右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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「価値の多様化」と「選択の自由」は善きこと?
昔の人は生き方を選べなかったとよく聞きます。

生まれながらにして職業や結婚相手が決まっていたり、世の中の価値観も限られていたからだそうです。

その結果、生き方はおのずと決められていて、その範囲内で精一杯生きるしかなかった訳でしょうが、それが本当に不幸なことだったのでしょうか?

もちろん不幸につながった場合も多々あった事でしょう。

それに対して、現代は何事も選択の自由が認められ、価値観も多様化した世の中、多様化しているのが善しとされる世の中です。

しかし、それは果たして、現代に生きる我々を幸福にしてくれたのでしょうか?

能力のある人、迷わず決断できる人は幸福になれたでしょう。でも大多数の人間にとってどうかとなると、微妙なところだと思います。
選択の自由ということは、いくつかある中から選べるということですが、選択肢がたくさんあると、むしろ迷って選べないということになりがちです。一つを選べば、後は捨てなければならないという事でもあります。

何か一つを選べば別の可能性を捨てなければならないわけです。そこで、どちらも捨てたくないと思う欲深い人間は、結局のところ、選択に迷うわけです。そして、人間とはえてして欲深い存在なのです。

また、自由に選んだその結果の責任はすべて自分にあるわけです。あらかじめ決められていた人生ならば失敗の責任を「不自由のせい」にできますが、自分で自由に決めたことならば、失敗すれば誰のせいでもなく自分のせいでしかありません。それはそれで、やりがいのある人生かもしれません。

しかし、自分が選択を間違えるかもしれないと思った瞬間に、もう何も行動できなくなってしまいます。

選択の自由などなかった昔ならば、例えば、女性は年頃になれば結婚して家庭に入り子供を産んで育てるしかなかったわけです。それはもう、考える余地もなく世の中の常識であり誰しもそれを望んだために、迷わずそうして、そういう生き方の中でよりよく生きるしかなかったわけです。

それが、どこまで不幸なことだったのでしょうか?多くの女性はむしろ幸せに生きたのではないでしょうか?

ところが今や、女性は仕事か家庭かを選べる時代になっています。これで女性が幸せになったのでしょうか?まあ幸せになったと思う女性も多いことでしょう。

しかし、選択の自由があるということは、裏返せば選択しなければならないということです。

仕事か家庭かどちらかを選ぶ、どちらか選べばどちらかを捨てなければならない、どちらも捨てたくないならば、仕事と家庭の両立を目指すしかない。

そう決断して、それを完全にこなせる女性が果たしてどれだけいるものか。むしろ、苦しみを増やしているだけではないかと思いますが、そのような事を言うのは「女性の権利をないがしろにするとんでもない発言」とか「価値観の多様化を阻害する乱暴な言動」ということで、フェミニストたちから目の敵にされるというわけです。

いや、これはたまたま女性の家庭と仕事ということを一つの例に出しただけであって、何もその事だけを言っている訳ではありません。

たとえば、今は自由に恋愛して結婚相手が選べるわけですし、そういう世の中のおかげで、私などはすばらしい伴侶に恵まれた訳ですが、しかしこれは限りなく奇跡に近い幸運と偶然に恵まれたからであって、一人の伴侶にめぐりあうまでの私は、かなりの紆余曲折を経て苦節を重ねたわけです。

この相手もよいが、もしかしてもっと良い相手が今後現れるかもしれない。この相手に決めてしまうと、もっと良い相手にめぐりあう可能性を捨てなければならない。まあ私はそうは思いませんでしたが。

最近の、特に女性の晩婚化の原因は、一人の相手を選んで決断してしまうと、他の選択肢を失ってしまうこになり、それが怖いから、という側面があるのではないでしょうか?

男女の区別を関係なしに、選択の自由や価値観の多様化によって充実した人生がおくれるのは、特別な幸運に恵まれ、才能や決断力に富んだごく一部のすぐれた人だけではないかと思います。

そして私のような凡人にとっては、選択の自由というのはむしろ欲望をひたすら増幅させて迷いや苦労を増やす事につながってしまう、そういう傾向が強いのではないか、そんなふうに最近は思います。

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コメント
この記事へのコメント
いやー、今日の欧米かぶれの個人主義絶対論者の多くが気がつかない全くの正論で、目から鱗が落ちるような気がいたします。
人間が完全無欠なる存在であるならば、価値の多様化と選択の自由化にうまく適応していけるでしょう。しかし、事実は自戒を込めて言えば、通常の人間は、はなはだ不完全な存在であり、私なども若さゆえの無知蒙昧の状態で、情熱の赴くままに失敗を犯しかねない時もありました。
何とかその危機を脱して今日があるわけですが、今思うと非科学的なようですが、何か眼に見えぬご先祖様の霊が正しき道に導いてくれたようにも思います。
女性のあるべき人生訓のような山本周五郎さんの「日本婦道記」などをよんだ時に人間の幸せの本当の姿がわかるような気がいたします。
当然、フェミニスト達からは非難轟々の罵声を浴びるでしょうが、日村さんが仰るように案外女性の幸せは、決められた運命の中で夫や子供とともに必死に生き抜いていくそんな平凡なところにあるのではないかと思います。
お忙しい中での更新、有難いお話有難うございました。
馬春 | URL | 2007/01/30 (火) 20:53:40 [編集]
>もしかしてもっと良い相手が今後現れるかもしれない

経済学的に言うと人生の機会費用が膨大に膨らんだ社会が現代と言うことになりましょうか。
機会費用は価値が多様化する程大きくなりますから。
情報の完全な内に合理的選択をして、あとは比較優位理論に由り他人に任せるしかありません。
自分が合理的な人生設計に失敗して天職や最愛の伴侶に出会えなくても、
出会えた運の良い他人に社会厚生の増大を期待する他ないと割り切れるかどうかでしょうか。
しかし、その他人の合理的人生設計を恩恵とするほど自分を卑下するのも合理的選択なのかしら?
畢竟「選択の自由」は自分の限界以上の領域を俗な他人を聖人と見做して任せる、現実味のない理論に逸った話に思えます。
まあ、合理的判断を下した人間は失敗しないというのが前提の論理なので私の仮定は無理な話ではあります。
ダラダラと浅学を披露した長文、失礼しました。
minase | URL | 2007/01/31 (水) 00:20:56 [編集]
はじめまして。

まったくもって賛成です。
ただそれを伝えたいと思い、コメントいたしました。
sin | URL | 2007/01/31 (水) 01:36:29 [編集]
>最近の、特に女性の晩婚化の原因は、一人の相手を選んで決断してしまうと、他の選択肢を失ってしまうこになり、それが怖いから、という側面があるのではないでしょうか?

これは、いろいろ調査・分析しているのですが、1つは交際期間(最初に出会ってから婚姻届をだすまでの期間)が長いというのがあります。昔の「長すぎた春」という言葉は死語になっているようで、交際期間7年なんていうのが普通なんです。それから、初婚夫婦の年齢差が縮まっているというのがあります。今は、1.8歳くらいかな。今日は、私の資料置き場であるはてなブクマがメンテナンス中なので正確な資料を出せないのですが(資料を自分のパソに入れないで、ウェブ上に置いてしまうとこういう時は不便)
nami | URL | 2007/02/03 (土) 11:41:41 [編集]
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