右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
人気ブログランキングへ にほんブログ村 政治ブログへ

コメント歓迎ですが「こちら」をお読み下さい。

「マニフェスト」はもう聞きたくない!
先日、テレビを見ていると、都知事選に関してマニフェストを徹底せよ、みたいなことを、元三重県知事で今の早稲田大学教授である北川正恭氏が言っていました。

どうもマニフェストという概念を日本に持ち込んだのはこの人らしいですね。この人、私からすると、喋り方や顔つきから見て、いかにも「学者バカ」というふうに見えてしょうがないのです。こういうタイプの人の言うことをあまり真に受けないほうが良いと思います。

私はこの「マニフェスト」選挙という考え方に強く疑問を感じています。
マニフェストというのは、これまでの単なる政権公約とは違うものです。政権公約というのは、政策の方向性やビジョンをおおまかに示すにとどめたもので、ある意味、具体性に乏しいところがありますが、マニフェストというのは具体性が過剰なものだと言えるでしょう。

マニフェストというのは、選挙の際にあらかじめ、「数値目標」をかかげ、「財源」を示し、実行の「期限」を決めて、その「行程」を明らかにする。それを約束して、当選したらそれらがどれくらい達成されたかによって次の選挙で「評価」されるというもの。

これは、もしその通りにできれば素晴らしいかのようではありますが、こんな事、できるはずがない、できると思うなんてどうかしていると私は思うわけです。いかにも学者の考えそうな頭の中の理想の出来事だと思います。

もちろん、小さな自治体レベルで、例えばいつまでにどこそこのバス停を移動するとか、街灯をもっと増やすとか橋をかける道をつなげるなど・・・と言ったような単純な政策については、数値と期限と行程を事前に示して後から達成度を評価するということは可能でしょう。

しかし、都道府県政のレベルやもっと大きく国政のレベルになって、事前に数値と期限と行程を示しうるような政策が一体どれだけあるというのでしょうか?

こういう発想は、社会主義の計画経済を思い出します。ここにも同じような設計主義と技術的知識のみからなる純粋な理論的、合理的、理想的な考え方に偏重しているという共通点があると思います。

人間社会は複雑に入り組んでおり、たかだか経済に限った計画でさえも社会主義では大失敗しているのに、もっと幅広い政策全般について、マニフェストで事前に計画が細かく立てられて、その通り実行すべきだ考えるなんで、学者バカじゃないか思います。

だいたい、北川氏のような技術的知識に偏重して経験的知識を軽視する学者に政治をまかせてはいけませんし、あまり口出しさせるべきではありません。いくつかある意見のうちの一つとして参考程度にとどめておくべきです。

政治のように複雑な事象に対処するには、細かな設計主義よりも大まかなビジョンや方向性を持ち、また、合理性だけでなく自分たちの所属する共同体への強い愛着を持ち、さまざまな側面を断片的に見たにすぎない技術的知識ではなくそれらを統合するような経験的知識を持ち、複合的・総合的見地から政策を実行すべきだと思います。

設計主義よりもビジョン、合理性だけでなく共同体への愛着も、技術的知識よりも経験的知識を・・・です。

そもそもマニフェストという考え方の背景には、技術的知識によって未来は単純な確率分布の世界として予想できるという理性の傲慢があります。

未来が予測可能なら話は簡単です。マニフェストで何でも実行可能でしょう。しかし未来の予測など不可能な部分が多いのです。だから技術的知識よりも経験的知識が、つまり歴史の叡知である伝統の精神が必要不可欠なのです。

理性の傲慢が共産主義という悪夢を人類にもたらしたことを忘れてはいけません。

公約がどれほど達成されたかについてワーワー言う事も時には必要かもしれませんが、しかし実際に事にあたる前から安易にマニフェストを掲げる、大風呂敷をひろげるほうが信用出来ないんだと思ったほうが良いのではないですか?

単なる候補者の時点ではそれほど情報を持っているわけではないでしょう。実際に当選してから、自分でやってみたり色んな情報が現場から入ってきたら、やっぱり私の掲げた公約を間違っていたということだってあるかもしれないのです。

そういう場合は有権者との公約を守ることよりも、それこそ自分の信頼を落としてでも公約を破るほうを選ばなければならないという事だってあって当然なのです。

安易に何でも約束する、しかもできるかどうか怪しいことまで気軽に約束してしまう人間のほうが私は信用できないと思うのです。

まあ、何せ最近の選挙はマニフェスト一色で私からすると気持ち悪かったので、ちょっと文句をつけてみたかっただけです。

結局、有権者はマニフェストなんかで判断するよりも、候補者が、いかに能力がありそうか、信頼できそうか、愛国心がありそうか、など、候補者の「資質」にかかわる事柄を判断して代表者を選ぶべきかという、そちらのほうが私ははるかに大切だと思います。

↓クリックしていただけると書く意欲が増します。


↓お手数おかけしますが、こちらもクリックしていただけると助かります。
にほんブログ村 政治ブログへ
コメント
この記事へのコメント
 北川氏は県議3期衆議院4期
知事2期の政治家で、学者じゃないと思いますが
(別に擁護している訳ではありません)
三重県人 | URL | 2007/03/17 (土) 12:14:02 [編集]
彼の経歴は知っております。
ちょっと書き方が悪かったですかね。経歴とは別に、彼は学者バカの顔をして、学者みたいなことを言っているという意味で書いたつもりだったのですが。

ようするに合理主義者、技術主義者だという意味で学者的すぎる元政治家という認識です。

しかし、結局学者のほうが向いていて、結局今は教授になっちゃったんだから学者で間違いないとは思いますが。元々学者的だったということでどうでしょうか。

やっぱり、自分で政治をやるよりも、教授になって理想主義、合理主義的なことを、責任を持たずに言える立場(つまり学者)が向いているということに気づかれた、だから政治のキャリアを捨てたんではないですか?よく知りませんが。
日村秋介 | URL | 2007/03/17 (土) 12:19:38 [編集]
う~ん少しニュアンスは伝わりましたが・・
三重県人 | URL | 2007/03/17 (土) 15:11:37 [編集]
情の面の数値化は不可能です。
物事を達成するには理と情両面から考える必要がありそうです。
 数値化可能な事象はより単純化して数値化出来るのでしょうが、より高度な情の面つまり理念・政治哲学の深さ・高さになりますがそれは不可能な事でしょう。。
 特に政治において、例えば東京オリンピック開催に関し、石原知事は人間には目標が必要だ・・云々と言われた思います。開催までの手順等は、予算額・手法は可能でも、それに付随する費用対効果を数値化する意味はあまりないと考えます。
一つの政策に、モチベーション・情に関する面をどのように数値化できるか・・不可能だと思います。
 「根回し大事」の日本にあって、一気に解決することがありますし、如何なる手練手管を駆使し努力しても目標達成出来ないことが多くありますが、それを数値化せよとは暴論でしょう。
 政治に不易流行の流行に走りすぎは禁物だと改めて感じました。
 小泉劇場に騙され、茹でガエル状態の哀れな日本人です。今頃賀状配達が遅れた・・云々、叫んでいますが、民営化に立腹し有意の局員が退職していった結果です。当事者達はとっくに理解して意欲無き者だけでは処理不可能だと、その怖さ等警告を無視した付けが明確化して慌てまくる情けなさ。
 単純化そして数値化の風潮への警告は非常に大事なことだと思います。
Kankyo Fuzen | URL | 2007/03/17 (土) 15:19:58 [編集]
勉強になるブログですね。

早速、「お気に入り」登録しました。

http://youtubeyourtube.blog95.fc2.com/
YouTube 動画 | URL | 2007/03/18 (日) 02:26:08 [編集]
選挙公約が形骸化、空論化しているので、論拠、数字、ロードマップで裏打ちされたものを示せ、としたのがマニフェスト。
後者は“突っ込み所(事前、事後の検証)”が露になるので(そうでなければマニフェストとは言えない)、念仏的公約では通用しなくなる。
単に“財政赤字を減らします”と言っていたのが旧選挙公約。 4年で100億減らす、或いは500億減らすと数値を示すのがマニフェスト。 後者が肝要なのは、100億と500億では実行の手法、プロセス自体が異なってくるということ。 数字によって喚起されるイメージ、ビジョン、透かし見える候補者の人となりが異なってくるということ。

>設計主義よりもビジョン、合理性だけでなく共同体への愛着も、技術的知識よりも経験的知識を<
いわゆるハイテク機器のメーカーに勤めていたので分かるのですが、画期的技術革新(levelではなくphaseが変わる、類の)は帰納法と演繹法
双方向からのアプローチが求められますね。 二項対立的、または足して二で割る的発想ではなく、常識(経験)と非常識(未知)、合理と非合理、を共に極め、そこから生じる緊張状態のなかで、従来の設計主義、合理主義、技術的知識のみに依っていたのでは得られない、新たな解が産まれる、ということかな。

rice_shower | URL | 2007/03/18 (日) 08:18:22 [編集]
まあ、マニフェストもほどほどに、公約を少々具体的にしたものだ、くらいにしておいてくれと、マニフェストを徹底することが選挙や政治をよくすることだと安易に考えてくれるなと、私が言いたいのはそのあたりです。

べつにマニフェストを出さなくても、すでにやった政策に対してはいくらでも採点や評価が可能なわけですから。まずそれからはじめたらどうですかと思いますね。
日村秋介 | URL | 2007/03/19 (月) 08:51:11 [編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
copyright © 2005 右余極説 all rights reserved.
Powered by FC2ブログ. | Template by Gpapa.