右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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国民の分裂を止めよ
ブログをはじめた頃(DR.マッコイと名乗って旧ブログをやっていた頃)の主な関心は、歴史認識やナショナリズム、反日、特定アジア方面でした。

ところが、小泉構造改革以来、私の関心は内政にも移ってきました。具体的には経済政策および、自由や格差についてどう考えるかなど。

格差の問題は難しいと思います。現実にどの程度格差が開いたのか、指標がいくつかあり、それらを見てもよくわかりません。マスコミ報道をうのみにするわけには行かないでしょう。

しかし、昨今の若者の就職の問題や、身近で失業者が続出したりなどを見ると、昭和と平成では日本は変わってきていると思います。格差が広がっている・・・そうかもしれません。

ところで、私はこの「格差」と言う表現が実はあまり好きではありません。現状の正確な表現とは思えないからです。と言うのも、そもそも格差があるのはあたりまえだからです。いつの時代にもあるもので、なくすことは不可能です。

問題は、格差が過剰かどうか、もしくはこれまでとは逆に格差が拡大する方向に向かっているかどうか、その結果、日本がどうなるのか、です。それが問題なのだと思います。おそらく、そういう方向へ向かっているのは間違いないでしょう。

この状況がさらに進むととどうなるか。

国が分裂します。

現実に、国民がさまざまな形で分裂しつつあります。

高額所得者と低所得者、労働者と経営者・株主、若者と高齢者、官僚・公務員と民間人、都市部の人と地方の人・・・このような形で、対立軸がどんどん増えて行き、お互いに理解や共感がどんどんできなくなって行く、これは国家を構成する国民がどんどん分裂して行きます。

国民の分裂は国家の分裂を招き、結果として日本国家は弱体化します。

日本のあるべき姿は、天皇を中心とした、国民みなが家族のように感じられる国だと私は思います。最近ではそう思っている人はかなり少ないでしょうが・・・

でも、やっぱり国民は基本的にみな仲間、同胞です(もちろん反日日本人など一部の例外はありますが)。

立場や経済状況に多少の差はあっても、国民はお互いに協力すべき仲間、家族のようなもの、同胞、それが、保守派にとってめざすべき日本ではないでしょうか?

そのような国民の一体感が失われると言うことは、いろいろな事情があるとは思いますが、経済政策や産業構造などは政治によって変えられる部分もあるのですから、できることはやれば良いと思います。

ところが、そうではなく、逆の方向へどんどん進んでおり、それが「格差の拡大」と言われているかと思います。

でも、やはり本質は経済格差の問題と言うより、私はやはり「国民と国家の分裂」の問題だと思います。

構造改革に限らず、最近の政治は、二者択一の政治、国民を分裂させて対立に導く政治が人気を集めやすい傾向にあります。

たしかに、わかりやすいですが、その結果として、国民が分裂し、国家も分裂する方向へと向かいます。

世界的な危機に直面しているにもかかわらず、国民が団結して協力しあうのではなく、敵対する方向へと向かってしまう、これは残念ですし、危険なことです。

どうして国民はこんなに分裂してしまったのでしょうか。

構造改革路線が一定の格差拡大に寄与したと当初は思っていましたし、新自由主義的な経済政策をやれば経済格差が拡大すると言うことは理窟でわかりますが、それだけでもないでしょう。

そこには、やはりグローバリズムと言うものも大きく関与していると思います。経済のグローバル化によって、資本の海外への移転、特に製造業の拠点が海外に移転するのは、国内の雇用が失われる。その結果、社員は「労働者と経営者」として分裂、労働者も「正規雇用と非正規雇用」に分裂しました。

その結果として、中間層が破壊された。

と言うのも、やはり製造業に従事する労働者がそれなりの給料をもらって安定した生活を送ると言うことが、分厚い中間層の形成に寄与してきたと思うからです。データとかありませんので断言までしませんが。

また、公共事業の縮小と言うことも格差拡大に寄与したでしょう。日本の建設業界は非常に裾野が広く、そこに直接・間接にかかわる人と言うのは膨大です。

ここに流れる金を急激に止めればどうなるか。大量の失業者が発生し、国内の景気も冷え込み経済は悪化すると考えられますが、実際にそうなったと思います。

この問題では、建設業界が悪者にされ、そこにかかわっている人々と一般大衆が分裂しました。多くの人はインフラなど整っていてあたりまえと思っていて、建設業のありがたみがわかっていないのです。

もちろん、景気を維持するために無駄な公共事業をやれなどと言うことを主張したいのではなく、そんなことしなくても、実際には必要な公共事業はいくらでもあり、インフラの更新や震災対策などで、これからどんどん増えて行くのは間違い有りません。

なのに減らしてしまったと言うことは、格差拡大や景気に悪影響を与えただけではなく、今後の日本にとって、国民の生命や財産をおびやかす自体になりかねない、未来世代の便益をかなり犠牲にしてしまう可能性がある、そう思います。

公共事業の削減は構造改革路線の一部でしたが、民主党政権になってコンクリートから人へでさらにすすみました。

しかし、コンクリートの削減は、人の命もあやうくする、将来世代にたいして何の準備もしてあげずに、日本を無防備化するものであります。

それから、格差の話で言えば、デフレと言うこともかなり大きいと思われます。特に、世代間の格差はデフレによるところもあるのではないでしょうか。

デフレになると、若者世代の雇用環境がきびしくなりますが、貯蓄のある高齢者はむしろありがたい、これが、若者と高齢者の分裂を引き起こしています。

そうして考えてみると、格差と言われているもの、その結果として生じる「国民の分裂」(主に経済面に由来するもの)の原因は4つくらいあるようです。

新自由主義・構造改革
経済のグローバル化
公共事業の削減
デフレ

で、面白いことに、デフレの原因は、もともとはバブル崩壊でしょうが、これだけ長く続いているのは、構造改革路線のせいだろうと思います。橋本龍太郎のはじまった構造改革からはじり、その後断続的に続いた路線です。

構造改革、新自由主義的な経済政策の柱は、規制緩和・自由化と言うことですが、これはインフレ対策として有効なもので、デフレを悪化させます。なので、これがデフレの原因もしくは長期にわたるデフレの要因になってきた。

また、公共事業の削減も構造改革路線からはじまりました。

デフレの話とあわせて言えば、小泉時代には一時かなり日銀が金融緩和して、デフレから脱却しかけましたが、あのときは、公共事業を減らして本来ならデフレになるところが、金融緩和と、アメリカのバブルに支えられた世界的好景気による輸出の大きな伸びがあり、デフレから脱却しかけました。

しかし、輸出主導の好景気は、格差の問題を解決するどころか、労働賃金はさがりつづけ、まるで効果なし、むしろ事態は悪化し続けました。

あのときは、金融緩和と世界的な好景気のおかげで、一時的にデフレから脱却して、好景気になりましたが、金融緩和で流されたお金が公共事業を経て国民に広く循環するのではなく、むしろそちらの流れを止めた結果、あふれたお金が投資と言うか投機に流れたり、ホリエモンや村上ファンドなどが沸いて出て六本木ヒルズができました。

グローバル化による労働賃金の低下とあわせて、さしたる正当性も無い高額所得者が沸いて出ることにより、これまた国民の分裂を引き起こしました。

要するに、この10年ほどか、もっと長い期間、日本人は、主に経済的な側面であるとは言え、ひたすら「国民を分裂させる」ようなことばかりやってきたのです。

そこで、取り戻すべきは、国民の一体感でしょう。

これは、単に、国旗や国歌を尊重したり、天皇陛下を持ち出せば解決する問題ではありません。

もちろん、それらは重要ですが、そういうことばかりクローズアップするのは、現実に存在する「国民の分裂」から目をそらす手段として利用されてしまう可能性もあります。

なので、グローバリズムと新自由主義的政策を組み合わせたことを主張する人(橋下氏など)は、保守的な価値観を無理矢理持ち出しているのかと思います。

国内が滅茶苦茶になっている惨状から目をそらす効果が期待できます。

しかし、それではだめなのです。国家の基本となる価値観(天皇、国旗国歌、歴史)と、現実にある生活水準や常識の感覚などによる一体感は、両立させなければならないのです。

そのためには構造改革路線やグローバリズムによって引き起こされた「国民の分裂」を修復するのが不可欠です。

これは健全なナショナリズムです。

これまでとは逆に、構造改革路線とグローバリズムの見直しをしなければなりません。

これをわかっている人は、自民党の国会議員の一部にもいますし、何より、政治ブログをいろいろ見ると、以前とは違って、構造改革路線の支持者はかなり減ってきていますし、むしろ、そうしたものを見直すべきと言っている保守系のブログが増えているように思います。

まだまだこれからですが、希望はあると信じたいです。

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コメント
この記事へのコメント
シカゴ学派の欠点は、合理的個人を想定してしまう点にある。
数値として表しやすいので説得力がありますが、これらから導き出される答えは条件次第によって、時に大きな混乱をもたらす。
その混乱は、資本主義そのものの矛盾が秩序の乱れに左右され、時に小さく、時には大きくもなるのではないか。
しかし、それは自由主義という志しに起因するものではなく、合理的個人を想定したことによる誤りであり、自らも不完全な人間だという意識の欠落によるものであろう。
けれども、これは、闇雲に政府にぶら下がる経済学もまた、同じことが言えるのである。
つまり、みな、前提となるものの根拠が不確かなのであって、前者であれば不完全な人間を除外し、後者であれば金があればあるほど消費をするとする。
だから、仮定をすると、としているのである。
そのように、仮定はあくまでも仮定であるのだが、近頃では過ぎたる希望として扱われるケースが多く、経済学は年を重ねるたびに、未来を予測できるかのような学問として、人々を惑わせ争いの火種を無責任に撒き散らかしているかにみえる。
今では経済学をかじることのメリットは、経済の規則性、つまり、真の経済発展の条件に何が求められるのかに辿り着ける可能性と、そこまで行きつくことができなかった学者の戯言に踊らされないことくらいであろう。
人々を豊かな生活に少しでも導く経済学は、未来の姿を見渡すことができる学問ではなく、良き未来を手に入れるための土台を構築する学問で、その主役は不完全な人々の経済活動である。
そのためにどうするのか、そうすることで、はじめてマクロモデルが描けるのであるというのが私の、いまの到達点である。
マクロとミクロは別々などではなく、密接な関係があり、どちらかを少しでも欠いたら成り立たない。
今の日本でいうならば、財政政策にしても、金融政策にしても、最も注意すべきその点を置き去りにして、目先の議論だけに固執してしまっていると言わざるをえない。
自由 | URL | 2012/02/22 (水) 19:07:05 [編集]
長文
すべて御意です
マッコイさん記事でおもいだしたのが。このまえよんだ岩田温/逆説の政治哲学ほどよみやすく心うごかされた本をしりません
まえ記事レス、橋シタ市長はコスモポリタンちうか究極の戦後の申し子です。石原マエバリにおなじく浮き草でしょう
ハンディ12 | URL | 2012/02/22 (水) 21:56:22 [編集]
もう一度、戦中戦後のように、食べ物をもとめて見下していたものへ土下座して恵んでもらうようになれば、目が覚めるのでは?
〇〇 | URL | 2012/02/23 (木) 00:13:14 [編集]
>自由さん
ブログとかされてないんですか?ここで長々書くより、自分でブログをやってじっくり主張するほうが説得力出ると思いますよ。


>ハンディ12さん
面白そうな本ですね。ちょっと書店で探してみます。ありがとうございます。

>○○さん
そこまで貧しくならないとわからないようでは、厳しい者が有りますねー。もっと早く気づいて欲しいですが・・・
管理人 | URL | 2012/02/23 (木) 08:38:49 [編集]
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