右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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藤原正彦氏のコラム
今日、明日はちょっと忙しくてレスも滞るかもしれませんし、引用中心で手抜きを・・・。

正月から産経新聞を読んでいて、一つ二つ、なるほどと共感できるものがあったので、今日と明日はそれらを紹介させていただきます。

今日は藤原正彦氏の文章です。「若い君への年賀状」という形式になっています。私はすでに若くはありませんが、まあギリギリ含まれるかなあと・・・。

産経新聞の朝刊(日付忘れました)の「正論」から転載します。ネット上ではこちらに全文掲載されています。


若い君への年賀状

人類が誇れる文化生んだ日本

藤原正彦(お茶の水女子大教授 数学者)

 してはいけないこと

 新年おめでとう。君にとって、日本そして世界にとって、今年が昨年より少しでもよい年になるように祈っております。といっても、少しでもよい年にするのは実は大変なことです。

 君の生まれたころに比べ、わが国の治安は比較にならないほど悪くなっています。外国人犯罪の激増もあり、世界で飛び抜けてよかった治安がここ10年ほどで一気に崩されてしまいました。

 道徳心の方も大分低下しました。君の生まれたころ、援助交際も電車内での化粧もありませんでした。他人の迷惑にならないことなら何をしてもよい、などと考える人はいませんでした。

 道徳心の低下は若者だけではありません。金融がらみで、法律に触れないことなら何をしてもよい、という大人が多くなりました。人の心は金で買える、と公言するような人間すら出て、新時代の旗手として喝采を浴びました。

 法律には「嘘をついてはいけません」「卑怯なことをしてはいけません」「年寄りや身体の不自由な人をいたわりなさい」「目上の人にきちんと挨拶しなさい」などと書いてありません。「人ごみで喀やくしゃゐをする時はロと鼻を覆いなさい」とも「満員電車で脚を組んだり足を投げ出してはいけません」もありません。すべて道徳なのです。人間のあらゆる行動を法律のみで規制することは原理的に不可能です。

 心情で奮い立つ民族

 法律とは綱のようなもので、どんなに網目を細かくしても必ず隙間があります。だから道徳があるのです。六法全書が厚く弁護士の多い国は恥ずべき国家であり、法律は最小限で、人々が道徳や倫理により自らの行動を自己規制する国が高尚な国なのです。わが国はもともとそのような国だったのです。

 君の生まれる前も学校でのいじめはありました。昔も今もこれからも、いじめたがる者といじめられやすい者はいるのです。世界中どこも同じです。しかたのないことです。

 でも君の生まれたころ、いじめによる自殺ははとんどありませんでした。生命の尊さを皆がわきまえていたからではありません。戦前、生命など吹けば飛ぶようなものでしたが、いじめで自殺する子供は皆無でした。

 いじめがあっても自殺に追いこむまでには発展しなかったのです。卑怯を憎むこころがあったからです。大勢で一人をいじめたり、6年生か1年生を殴ったり、男の子が女の子に手を上げる、などということはたとえあっても怒りにかられた一過性のものでした。ねちねち続ける者に対しては必ず「もうそれ位でいいじゃないか」の声が上がったからです。

 君の生まれたころ、リストラに脅かされながら働くような人はほとんどいませんでした。会社への忠誠心とそれに引き換えに終身雇用というものがあったからです。不安なく穏やかな心で皆が頑張り繁栄を築いていたから、それに嫉妬した世界から働き蜂とかワーカホリックとか言われ続けていたのです。日本人は忠誠心や帰属意識、恩義などの心情で奮い立つ民族です。

 ここ10年余り、市場原理とかでこのような日本人の特性を忘れ、株主中心主義とか成果主義など論理一本槍の改革かなされてきましたから、経済回復さえままならないのです。
 
テレビ消し読書しよう

 なぜこのように何もかもうまくいかなくなったのでしょうか。日本人が祖国への誇りや自信を失ったからです。それらを失うと、自分たちの誇るべき特性や伝統を忘れ、他国のものを気軽にまねてしまうのです。

 君は学校で、戦前は侵略ばかりしていた恥ずかしい国だった、江戸時代は封建制の下で人々は抑圧されたからもっと恥ずかしい国、その前はもっともっと、と習ってきましたね。誤りです。これを60年も続けてきましたから、今では祖国を恥じることが知的態度ということになりました。

 無論、歴史に恥ずペき部分があるのは、どの人間もどの国も同じです。しかしそんな部分ばかりを思いだしうなだれていては、未釆を拓く力は湧くいてきません。そんな負け犬に魅力を感ずる人もいないでしょう。

 100年間世界一の経済繁栄を続けても祖国への真の誇りや自信は生まれてきません。テレビを消して読書に向かうことです。日本の生んだ物語、名作、詩歌などに触れ、独自の文化や芸術に接することです。人類の栄光といってよい上質な文化を生んできた先人や国に対して、敬意と誇りが湧いてくるはずです。君たちの父母や祖父母の果たせなかった、珠玉のような国家の再生は、君たちの双肩にかかっているのです。


太字にしたのは私の手による改変です。元の文章では当然太字にはなっていません。

ところで、ご存じかと思いますが、この藤原正彦氏は、最近ベストセラーにもなった「国家の品格」の著者です。

国家の品格 国家の品格
藤原 正彦 (2005/11)
新潮社

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だいたいベストセラーには縁のない私ですが、これは珍しく買いましたし、また珍しく9割方共感できる本があったものだと驚きました。まさかこの本がそんなに売れるとは思っていなかったので、日本も変わってきている、危機感を感じている人が増えているんだなあと感じました。

ところで上の引用文中に「年寄りや身体の不自由な人をいたわりなさい」という文句がありますが、これについて最近思うところがあります。

最近では、マナーの悪い年寄りが多く(この言い方大丈夫かな?前に老人老人と書いたら怒られたので、高齢者としたほうが良いかな?)、まあ年寄りだからと言って無条件にいたわってやろうなどとは思えませんし、釣りなどしていてマナーの悪いじいさん連中などを見るとむしろ海に突き落としてやりたくなりますが、そういう話ではありません。

「体の不自由な人をいたわりなさい」という話です。

弱者救済については、日本人はきれいごとにながされやすく同情心が時に過剰であるために、「なんちゃって弱者」みたいな一群を作りがちだということがあります。

これも本題ではありませんが、一応何のことかと言っておきますと、社会があまりにも弱者にやさしすぎると、本来ならば努力すれば弱者にならずにすむような人であっても、努力するより弱者(のふり)をしていたほうが楽なものだから、なんちゃって弱者になってしまう、弱者を作り出して増やしてしまうということがあります。水は低いところへ流れると言います。

また、世の中が弱者にたいして、あまりにも腫れ物にさわるかのようにして扱ってばかりいて、アンタッチャブルな存在としてまともな批判もしないというのであれば、中には弱者であることを楯にして、弱者ならば何をしても許されるとばかりにおかしな行動を取っておきながら、それを批判されると、まっとうな批判まで差別だと言ってはばからないような、そうやって社会秩序を崩壊させようとする人たちすらいて、彼らを増長させている側面もあります。

だから、弱者にたいして過剰に寛大すぎるのは考え物です。

しかし同時に、いくら尻を叩かれても、人や社会から手厚い保護やサポートを受けても、どうしても弱者になってしまう人たちというのは必ず存在します。

そういう人たちだけ、本当の弱者だけを手厚く保護すべきなのです。

それこそ自分の努力ではもうどうしようもないほど生まれつきの不幸を背負っている人とか、乗り越え不可能な身体的ハンディキャップを持つ人というのがいるわけです。

私の大学院時代の恩師の息子さんがそうでした。

私が大学院の頃、土日も休まず、そして年末年始やお盆にも田舎に帰るわけでもなく研究室をウロウロしていた私に同情してくれたのか何なのか、この先生は、お正月に家に招待してくださいました。

先生の自宅にお邪魔して、玄関で、奥さんと高校生くらいの息子さんが私を迎えてくれました。その息子さんが、妙にはしゃいでいて、ヘラヘラ笑ったりキャーキャー言ったりして迎えてくれたので、「先生と違ってえらいテンション高いですねえ」と言ったら先生は「ああ、知恵遅れやねん」と言いました。

その言葉のタイミングが絶妙だったのと、いつも冗談ばかり言う先生だったということもあって、てっきりこれも冗談だと思って、私はそこで思いっきり笑ってしまいました。

しかし、その後も息子さんの様子はまったく変わらずそのままで、どうも先生の言っていたのは冗談ではなかったのだと、しばらくしてからわかりました。その後、おせち料理などものすごいご馳走をいただきましたが、何の味もしませんでした。

後で先輩から聞いた話だと、先生の息子さんは先天的な知的障害だとのことでした。

数年前にその先生が定年退官されるのを記念して、パーティーが行われて、私も呼んで頂いて(光栄なことに教え子代表としてスピーチをさせていただいたりもしたのですが)、そのパーティーの挨拶の時に先生が「今まで私は仕事に没頭して、息子のことは妻に任せっきりでしたが、これからは私も息子と一緒に頑張って生きてゆきたい」と挨拶されていたのを聞いて、私は酒が少々入っていたこともあり、ちょっと半べそくらいになってしまいました。

その先生から今でも年賀状が来ますが、毎年、文字だけで文章の年賀状なので、1年の報告みたいな事が書かれています。主に、息子さんとの活動のことなどが多いです。

それで一昨年だったか、「障害者自立支援法」のことについて書いてありました。小泉内閣時代に通った法律です。今年の年賀状にもそのことが書いてありました。

この法律は、私は内容を読んだわけではありませんが、聞くところに夜と、名前こそ「自立支援」などと言って障害者を一人前にするかのような響きがありますが、実際は、一人前に自立など不可能な障害者にたいする援助をカットする鬼のような法律なのだそうです。

安倍政権になってから、多少は見直されて改善されたとも聞きますが、根本的問題は解決していないという話です。

もちろん先生の息子さんとて、何もせずブラブラして保護だけされているわけではなく、「○○学園」みたいなところで、少しでも社会に役立てるように何かできることを探して一生懸命社会にも役立つような活動をしたりと努力しているのです。ニートより余程立派です。

しかし、こういう活動が商売として完全に成り立つはずありませんんから、そういう努力を支える体制を維持するために、組織運営に関してなど、どうしても公的な補助が必要なのです。

そもそも自立不可能な弱者に対して自立を支援するということ自体がふざけたネーミングだと思います。

いくら国の財政が厳しいからとは言え、そこまでするか!?という感じです。

私は、私的にはあまり弱者救済とか募金活動みたいなものはしないタイプです。もちろん全くしないわけではなく、何らかのかかわりや、あまりに程度がひどい場合にはそういう事をしたこともありますが、しかし弱者救済のようなことは基本的には政府のやるべきことだと思っています。

なぜかと言うと、政府というのは国民の「公」心の代表であるべきだからです。これは福沢諭吉がこのような事を言っていたらしいのですが(たぶん)、なるほどと思って私もそう考えています。

しかし中には政府を個人の権利や自由を守ったり欲望を実現させたりしてくれる便利な装置くらいにしか思っていない人もいるかもしれませんが、それは間違いだと思います。

やっぱり政府というのは、国民の公的な側面の代表であるべきであり、そうであるならば弱者救済のような公的な使命を果たすのは政府がやる仕事だと思います。

ところが、この「障害者自立支援法」は、本来は政府が救済すべき弱者にムチを撃つようなひどい法律で、財政が悪化したのは政府の人間の失策によるにもかかわらず、それを糊塗するためとしか思えないような法律を政府が作り出すとは、もう滅茶苦茶です。

このような血も涙もなく美しくもない法案を平然と通す与党を、郵政だか何だか知りませんが、国民は圧倒的に支持して熱狂したわけです。

誰もこの法律に関心も持たず、日頃は耳障りの良い「弱者救済」を偽善的としか思えないほどにうるさく報道しているマスコミすらも、何故かろくに報道さえしませんでしたから、これはもう、日本も終わりだなあと思わざるを得ません。

日本中が偽善者に支配されていると言って過言ではないかもしれません。

・・・と、引用で手抜きをするつもりが、結局思いついたことを長々と書いてしまいました(汗)。

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コメント
この記事へのコメント
ちょうど今。
ちょうど今(大変遅ればせながら)「国家の品格」を読んでいるんですよ。時々笑ったりしています。氏の人柄が面白いですね。でもちょっと短過ぎて物足りないです。

そしてこれまたちょうど今、ニュースによると教育再生会議がゆとり教育の見直しを決めたようです。
ユーグン | URL | 2007/01/11 (木) 19:00:40 [編集]
藤原先生の本は、国家の品格を手はじめによく読んでいます。ほかのも面白いですよ。こういう人が中心となって、日本の教育再生に取り組んでほしいですね。
yamamoto | URL | 2007/01/12 (金) 12:59:14 [編集]
はじめまして。耕と申します。
「歴史と日本人」というブログをやっています。

藤原正彦さんは私も良いと思います。

またきます。私のブログにも訪問くだされば幸いです。
| URL | 2007/01/13 (土) 14:19:57 [編集]
国家の品格
まだ読んでいません! 立ち読みして良かったら読んでみたいと思います。
>弱者ならば何をしても許されるとばかりにおかしな行動を取っておきながら、それを批判されると、まっとうな批判まで差別だと言ってはばからないような、そうやって社会秩序を崩壊させようとする人たちすらいて・・・<
  この部分、私もかねてから、そのように思っていました。
「なんちゃって弱者」はいい命名ですね! 言いえて妙です。
この人たちの主張は、資本主義社会の「競争原理の否定」であるとともに、弱者であることを主張することによって差別の解消以上のことを狙っているように思えます。
Gくん | URL | 2007/01/13 (土) 23:03:25 [編集]
私は、身障者とか弱者に詳しくないですけど。支援の施設などテレビで見ます。家から出かけて施設で何かやって、そして帰る。施設でやってることってまるでおままごとですよ。商品にもならなさそうなもの作って、それで社会への参加というのは、なんかおかしい。それで施設の経営が苦しくなったと言いますがね。ご立派な施設を運営するよりも、もっと金のかからないやり方があるんじゃないかと。
たか | URL | 2007/01/14 (日) 12:16:00 [編集]
国家の品格
最初は、あまり売れるので、相変わらずの空気かなと思いましたが、実際読んでみて感心しました。
今も、売れ続けているのをみると、本当に日本のことを心配をしている人が、これくらい居るのではないかと思います。
まだ諦めるのは早いのでは。
kuni | URL | 2007/01/15 (月) 06:39:25 [編集]
関岡英之氏が出版妨害の被害にあう
http://bbs10.fc2.com/php/e.php/dokuhebi-bbs/
このBBSのスレを参照のこと
通りすがり | URL | 2007/01/18 (木) 00:07:28 [編集]
>君の生まれたころに比べ、わが国の治安
>は比較にならないほど悪くなっています

個々の部分だけで事実と違うと思うのですが・・・。
| URL | 2007/01/18 (木) 19:21:46 [編集]
品格ゼロの藤原正彦
 江草乗のいいたい放題 の掲示板からの転載

普通の企業と同じで、教育界もほんの一握りの「聖職」あるいはそれに準ずるような呼ばれ方に値する優れた教師と、生活の資を得るために教師という職を選んだ大多数のデモシカ教師と、少数のクズ教師とで構成されている。

 ここでこの主題から外れるが、新田次郎のことを書いたら、新田次郎の次男で、例の「国家の品格」という駄本で1億近いあぶく銭を稼いだ似非数学者藤原雅正彦について書きたくなった。なお以下の文章は、元航空自衛隊の幹部であった「平成山人」のブログに負っている。

>NHKの「現代クローズアップ」という番組で放送された「超ヒット新書の祕密」で、藤原正彦の 「國家の品格」をヒットさせた新潮社の祕密を擔當編輯者だか誰かが出演して、大意、次のやうに語つてゐた。

曰く、始めに思ひ附いたのは 「國家の品格」 と云ふタイトルだつた。しかし、そのタイトルに相應しい原稿を新たに書き起こすのでは、時間が掛かり過ぎて出版のタイミングを逸して仕舞ふ。そこで、偶々存在した藤原正彦さんの講演テープを活字に起し、取敢へず、それに手を加へて出版した處、忽ちベストセラーになつた云々。

詰り、「國家の品格」 と云ふ、賣れさうなタイトルの本さへタイミングよく出版できれば、内容はどうでも良かつたと云ふ事なのだ。

私はそれを聞いて、本來 「文化事業」 たるべき出版社の餘りな 「金錢至上主義」 に怒りを覺える一方、納得もした。と云ふのは、試みに本屋の店頭でその 「國家の品格」 を手に取り、ぱらぱらと拾ひ讀みして見るが良い。 「成程、内容はどうでも良かつたのだな」と思はせるやうな嘘やら出鱈目やら矛楯やらが、直ぐにも目に著くからである。<

 私は元来国家とか、道徳とか言うことを声高に主張する手合いの本は読まないことにしているので、その駄本の内容はよくは知らないが、書評などで大体は了解している。平成山人の文章はその駄本の前後矛盾・自家撞着・デタラメ・うそなどを完膚なきまでに批判している。

 それによると、かの駄本は、表題や喧伝されている内容とは大違いで、要するに金儲けの企業のためにやっつけの手抜き仕事でデッチアゲタ印刷物だそうである。そしてその企画に乗っかり、売れれば印税がたんまり入ってくると胸算用した似非数学者藤原正彦は、やっつけ仕事で駄本のでっち上げに協力して出版し、見事に思惑が当たったというわけだ。もちろん、「東京大学」に現役合格して、大学院に進み、欧米に留学した「秀才」で、しかも父親が高名の小説家であるから、ざっと読んだところはそういった手抜き仕事とは分からないような工夫が凝らされているから、ほとんどの「浅はかな」読者は手もなくだまされ、「国家の品格」なる駄本はベストセラーになって、猫も杓子もヒンカクヒンカクと浮かれて、ついには2番煎じ3番煎じのヒンカク本が山のように沸いて出てきた。売れに売れたことで巨額のあぶく銭を手に入れた上に、似非数学者藤原正彦は一躍品格評論屋に祭り上げられてウハウハである。

 しかし、己自身が本来品格ゼロの手合いであるから、すぐにめっきがはがれてしまう。例えば、週刊新潮に「藤原正彦の管見妄語」という連載文章を書いている。6.18日号のものは「いっぱいいっぱい」という題で、昔の教え子にからんだ話が書かれているが、読むに足るほどのものではない。そして、その文章中には案の定とんでもないことが書いてある。

 その教え子は藤原のゼミ生だったそうだが「このゼミでは、20名ほどの学生が週に1冊の名著を読み論評を提出、授業中はディスカッションをする、というきついものだった。以下略」だそうだ。あれ藤原センセーはゼミでは数学ではなくて、文学論を講義していたんだ。数学を講義するという契約で国立大学教授に任用されていたはずだが、1に国語、2に国語3、4がなくて云々、という持論を見事に実践なさっている。それともご自身の数学の実力がゼミ学生にも劣るから、数学の講義をしたら正体がばれることを恐れたかな。

新井 | URL | 2009/07/11 (土) 14:39:23 [編集]
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