右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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気を遣う日本人、過剰適応が自己喪失を招く
それにしても最近の安倍内閣はどうなっているのでしょうか。さすがに小泉首相の頃ほどのマンセー軍団もあまりいないような感じで(一部あるでしょうが)、支持率も低下していて、批判のしがいがないという感じです。

拉致問題でも「解決なしの国交正常化はない」から「進展なしの国交正常化はない」とあいまいな後退をしたり、従軍慰安婦問題でも煮え切らない部分が目立ちます。これのどこが闘う政治家なんでしょうか。周囲にいるのがダメなのか、やっぱりまだ首相をやるには早かったのか・・・。

慰安婦の米議会での決議の話にしても、この話題はむしかえすべきではなかったとか政治ではなく歴史家にまかせたほうがなどという意見が出ていますが、何を言っているんでしょうか。この問題はすでに高度に政治問題化しています。

もはや各国のプロパガンダ戦になっていますし、河野談話そのものが政治的な敗北以外のなにものでのないわけですから。そして安部氏が首相になったことにたいする保守派の期待というのは一体何だったのかを思い出すべきです。

拉致問題へのしっかりした対応や歴史認識にたいする健全化、たとえば村山談話や河野談話の健全化だったはずです。そういうことができないのであれば、安倍首相を応援する理由のすくなくとも半分以上はなくなってしまいます。また安倍首相以外に期待できそうな人材が自民党にはおりません。もはや日本は絶望的な状況だと保守派はしっかり認識すべきでしょう。

まあそういう話をしても気が滅入るばかりなので、今日は日本人の習性についてもちょっと考えてみたいと思います。前のエントリー「場の空気で裏切る日本人」ともちょっと通じる内容でもあると思います。
あるテレビ番組で、来日している外国人に「日本人のここがおかしい」というところをインタビューしていたのを見たことがありますが、たしか上位に来た回答に「周りの人に気を遣いすぎる」というものがありました。

自分勝手に生きている外国流の個人主義がすぐれているとは思いませんが、たしかに日本人は周囲がどう思われているのかを、他の国の人間よりは気にするのに違いないと思います。

そもそも外国人をみつけると、ほぼかならず「日本はどうですか?」「日本人はどうですか?」「日本のどこがおかしいですか」と問うこと自体が半分は病気みたいものではないかと思います。

しかし考えてみれば、多くの日本人のメンタリティーというか常識は、周囲に適応することによって身に付けられる、そうやって価値観を形成してゆくところが強いのだろうと思います。

この習性は、所属する共同体や社会に健全な常識や道徳が保たれている場合はとてもうまく機能するでしょうし、その共同体の中に所属し続ける限り、共同体にとっても、個人にとっても安定的に作用するだろうと思います。

ところが、そうしう姿勢でひとたび外を見回すとどうなるか?ひたすら周囲の空気をうかがいながら、周囲に適応しながら自己を形成してきた日本人が、今度は外に目を向ける段階になると、これまでの自分たちとはまっく別の常識や道徳観があることを知り、ひたすらそれに適応しようとするのではないでしょうか?

六カ国協議で何か日本が少しでも強く立場を主張しようとすると、「国際社会から孤立する」といって、国際社会の多数(それは強国の力を背景とした見せかけの多数にすぎない)になびいてしまい、同朋を見殺しにしたり、核の脅威を見過ごしにしたりということになってしまうのだろうと思います。

周囲の様子をうかがう日本人の習性がうまく作用しない場合が他にもあります。それは、現代のように、共同体なり社会なりの健全な常識や道徳が失われた場合です。

ようするに、社会がみだれてきて、ホリエモンや村上ファンドのように「やったもの勝ち」のような風潮が蔓延してくると、「みんながやっているんだから俺もやらなきゃ損じゃないか・・・」そう考える者が増えてきて、社会の混乱にさらに拍車がかかるということでしょう。

日本人は欧米人のように神と一対一の契約関係にあるような強い倫理観のようなものはありません。そのかわりに、周囲に気を遣い周囲と調和しようとする協調性のような倫理観があるわけですが、それは社会の側、共同体の側の健全性しだいというようなものです。

今、日本社会の健全性というか常識や倫理、道徳がぐらついています。こういうものを「ぶっ壊す」のが善しとされることすら珍しくありません。

そういう意見が多数となれば、周囲の様子をうかがいつつ自己を形成する日本人は、どんどんとろくでもないものになってゆくでしょう。

日本人の「周囲に気を遣う習性」というのが、一つには国際社会では通用しない、むしろマイナスになってしまうのだということを自覚し、二つめとしては、このように乱れた社会になってしまっては、世代を経るごとに日本人が劣化してゆくのは間違いないということもしっかり心にとめておくべきだと思います。

日本人の周囲への適応力にはものすごいものがあり、だからこそ明治維新を成功させて短期間のうちに国際社会で先進国の地位にまでのぼりつめることができたのかもしれませんが、ひたすらどこまでも周囲への適応ばかりに熱心では、自分が何物であるか、どこへむかうのがかわからなくなってしまいます。

国際社会への適応も、場合によっては結構でしょうが、そればっかりでも問題だろうと思います。

そしてその適応能力を国内において有効に働かせるためには、日本人としての健全な常識や道徳を再構築しなくてはなりません。またこの「周囲に気を遣うやり方」が通用するのは、せいぜいが国境までであることをもっと自覚すべきです。

外国人が見て、日本人は気を遣いすぎだと言われるのですから、外国では日本人のようには人に気を遣わずに自分勝手にふるまうような、それが常識になっている国ばかりだということです。

中国や北朝鮮に限らず、アメリカだったどこの国だって、彼らのふるまいは国としても他国に気を遣うなどということなどせずに、自分勝手にふるまっている、エゴまるだしなところが少なくないわけです。

そういう国々に対して日本は一方的に気を遣うばかり、様子をうかがうばかりで、何か強く自己主張しようとすると「国際社会から孤立する」などと考えるのは、もう病気としか思えません。

国内においては健全な常識とともに協調性を重視するのは良いことだと思いますが、それをどこまでも拡大して外交の場に持ち込んでしまうのは無理があるし通用しないだろうと思います。

いずれにしろ、今や、周囲に気を遣う日本人の習性が、周囲への過剰適応の次元へと達して自己崩壊を招いているのではないかと思います。

日本人が自分を見失わず、かつ国際人としても活躍するためには、まず領土のみならず文化や精神にける国境の存在を強く意識して、日本人としての自己を再確認することからはじめなければならないと思います。

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コメント
この記事へのコメント
だいぶ以前に読んだ、確か黄文雄氏の著作だったと思いますが、このような一節がありました。
日本の子供は親から「みんなと仲良くしなさい」と言って育てられる。一方韓国では「イギョラ(勝て)」と言って育てられると。
当時サッカー全日本が韓国になかなか勝てないのはこれかと、妙に納得したものです。

韓国のことは分かりませんが、日本人である私も確かに親からそのように言われながら育ってきました。日本人のメンタリティはこのようにして培われてきたのでしょう。

私は「周囲と仲良く」というメンタリティはかけがえのない日本人の美徳であると思っています。

しかしこれも度が過ぎると、自分たちのやり方で世界人類みんなと仲良くなれるはずという「頭の中がお花畑」状態になってしまう。

異文化異民族と接するときは、自他の違い、相手の思考方法、メンタリティーをきちんと理解したうえで接しなければならないのでしょうね。





lazy | URL | 2007/03/12 (月) 11:21:37 [編集]
>異文化異民族と接するときは、自他の違い、相手の思考方法、メンタリティーをきちんと理解したうえで接しなければならない

これが 国々のハザマ、「国際化 (インター・ナショナル、ネイションズ)」 と云うやつですね。

言わずもがなですが、日本文化も学ばず外国かぶれの英語塾にヒートアップしているうちは「国際化」は程遠いのでしょう。
Ma.wakizasi | URL | 2007/03/12 (月) 16:06:59 [編集]
昨日か一昨日かの読売新聞に、アメリカで従軍慰安婦のことを
問題にした人達は確信犯で、日本において従軍慰安婦というのは
軍が関与していないということがわかっていること等熟知していてやっているので
いくら日本側があの人達にわかってもらおうとしても無駄だということが載っていました。
それと同じで今回「日本が国際社会から孤立する」といってる人も確信犯だと思いますね。
日本人にとっての落としどころはここだとピンポイントを突いてくるところは
凄いと思うけど、一般的な日本人にはもう通用しないし、孤立するだけで動く人って
日本人として何か欠けてるでしょう。日本が孤立するというのは
ただの媚び、へつらいと同じでこういうのってやっぱり日本でもバカにされる行いだ。
日本人魂とか情とか、先祖を大事にするとか、日本人が苦しんでるので救うとか
そういうのを無視して、ポンと「孤立する」だけを投げかけられても
はあ~?とかこの人、おかしいとしか思えない。
これが通用すると思ってるのは今の政府とサヨとか、北の関係者とかでしょう。
最後の最後に日本が孤立しないように気を使ってというのを理由にして拉致問題をナアナアで国交正常化しますと
いうのは政府なんじゃないかと疑ってます。
まな | URL | 2007/03/12 (月) 20:30:30 [編集]
和を以て貴となす
 先生にまた厳しい指摘を頂きました。
 日本人のDNAに逃げる訳ではありませんが、有史以来米作主体の生産様式で、狩猟民族ではありません。ご存知の通り水田耕作では水が重要です。村長(ムラオサ)が下流の田まで均等に配水します。さもないと水田耕作なんて出来はしません。特に旱魃の時など自分勝手を許すと全滅の恐れさえありますので、長い物には巻かれろ・和の精神を大事にして現在まで生き延びることができたと思います。
 出る杭は打たれぬように、周囲の雰囲気を見極めつつ・・が生活の知恵として、近代化した工業化社会でも、誤魔化し誤魔化しとはいえ日本文化の中心に位置づけて来たと思います。このことは島国であり長年鎖国政策が通用した特異な国ですから、我々日本人の血肉として、現代まで引き継いでいるのでしょう。
 しかし、明治時代の元勲達は1~2年の海外旅行を経て、異文化をしっかり身につけ政治を行っていたと思いますが、中々定着しなかった上、戦後の各界のリーダー達が学力中心のみの学歴判断で真のリーダー教育をされず就任した結果、小さな範囲の益、つまり国益との判断は出来ず又は不必要で省益・課益・係益にみに汲々となる人物のみの集合体になってしまった気がします。よって外国人、特に大陸系の狩猟民族は優秀なリーダーの指揮に従えば獲物にありつける。自己主張と自分の働きを誇示することが自己益を守れる、そのような民族とは価値観が全く異なるはずです。
 学力が高くしかも外国生活豊富な政治家や高級官僚達が、我々庶民と全く同じ程度で国益など考える視点を育成できなかった結果だろうと思います。
  TV娯楽番組、TV政治番組等の程度の低さ、国益に反するような輩が威張り散らして居ます「知らしむべからずよらしむべし」、これ程楽な経営方法はありません。が我々は知らぬ間に飼い慣らされたのでしょう。   日本人と価値観の異なる人間に同じ方法をとっても理解させることは絶対不可能であることを、中々多くが知る由もないことだったと思います。
しかし現在はネット社会ですので、先生のように我々を覚醒させる強烈な名文を我々は拝読できるようになりました。今年あたりは大きく変容する・覚醒し行動する大衆が誕生しそうな気がしております。
 先生の御尽力をお願いいたします。
 
 

 
 
Kankyo Fuzen | URL | 2007/03/13 (火) 00:30:49 [編集]
>lazyさん
私もみんなと仲良くと言われて育ってきましたし、ネットでは結構いさましい(?)ことを書いていますが、日常生活ではかなり協調性の強いほうだと思っています。しかし、それを安易にどこまでも拡大できると思わないほうが良いでしょうね。それこそお花畑というやつでしょう。というか簡単にそういう事ができると思わないほうが良い。難しいから達成感があるとも言えるでしょう。簡単に気遣いが通じるのは共通の文化や常識が背景にあるからであって、まあ最近では国内でもそういうものが通じなくなりつつありますが、大切にしていきたいと思います。

>Ma.wakizasi さん
>日本文化も学ばず外国かぶれの英語塾にヒートアップしているうちは「国際化」は程遠いのでしょう。

そうですね。まず自分が何物か、どういう文化に属してそれにどれほど染まっているのは、相手とどう違うのかを理解する前から会話方法だけ学んでも、本当のコミュニケーションはできないでしょうね。コミュニケーションというと単に語学力のことと勘違いしているように思います。

>まなさん
そうですね。日本人を脅迫するもっとも効果的な言葉の一つに「国際社会から孤立する」という文句があるのだと思います。しかし核武装したインドが国際社会から孤立したという話は聞いたことがありませんし、むしろ存在感を増しているとすら言えます。日本の経済力は特にアメリカからは草刈り場として魅力的でしょうから、少々のことをやったとて、日米関係すら危うくなるとは思えない(それを実行しようとする人間の立場はアメリカの圧力によって危うくなるでしょうが)と思います。

>Kankyo fuzenさん

「先生」なんて呼ばれるとこそばゆいですね。先生と呼ばれるほど私は立派な人間ではありませんので。ともかく、この日本人の性質は、有史以来とまでは言えないとも思いますが、農耕、特に稲作文化と大きく関連しているのは間違いないでしょうね。そして今は稲作文化など失われつつありますが、早ければ50年後、遅くとも200年後くらいにはおそらく現代文明は崩壊に至って、世界はふたたび江戸時代レベルの文明に逆戻りする可能性も少なくないと思っています。そういう未来のためにも、稲作文化というかこの日本人のDNAは大切に守って置いたほうが良いものだと思ったりもします。
日村秋介 | URL | 2007/03/13 (火) 08:41:48 [編集]
相手に気を遣うこの協調性は共同体の中でこそ発揮されます。
それは水源管理に現れますが、反対に共同体の存立を脅かす者には日本人は容赦はありません。
戦国時代に農民が血判状を署名して守護の暴政を排除したり、一向宗の信徒が同様に自治を獲得したりしています。

現代日本人の過剰反応は日本人のメンタリティというより米国殖民としてそうさせていると思います。
そして世界全体が共同体だと勘違いして育ってきた60年間の業でしょう。

この共同体の範囲を修正するのがまた難儀だと思います。
minase | URL | 2007/03/13 (火) 14:52:05 [編集]
なるほど、共同体の線引きがあいまいになってしまった、国内の共同体も崩壊し、精神・文化の国境も崩れてきて、コスモポリタニズムへの幻想がふくらんでしまったということもあるかもしれませんね。
日村秋介 | URL | 2007/03/14 (水) 08:44:50 [編集]
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