右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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「談合」再考(1)
以前、談合について弁護するような事を書いたことがありますが(『「談合」が諸悪の根元なのか?』)、私にはどうもマスコミで騒がれている事には間違いが多いという経験則みたいのがあって、たぶん談合もそれなりに必要な部分があるのではないかと思って考えて、書いてみたわけです。

その後、談合の実体やその歴史について、何か説明してくれている本がないかなあと思って探していたところ、たまたま「法令遵守が日本を滅ぼす」という新書を書店で手にして、見てみると、談合について少し記述があるのを発見しました。
「法令遵守」が日本を滅ぼす 「法令遵守」が日本を滅ぼす
郷原 信郎 (2007/01/16)
新潮社

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この本の16ページから54ページまでに、談合について書かれています。その内容をごくおおざっぱに抜粋すると、だいたい以下の通りです。


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高度成長時代には官僚までもを含めた談合なしに公共調達を円滑にすすめることは不可能であり、しかもそのやりかたがすべてうまく回転して、競争なしでも無駄な支出を抑えかつ安全性も犠牲にされずにインフラ整備がすすみ、日本の建設土木技術は飛躍的に進歩し、富の分配も中央から地方へ、そして大企業から中小企業へと行き渡り、国家を繁栄させることに成功した、談合はその原動力になっていた。

ところが、高度成長から低成長時代へと以降してからが、うまく回らない部分が出てきた。その時点で「談合」のありかたについて何らかの見直しをして、多少は競争的な入札方法を取り入れたりなど修正する必要があったかもしれない。しかし、その時やったのはそういう事ではなく、それまでうまく回ってきた談合を、「犯罪」として取り締まることによって完全に談合をなくそうとした。

しかしこの時点においても談合は入札制度の不備を補ってあまりある「制度」であったために、談合はなくなるのではなく、隠蔽されるという方向へ進んでしまった。

大事なのは、談合を続けるかなくすかという問題ではなく、社会経済状況にあわせた修正が必要であったという事。「総合的に見て良質かつ安全で安価」に公共調達を行うには談合全否定や市場原理主義はあまりに極端でむしろマイナスであるという事。

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上は、多少私の解釈の入ったまとめになっています。それでは、もうすこし詳しく説明して行きます。

【1】高度経済成長期における談合の果たした役割

【2】談合が悪とされるに至った経緯

【3】談合を一切なくすことによる弊害


この3つの点について、順番に書いてゆきます。途中で力尽きたら、続きは明日以降にまわします。


【1】高度経済成長期における談合の果たした役割

日本型の談合システムがなければ、台湾新幹線も英仏海峡トンネルもなかったでしょうし、何より地震の多いこの国に立ち並ぶ高層ビル群などもなかったことでしょう。

そういうものまで無駄で必要ないと言う文明批判をするならば話は別ですが、たいがいの日本人はそうした技術の恩恵にどっぷり漬かっているのです。原子力発電の恩恵にあずかりならが、原発廃止を訴えるようなものです。

何を言っているのかわからないと言われる方も多いと思いますので、談合の歴史について書いてみたいと思います。

日本型談合システムとは官民連携の良い見本という側面もありますが、別の角度から見ると官民一体の違法制度づくりと言えないこともありません。それはどのようにして形成されていったのでしょうか?

談合が法律にさだめられていないある種の「制度」にまでなったのは、昭和30年代以降の高度経済成長期だそうです。

当時の日本は右肩上がりの成長が続いており、その中で膨大な量の公共工事を発注することが求めれれていた官庁にしてみれば、毎年度の予算を残すことなく執行し、工事を年度内に完了させ、会計検査で問題を指摘されないようにすることは至難の業でした。

それらを安定的に実現するために、非公式な「談合システム」がどうしても必要だったのです。

公共発注に関して、たとえば単純に物を買うような場合ならば、一番安いところから買えば良いだけで、簡単な話で、談合など不要です。しかし、公共工事に関しては、発注した時点で物はできあがっていないわけです。

そこで単純に競争と安さだけで決めてしまえば、いいかげんな業者が受注して滅茶苦茶な仕事をしてやりにげすることだってあり得ますし、それを防ごうと思えば事前に膨大な審査が必要となり、かつ発注後も厳密な施工管理が必要になります。

そんな膨大な仕事を行政がこなそうとするならば、新たに膨大なコストが必要になるわけで、これは現実的には不可能なのです。

談合で信頼できる業者を事前にある程度選定することによって、むしろ行政側のコストはかなり削減されていたのです。

その一方で、談合システムは受注者側にも受注量の安定と安定的な利益の確保という面で多大なメリットをもたらしました。しかし、それが不当に過大な利益につながったとみるのは言い過ぎで、法律で定められた「予定価格上限拘束」によって不当な高値による受注は防止されていました。

しかも、その予定価格は前年度の実勢価格に基づいて決められていたわけで、当時の右肩上がりのインフレ経済ということを考えると、結局それは「低めの設定」にならざるを得ないのです。

その結果として、前年度実績による予定価格の決定とその範囲内での受注は、物価が上昇し続ける経済成長期にあっては、業者側にとっては実質的な受注額が低下しているのに等しく、結果として常にコスト削減と技術革新が求められることになったのです。

談合は、入札・契約制度の不備を補って円滑な調達を可能にするだけでなく、以下にあげるメリットも持ち合わせていました。

(だんだん要約するのが面倒になってきたので、以下、そのまま転載します。)


(1)建設技術の高度化

日本の高度経済成長の原動力となったのは、傾斜生産方式による鉄鋼、重化学などの重工業へのヒト・モノ・カネの集中がもたらした産業の発展ですが、それを支えたのが、建設技術の高度化でした。新幹線などの鉄道や高速道路の建設など交通網の整備、都市での高層ビルの建設など、建設技術開発の高度化によって社会資本の整備が進められたことで、産業の基盤が確立されました。

そのような国際的にも高いレベルの建設技術の開発が可能になったのも、官民一体となった談合システムの構造の下で、大手建設業者に相当程度の利潤がもたらされていたからこそです。その利潤が潤沢に技術開発資金に振り向けられ、建設技術の高度化につながったのです。

会計法の建前どおりに入札における価格競争が行われ、受注業者は最低限の利潤しか得られないという状況であれば、このような開発コストを捻出することは困難だったものと思われます。東京など日本の都市に立ち並ぶ高層ビルも、建設技術の進歩がもたらしたものです。

そういう意味で、建設産業への富の配分は、高度経済成長を支える大きな機能を果たしていたと言えます。


(2)地域の経済振興、中小企業の保護・育成

また、談合システムは、高度経済成長によって生じた富を、都市部だけではなく、地方にも振り向け、地域の経済振興を図るという機能も果たしていました。

前述の傾斜生産方式による基幹産業へのヒト・モノ・カネの集中に伴って、集団就職、出稼ぎなどで大量の労働力が農村部から都市部へ移動しました。それによって地方の経済が疲弊して過疎化するのを防ぐ上で大きな役割を果たしたのが公共工事による地方への利益配分でした。

工事を行うこと自体による経済波及効果より、むしろ重要だったのは、地域の雇用促進や税収確保でした。それは、談合システムによって受注業者が安定的な利益を得られるからこそ可能だったのです。そして、このような地方への富の配分の恩恵に与ったのは、地方の中小企業でした。

中小企業の確保・育成も、談合システムが果たしてきた重要な役割でした。発注者側でも、一つの工事を分割発注したりして中小企業の受注を可能にした上、中小企業のみを入札指名するというような方法を活用して、中小企業の保護を図ってきました。


(3)天下りによる公務員の待遇の補填

戦後の経済復興と経済成長を支えた大きな要因が、有能な官僚による政策立案と実行でした。官庁がそういう人材を確保するためには、それなりの待遇が必要ですが、公務員給与は戦争によって疲弊した経済状況の下で、極端に低く抑えられていました。

また、官僚組織として合理的なピラミッド型の人事体型を維持することに関しても、年功序列制、終身雇用制の日本型経営が主流で、退職した公務員が個人で再就職先を確保できるような労働市場の流動性が乏しい日本では、官庁の組織をバックにした官から民への労働移動、すなわち「天下り」が最も合理的なシステムでした。

談合システムは、少なくとも高度経済成長期までは、法律上公務員に与えられる待遇の低さを補填し、一定レベルの経済的保障を与えることで官僚の世界に有能な人材を確保することに関して、一定の機能を果たしてきたのです。


(4)政治コストの負担

公共工事によって受注業者に提出される利益の一部が国や地方の政治家に還元されてきたことも、そのことの是非はともかく、一定の社会的機能を果たしてきたことは否定できません。談合システムによって経営上のリスクから免れ、安定的あな受注と利益が確保されている公共工事の受注業者は、その中の一定割合を公式・非公式の政治献金・選挙資金として議員や首長の政治家に提供してきました。

戦後、民主主義が社会の価値観の中心に据えられ、国も地方自治体も、少なくとも建前上は選挙で選ばれた政治家によって運営されることになりましたが、日本の民主主義は、個人中心の政治献金によって政治コストをまかなうほどには成熟していませんでした。

それに代わって、国・地方の政治コストを負担してきたのが、談合しすてむによって安定的な受注と利益の確保が可能であった公共工事の受注業界だったのです。


まあ、上の(3)と(4)は、メリットと言えるのか微妙なところですが、(4)にあるように、ゼネコンなどが資金的に自民党をささえてきたのは確かでしょう。それが利権の温床などと言われているのだと思いますし、行き過ぎもあったのかもしれません。

しかし、もしそうした業界が自民党を政治資金的に支えていなかったとしたら、どうなっていたか。おそらく社会党政権が誕生していたのではないでしょうか?

談合によって、利権や汚職という構造ができあがった事はたしかに問題ですが、それではそういうものが一切なくて、戦後の経済発展もなく、さらに社会党が政権を運営することにでもなっていれば、そこから及ぼされる国民への弊害は莫大なものになっていたでしょう。

そう考えるならば、これは決して褒められた事ではないけれども、建設業界が公式・非公式に自民党を支えてきたのは、まあしょうがなかったのかなあと、そのためのコストとしては、しかたなかったかもしれないなあと思わないでもありません。

もちろん国民の多くが、政治は清潔でなければなく、そのために国民の生活が少々貧しくなろうともかまわないし、経済発展など不要だ、くらいの事を言ってくれるのであれば、私はその意見に真剣に耳をかたむける気持ちはありますが、そこまで覚悟のある国民、つまり談合を悪であると糾弾する資格のある国民が一体どれだけいる事でしょうか?

さて、次は、一体どうして談合が「悪」になり、それが糾弾されるようになっていったのか、その流れについて書いてみたいと思います。が、今日はここまでで力尽きました。

実は、ここまで書くのに数日かかっています。昨日の「言葉狩りをやめよ!」のエントリーは気持ちが乗っていたので、ものの1時間ほどで一気に書いてしまえたのですが、談合の話はちょっと厄介です。

ということで、次がいつになるかわかりませんが、とりあえず、つづく・・・

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コメント
この記事へのコメント
おつかれさまです。
素晴らしい。まさに正論ですね。
こういう識見を国会議員をはじめジャーナリストが有し、
正々堂々と発言して欲しい。
自戒を込めて我が国民は奇麗事だけで世の中が動くものでないことを知り、マスコミの煽動に簡単に引っかからないようにしなければと痛感いたしました。
早速件の書籍を購入するとともに、続編を首を長くしてお待ちしております。
馬春 | URL | 2007/02/04 (日) 11:25:27 [編集]
過分なお言葉ありがとうございます。

続きはいつになるかわかりませんが、書きたいとは思います。でもここで紹介した本を買って読んで貰うほうが早いかもしれません。著者は別に談合をもっとやれとか言っている訳ではありませんが。
日村秋介 | URL | 2007/02/08 (木) 09:08:37 [編集]
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