右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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保守は自由を求めない
時々目にする主張に「保守は自由を求める」と言うものがあります。しかし、私はこの定義に疑問を感じます。

自由とはそもそもフランス革命の時のスローガン「自由・平等・博愛」のうちの一つです。革命の理念と言って良いでしょう。

保守かどうかは、国柄を保守するかどうか、国柄つまり歴史や伝統を重視するかどうかの問題です。

その点で言えば、アメリカの保守は経済的な自由を求めるのはわかります。

コメント欄で「保守もリバタリアンは政治的には相反しても経済的には自由を求めている」と書いている人がいましたら、まずこの言い方に非常に強い違和感を感じます。

たしかに、保守は共産主義・社会主義のような経済的制度を認めないのは、それはその通りでしょう。

しかし、だからと言って、日本の保守が、リバタリアンと同じような「程度」や「種類」の経済的な自由を求めているとは思えません。

こういう言い方をする人には、経済のしくみと言ったら社会主義と自由主義の二つしか無いと思っているのでしょう。

やはり新自由主義者?リバタリアン?よくわかりませんが、自分の立ち位置から見て少しでも所得再分配や経済的な規制があると、即・社会主義と決めつけてしまう、かなり両極端な人の発想だと思います。

現実には、社会主義と自由主義にもいろいろあります。

正確に言えば、ソ連のような共産主義とアメリカの共和党のような自由主義のあいだには、無数のバリエーションが存在します。

まず、そのことがわからず、経済のしくみは、社会主義と自由主義の両極端に二つしか無いと思っている。

もしくは、まんなかで線引きができると思っている。こちらは、少しましな分類とは思いますが、個々の政策の組み合わせは、そう単純ではないでしょう。

経済体制として、共産主義と自由放任主義の両極端の間のどのバリエーションを選択するかについては、保守ならば、国柄で決めようとするものだと思います。

特定の階層の「自由」という尺度から見るのは偏っています。

また、ナショナリストの視点から見れば、国家が分裂することは好みませんので、国全体で見ようとするはずです。特に、日本の国柄は、天皇を中心とする家族のような国です。みなで助け合うのが基本です。

結局、自由主義者と言うのは、リバタリアンでも結構ですが、強者の自由、すでに何かを勝ち取った人間の自由について、制限を加えるなと言う思想です。

こんなもの、日本の国柄にあいません。

従って、あえて挑発的に、タイトルでは「保守は自由を求めない」と書きましたが、実際には、自由とかの尺度は保守かどうかを分類する本質的な問題ではないのです。

なぜなら、自由かどうかは、その人の置かれた立場によって決まります。

アメリカの保守は自由を大事にするとは言っても、共和党の自由と民主党の自由はまったく違います。

共和党の自由は、強い者が勝ち続ける自由ですが、それをやると、弱者・敗者は負け続けます。そもそも弱者・敗者に自由はありません。

そこで、アメリカ民主党あたりは、弱者の自由を政府が実現しようとします。それをリベラルと言うのでしょう。

したがって、アメリカでは自由と言うのは立場によってまるで質が違うと言うことです。そして、「自由」と言う言葉は、階層によって根本的に異質な概念になっているのです。

フランス革命のスローガンの「自由」と、アメリカの「リベラル」とは似たような意味、「弱者の自由」のことだと思います。

従って、自由の意味などその人の立場や状況によって変わるものですし、その程度や質についても無数のバリエーションがある、そういうものを保守がスローガンにするのはおかしいのです。

日本の保守なら、日本の国柄にふさわしい自由の程度を考えるべきです。

そして、日本の国柄は、決して自由放任ではありません。

むしろ、特定の階層が搾取しないのが日本の国柄であると言うことは、皇室の歴史を見れば明らかです。

まとめますと、経済制度は、共産主義と経済自由主義のあいだには無数のバリエーションが存在するので、日本がどのバリエーションを選択するかは日本の国柄と経済状況で決めれば良い。

短期的には状況を見て、つまり今はデフレなので、自然と財政出動や所得再分配を重視した政策にならざるを得ない、長期的には、日本の国柄を考えておとしどころを考えつつやって行くと言うことです。

その際には、日本と言う国家が分裂しないようにする、それが保守です。

日本は天皇を中心とする家族のような国柄です。家族ならば、経済的に苦しんでいる者がいれば、助け合うのが当然です

もちろん、家族でもどうしようもない者がいれば、追い出したり勘当したり罰を与えると言うことはありますが、特定の階層や特定の集団の自由ばかり認めたり、放置したりするのは、日本の国柄に反します。国柄に反するのは保守ではありません。

あと、くりかえしますが、所得再分配的な政策をやっただけで、社会主義のレッテル貼りをするのはもう止めて下さい。それが必要な場合もあれば、やりすぎの場合もある、程度や状況によって決まるのです。

日本国民は仲間、家族であり、皆で強力して国家を繁栄させなければなりません。

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