から自発的に発生したのでも、彼らが国家権力に挑戦したからでもない。構造改革論者は、田中角栄以来の財政政策を巡る政官財の依存関係を是正するのだと叫んできたが、その結果生み出されたのは、別種の政官財の依存関係であったのだ。

(後略)



まあ結局のところ、外資にしても新興成金勢力にしても、日本経済のこれまでの秩序をなんとかぶちこわさないことには自分たちの「ビジネスチャンス」がないわけで、構造改革による混乱に乗じて金儲けしている、そういう政策を歓迎し、それに依存しているという事ではないかと思います。

社会の混乱につけこんで成長するというやり方は、戦後の混乱時期に駅前などの一等地を不法占拠してパチンコ屋がはびこったのに似ている気がします。そういえば、ホリエモンは、そっち系だというウワサがありますね。本当かどうかは知りませんし、あくまでウワサでデマかもしれませんが。たぶん彼の出身地である福岡県八女市はそちら方面の方々が多いからとか、彼がやたらと韓国を持ち上げていたり天皇制を否定したりなどの言説などからこういう事が言われるのでしょう。

それはともかく、少なくとも、ヒルズ族みたいなのが自分の実力や努力で成功を収めた人々というふうに単純に持ち上げるのはどうかと思います。もちろん混乱に乗じて成功するというのはある種の能力でしょうが、最近の風潮では「法律に違反しているわけではない」なんて事がまかり通るようになっていますから日本人の意識もかわったようです。

もちろん、きっちり法で取り締まるのは事後取り締まり型の社会に変えるなら一番考えなければならないのに、そこらあたりすらおろそかにしていた政府の責任はかなり大きいと思います。「改革を急げ!」という感じでそればっかり考えて急激にやろうとするからでしょう。まあ私は事後取り締まり型にはそもそも反対で事前調整型が望ましいと思うのですが。

「構造」という根本的なものを改変してしまう政策を「急激」にやろうとするなんて、とても保守とは思えないわけですが、自称保守という方がどうして支持されるのかわかりません。朝日とかそちら側、国家を弱体化させたい人や、進歩主義者みたいに改革はすべて改良となると脳天気に考えている単純オツム系が支持しているのはまだわかるのですが。

- - - - - - - 旧ブログからの引用ここまで - - - - - - -

最近聞いた話だと、暴力団対策法ができあがってから、暴力団関係者はみな水面下にもぐってしまい、ITや金融に流れた、そして六本木ヒルズあたりに跋扈している少なからぬ者たちが、そういう関係者または関係者と深いつながりのある人たち、みたいな話を聞きました。

したがって、「ヒルズ族」ではく「ヒルズ賊」と書くのが正しいのかもしれませんね。世の健全な子供達は間違ってもああいう人たちに憧れてはいけないと思います。


ちなみに私が今回の報道で一番哀れだと思ったのは、この障害者と母親ですね。

「あなたに勇気もらった子も」=裁判長が堀江被告に説諭-東京地裁 (時事通信)

 あなたから夢と勇気をもらった証しとして、いまでもライブドア株を持ち続ける子がいる。それを忘れずに-。“ある子”について、小阪敏幸裁判長は判決言い渡し後に紹介し、堀江貴文被告(34)は証言台の前で直立して耳を傾けた。

 同裁判長は判決の最後で再び実刑を宣告した後に堀江被告をまっすぐ見詰め、「ひとこと言っておきたい。この事件に関して、裁判所に何通かの手紙がきました」と語り始めた。その中には「障害を持つ子の母親」からの手紙があったという。

 「その子は、被告人が大きな夢を持ち、若くして会社を起こし、上場企業に育てたことであこがれの対象だった。障害を克服して働く力を被告からもらった証しとして、一生懸命働いてためたお金でライブドア株を購入して、いまでも大切に持ち続けているそうです」。
このとき、じっと聞き入っていた堀江被告は深々と頭を下げた。

 (以下略)
[時事通信社]


哀れな母子だと思います。もちろん彼らに何ら罪は無いわけですが、時流に乗せられやすい、騙されやすい人というのは、やっぱり哀れだなあと思わずにおられません。この親子はホリエモンの、というよりも、ある意味マスコミ報道の被害者でしょう。ホリエモンよりも惨めだと思います。ライブドア株に群がったデイトレーダーたちも大なり小なり近いところがあると思います。同情申し上げます。

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コメント
この記事へのコメント
規制と言うのは、怪しげな経済活動を行うものが善良な一般市民を害する事を防ぐ働きを期待していた面もありました。

つまり、ルール無用の世界を作り、そこで自由な活動をさせたら強い者が生き残って世界は最適化されると・・・。

なんか北斗の拳の世界みたいですねと・・・。

剥き出しの闘争なんか勇気やら美徳と全く正反対の、せこい信用ならない悪の世界しか産まないと思うんです。

それが理解できないのは、言ってみれば国会で様々な事を審議している人達が世間知らずだから、そしてその世間知らずな連中に意見を吹き込んでいる連中が真っ黒に汚れているから。

そう言うものなのだろうとしか申せませんね。
嫌な連中がキャスティングボードを握れば、日本もこれほど短期間に嫌な国になるものなのだなと。

つくづく政治とは大切なものだと最近思います。
三輪耀山 | URL | 2007/03/19 (月) 00:32:39 [編集]
まったくおっしゃる通りだと思います。ホント、北斗の拳の世界ですね。

しかし一番害されるはずの一般市民がこれまた、それで良いと思ってしまっているようなので、ちょっと救いがない感じですね。
日村秋介 | URL | 2007/03/20 (火) 10:12:26 [編集]
規制だらけの日本においては、その許認可権を有する権力者の周りに魑魅魍魎が群れ、企業もそこで働く人々も、これに依存し、ヘタれ、或いは媚び、アンシャンレジームを形成していた。 激烈な競争にさらされることもなく、居心地がよかったからだろう。
一方、多くの規制が撤廃された日本においては、これに代わるルールが未整備なフィールドで魑魅魍魎がその才覚で濡れ手で粟の利益を貪る、インサイダーサークルが形成されている。
事は規制の問題ではないんです。 
個の矜持、自律の問題なんです。
rice_shower | URL | 2007/03/21 (水) 09:27:25 [編集]
いやー、やっぱりそうなら規制についてしっかりと議論するということが最初になされるべき事だったと思いますよ。

どういう規制が必要か、不要か、新たにどういう規制が作られるべきか、撤廃されるべきなのか。

その議論があまりに足りないうちに政策が進められたのは、やはり経済のシステムという一面しか見ることの出来ないエコノミストという狭い領域の専門家の意見に世の中が左右されすぎだからだと思います。
日村秋介 | URL | 2007/03/29 (木) 09:23:31 [編集]
ミスリードかもしれませんね
「規制」という言葉の、最近の使われ方は。

それこそ米国などは、何でも法律にして規制してますし、掃いて捨てるほどいる弁護士さんが何でも訴訟にして法的に決着をつけようとする世界ではありませんか?

だからこそ、契約書もアホみたいに細かく規定するし、「電子レンジにネコを入れて乾かさないでください」なんて取説に書いたりするのでしょう。

日本に規制が多いとか言うのは、単に米国などが自分達の障壁になるものを取っ払わせるための言いがかりに過ぎないのではないでしょうか?
その手の議論では、日本の規制が多いとする根拠を見たことがありませんので。

また、これに迎合して、得意気に嘘八百並べる欧米かぶれの日本人もいっぱいいるようですが、中朝韓に迎合する紅の傭兵さん達と同類と考えていいような気がします。

日本という共同体の運営のために利益になるならという視点で、必要であれば規制して、不要ならば規制緩和する、それだけのはずです。
「規制=悪」だなんて、思考停止も甚だしいと思いますね。
海驢 | URL | 2007/03/30 (金) 04:10:54 [編集]
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