右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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改革論者とホリエモン支持者は同じ穴のムジナ
もうすぐホリエモンの判決が出るそうですね。結局、暴力団とか政界とのつながりなど出てこず、おそらく彼の罪はたいしたことないのではないかと思います。

宮内という部下のほうが余程悪いことをしていた(横領)のに、それは帳消しにしてホリエモンばかり裁こうとする検察のやりかたもおかしいとは思いますが、それよりも数日前の新聞にのっていたホリエモン支持者の考え方のほうがおかしいと私は思いました。

そのホリエモン支持者によると、『彼は既得権をうち破ってくれた、彼のやったことは私たちに「変化」という希望を与えてくれた』とか・・・。一語一句正確な引用ではありませんが、だいたいこういう意味だったと思います。
しかし、考えてみれば、これが「改革」が支持される理由と同じということです。だから「改革支持派」のうちの少なからぬ人たち(例えば田原総一郎とか)は、ホリエモンまで支持してしまったのです。

とにかく世の中を大きく変化させること、これを多くの人たちが望んでいるという、そういう世情を反映しているのだと思います。その一方で、おかしな変化にストップをかけようとする人はほとんどいません。

しかし、彼らは既得権を打破してくれたとか、既存の構造を変えてくれたと言って無邪気に喜んでいますが、どこかで誰かが既得権にあぐらをかいて甘い汁をすっている、そういう「ずるい奴」がやまほどいると、そう考えている人々が多いということなのでしょう。そういう奴らが世の中を悪くしている、そういう奴らのせいで俺たちは損をしているんだと、そう思っているのかもしれません。また今の日本の閉塞感をすべて彼らの責任だと思っているのかもしれません。

その「ずるい奴」が、古いタイプの財界人のことなのか、ゼネコンなのか官僚なのか政治家なのか、それらすべてなのか私にははっきりとはわかりませんが、たぶんそこらあたりの人たちのことを言っているのではないかと思います。

しかし私は、そうした人たちの中で悪質なのはほんの一握りだと思うので、既得権がすべて悪いとも思いませんし、彼らなりに努力して長年かけて歴史を築いて得た既得権ならばある程度守ってやろうとするのがまともな社会だとも思うわけですが、どうも既得権はすべてけしからんと思っている人が多いようです。

こうした考え方がちょっと行き過ぎというか思いこみのレベルに達している人が結構多くて、これは長年のマスコミの洗脳にそまってルサンチマンばかりを募らせた典型例なんじゃないかと思います。

マスコミはとにかく自民党や政府や国そのものを弱体化させるために「既存の秩序」に対する攻撃を長年やり続けてきて、それに少しずつ国民が洗脳されて、「秩序=既得権=悪」という論理回路が頭の中に構築されてしまっているのではないかと思います。

そして長年新聞やニュースをまじめに見て政治に多少なりとも関心を持ってきた人であればあるほど、そのような「怨念」がつのるようになっているという訳です。マスコミの報道姿勢の無責任さこそ問われるべきではないかと思います。

そりゃあ、既得権に甘えたような、「ずるい奴」も少なからずいるかもしれなませんが、ホリエモンたちがやろうとしたのは、自分がその立場に取って代わろうとしただけであって、そんなに立派なものでもないし、既得権を壊したからと言って、それは既得権という言い方をすればネガティブ面ばかり強調される訳ですが、「既存の秩序」でもあるわけですから、それがすべて悪いもののはずがありませんし、安易に破壊してしまえば、混乱による弊害のほうが大きくなるにきまっています。

はじめに紹介したホリエモン支持者はフリーターをしているいわゆる「負け組」の人(記事にそう書いてあった)なのですが、彼のような「負け組の人間」はホリエモンの行動や今さかんになされている「改革」などが、既得権の破壊(実際は秩序の破壊にすぎない)をやってくれて、社会が混乱すればするほど、自分たち「負け組」にもチャンスがめぐってくると、そう信じているところがあるようです。それが「ホリエモン」や「改革」を支持する理由なのです。

しかし、現在すで負け組になってしまった人間は、社会が混乱すればするほど、もっと負け組になるだけだと私は思いますが・・・。負け組ですからまともな判断力がもともと低い人たちと見て間違いなさそうです。

もう彼らは変化にすがるしか希望が見えないのでしょう。同情はしますが、ホリエモンとか「改革」みたいものに期待しても無駄だということに早く気づくべきだと思います。

そもそも日本人は何でも変えればよくなると安易に考えすぎです。変えれば、かならず変えたことによる混乱というものが伴います。

社会は有機体のように複雑にからみあっているのです。人々の慣習、文化、政治、経済、どれも複雑に入り組んでいます。たとえば経済の制度だけ変えたつもりでも、それを大きく変えるほど、周り回って結局人々の暮らし、慣習や文化にも影響をあたて社会を混乱させる、そういうリスクがあるのでる。

今は、それぞれの分野の「専門家」というのはいますが、社会全体を複合的に捉えるような「総合家(?)」みたいな存在はいません。だからなおさら危険なのです。

政治でも経済でも、そのしくみを一度に大きく変えようとすればそれだけ混乱が大きくなります。また変えたからと言って現状よりも良くなるという保障はなにもないのです。

もちろん、こうした悲惨な現状をもたらした背景にある憲法だとか左翼的な風潮みたいなものや、これ以上悪くなりようのない国の防衛などに関しては大いに変えるべき、変える混乱よりもメリットのほうが大きいと思いますが、経済に関して言えば戦後の日本は成功してきたのですから、変えるべきことよりも、守るべきこと、再構築すべきことのほうが多いはずです。

経済に関して変えた結果がどうなりつつあるかと言うと、現状を見れば分かるとおり、要領の良い奴が混乱に乗じてうまいことやって成功するだけで、大多数のコツコツ地道な努力を継続的にするような勤労者は損するだけということが多いのです。みんな目先の金儲けにばかり血眼になるから。そういう社会にどんどん改造されていると思います。

これも半分くらいは「変えればよくなる」という盲信のせいでしょう。

『変化によって失うものは確実だが、得るものは不確実だ。』と言ったのは誰でしたか忘れましたが。

だから常識ある人間なら「変えること」にたいしてそれなりの慎重さがともなうはずです。しかし長年マスコミ報道にさらされていると、自分たちがものすごく損をしているような怨念ばかりがふくらむようになっているから、「既存の秩序など破壊するくらい改革せよ」、などと思ってしまうのでしょう。

その結果、自分たち「負け組」がさらに追いつめられる世の中になってゆくだけだとも気づかずに・・・。

いや、私は何も一切変えるなと言っているわけではないのです。変えるならば長期的展望に立って、試行錯誤の振幅がなるべく小さくなるように、漸進的に変化させてゆくべきだと言っているだけです。

制度や法律など社会のしくみを大きく「改革」すればかならず混乱して犯罪が増えます。ルールの体系が不安定になるからです。犯罪が犯罪でなくなることすらあるでしょう。グレーゾーンが広くなり、判断に苦しむので結局は法廷に持ち込まれ、法廷では弱肉強食の戦いが繰り広げられるアメリカのようになるわけです。

混乱に乗じて違法スレスレのことをやってのしあがる、のしあがろうとする輩が必ずでてくる。それがホリエモンです。そういうやりかたをしたいと思っている奴らが、改革をもっとはげしく過激にやれと煽って、既存の秩序を壊してきただけの話ではないでしょうか?

極端な例で言えば、イラクを見ればわかります。フセインの独裁も今の無秩序よりははるかにマシだったでしょう。イラクは政教分離もすすんだ近代国家だったのですが、独裁だからいけないと言う人がいました。たしかに少数民族を弾圧や虐殺などした前科があったようですが、しかし現状とくらべてどうでしょうか?この現状をイラク人自身が望んでイラク人自身がもたらしたというならまだしも・・・。

フランス革命だってその後どうなったか。革命をおこしたジャコバンは、たしか反対派を虐殺して独裁政治を行ったんではなかったでしょうか。王政の時代よりも悪くなったと思います。ロシア革命も同じでしょう。

制度の急激な転換は混乱をもたらし、さらに世の中を滅茶苦茶にするのです。

その革命や改革が、いかに立派な理念に基づいていようと、いかに合理的に見えようとも、実際にそれを行うのが人間という不完全な存在である以上は、そして社会が複雑に有機的にからみあっている以上は、過激にやればやるほど、世の中は滅茶苦茶に混乱するのです。

もちろん、今の日本はそこまでの混乱に至ってはいないでしょうが、しかし政府に接近して、世の中をなるべく混乱させて、それをビジネスチャンスにして、その隙に自分だけ美味しい思いをしようとしている人間が多くなりすぎているのは間違いないと思います。ホリエモンもそうですし、経済財政諮問会議とか、オリックスの宮内氏とか、社会的立場の高い人間に多くなっているので深刻です。

それを後押ししようとする者も後を絶たないのです。背景には、既存の秩序へのルサンチマンを煽るマスコミ報道や、学者や文化人など田原総一郎みたいな人たちに多くみられる、変えれば良くなると無邪気に信じる「進歩主義」があるのでしょう。

「進歩主義」というのは、人間は進歩するのだから変化はかならず良い結果をもたらす、みたいな考え方です。

それは、科学や技術に限定すればその通りかもしれませんが、人間という不完全な存在の作り出す社会やその制度に限って言えば、変化が進歩をもたらすとは到底言えないことは歴史が証明しているわけです。

変化させるなら、あくまでゆっくりとさせるべきでしょう。

もちろん北朝鮮のようなどうしようもない社会ならば、何をどう変えてもこれ以上悪くなりようがないわけですから、その場合は、後にいくら混乱しても、とにかく大きく変えたほうが良いにきまっています。

しかし日本はそんな国なのでしょうか?「過激に」「根本的に」変えてしなわなければならないような国なのでしょう?

別に変えるなとか変えるべきところが一切無いとか言っている訳ではありません。

変えるにしてもどう変えるべきかについての真剣な議論や、変えることに対するそれなりの慎重さであるとかがあっても良いだろうと言いたいのです。

また、場合によってはおかしな変化の波が(たとえばグローバリズムなど)押し寄せてきているなら、そのための防波堤を築いて変化に歯止めをかけることも考えなければならないとか、そういう姿勢はどうしてないのかとも言いたいのです。変化をむやみに歓迎しすぎなのです。

そうした姿勢がほとんど無いまま、「ぶっ壊すほど変える」、「どんどん変わってゆく」のがひたすら良しとされています。このようなお粗末な現状においては、変えてもうまく行かないどころか、変えた後が悲惨なものになるのは当然ではないかと思うわけです。

そして日本人にとって大切なもの、子孫に残すべき価値あるものは何一つ残らずに消え失せてしまうのです。

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| | 2007/03/09 (金) 12:39:39 [編集]
私、仕事柄見聞きする機会が多いんですが。宮内程度の横領は普通に聞きます。しかも高学歴の選民意識からか、20代そこそこでそれをやる。さすがに額は宮内には及びませんがそれでも同年代の給料数ヶ月分ぐらいは一気にやる。横領以外にも節操なく法のグレーゾーンをくぐることにむしろ積極的です。会社を見渡せば40代以上がほとんどいないからサークル程度の秩序しか存在しない。まさに餓鬼の巣窟です。ホリエモンなどは個性の無い物体です。適当に並べられて相対評価で一番になっただけの話。だから今でもあの界隈はホリエモンで溢れています。下衆な改革はただのすげ替えだということを、こういった実態がまさに証明しているかと思います。(ちょっと下品なリークだったかもしれませんね。すみません。)
ユーグン | URL | 2007/03/09 (金) 13:03:58 [編集]
ユーグンさん、貴重なお話ありがとうございます。やはりその程度なんでしょうね。今や金を稼ぐやつが偉いという風潮ですから。世のため人のためになることをするという価値など足蹴にされ、拝金主義者が闊歩するアメリカのようになりつつあるんだろうと思います。
日村秋介 | URL | 2007/03/10 (土) 11:44:13 [編集]
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