右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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ホリエモン収監・・・彼こそ構造改革の象徴
ホリエモンの有罪が確定し、もうすぐ収監されるようです。

私はブログでずっとホリエモンを批判してきました。何故か。とにかく私は彼が嫌いでイヤでしょうがないのです。

彼と私とでは、考え方のすべてが逆と言って良いほど違います。価値観に接点が無さ過ぎるので、言うことのすべてが気に入りません。

価値観が違うと言うことは、こうまでも不愉快なものなのかと自分でも驚くほどです。

なので、有罪が確定して収監されると言うのは、どんな罪であれとても喜ばしいことですが、いずれ出てきてまた好き勝手放題なことを言いまくるんでしょう。

今日はホリエモンのことを書こうと思い、過去にどんなことを書いたか調べてみると、面白いことに気づきました。

彼が一審で有罪判決を受けた時に書いた文章です。
当時はホリエモン擁護派の言い分として、国策捜査への批判も高まっていました。しかし、それは私は規制緩和の当然の(やむをえずの)結末であると、そう書いたようです。

そこでもう一つ面白いのは、最近するどいTPP反対論で評判になっている中野剛志氏の文章を引用している点です。

中野剛志のことは、TPPで注目される以前から、名前くらいは知っていたのですが、彼の文章をブログに引用していたのは、恥ずかしながら忘れていました。

今日は、その文章を引用したホリエモンについてかつて書いたものを再度ここに載せておきたいと思います。4年前に書いたものです。

引用している文章の中で、途中からさらにもう1年前に旧Drマッコイのほうで書いた文章の引用になっており、、ちょっとややこしい構造になっている文章です。


↓↓↓↓↓↓2007年3月18日の本ブログより引用↓↓↓↓↓↓

【ホリエモン】規制緩和が検察権力を肥大化させる【大嫌い】

ホリエモンが懲役2年6ヶ月の実刑判決を受けました。

(中略)

私はホリエモンや村上ファンド逮捕に見られるような国策捜査、検察のある種の暴走というか検察権力の肥大化を招いたのは「規制緩和」のせいだと思います。

規制緩和は別種の規制強化をもたらすというのは常識だと思いますが、ホリエモンや村上ファンドを生み出した規制緩和は、検察権力の肥大化、検察資本主義という体制を生み出してしまったのだと思います。

規制による事前調整が崩壊すれば、権力による事後取り締まりが必要になります。何らかの権力強化が必要ですが、実際にはホリエモンや村上ファンドみたいのは野放し状態だったわけで、その結果として検察権力が暴走というか肥大化せざるを得なかったのでしょう。

ですから、今回の問題で検察の暴走だとか国策捜査という批判をするのであれば、そもそもそれを招いた規制緩和のやりっ放しを批判すべきです。

検察が逮捕するまでホリエモンや村上ファンド的なものは野放しでしたから。本当なら、規制緩和をするときに、新たな法規制なり何かのルール造りもあわせてすべきだったのが、ただ規制だけ緩和して自由というか無秩序にしてしまった、政府の失策のせいでしょう。

ところで、ほぼ1年前に旧ブログでホリエモンについて書いたのですが、その文章は今回の件についても私の考え方を示せているように思えましたので、ここに再度引用させていただきたいと思います。

- - - - - - - 旧ブログからの引用ここから - - - - - - -

「格差」についてと構造改革が生んだヒルズ族という新たな政府への依存勢力


落合氏(注:落合信彦氏)は『格差社会は能力のあるものにとってはチャンスの到来なのだ、実際そのチャンスを生かして勝ち残った「実業」を持つ勝ち組がたくさんいるんだ』などと言っています。

しかし正直、落合氏の言っている事は疑問ですね。いったい「実業」を持つ本当の勝ち組とは誰の事を言っているのか書いていないのでわかりませんが、ヒルズ族のような勝ち組が実力でのしあがったと思ったら大間違いだと思いますし、上でも書いた通りホリエモン台頭をマスコミだけのせいにしていますが、その認識もおかしいと思います。

まず、どうも構造改革路線によって台頭してきた「勝ち組」を、彼ら自身の力で勝ち上がってきた実力者みたいに考えているのではないでしょうか。それがそもそもおかしいと思います。

構造改革論者が強調する点に、これまでの「公共事業」「財政政策」への批判があります。その流れとして彼ら曰く、

・日本人は政府の保護や指導に依存しない「自律的な個人」となるべきである。
・六本木ヒルズに住む「起業家」らは、政府の政策に依存せず大企業や労働組合のような組織にも依存せずに個人の能力で成功を収めた実力者たちである。
・彼らのような起業家が続々と現れるのが「努力した人が報われる社会」である。
・彼らのような「勝ち組」を否定的に見るのは「自立した個人」を抑圧する日本的な「横並び意識」のせいである。

このような考え方がそもそも間違いだと私は思います。この点に関して、先日買った「表現者」(注:表現者2006年第6号)という雑誌に興味深い文章がのっていました。中野剛志氏という人が書いていますが、ちょっとどういう方かわかりません。元通産相の役人で今は「経済ナショナリズム」が専門と書いてありました。


構造改革が生み出す「自律なき個人」 中野剛志

(前略)

筆者は、以下に述べる二つの理由で、構造改革は、個人の自律という理念に根本的に反するものであると考えるのである。

その第一の理由は、構造改革論者は、公共事業に頼っている地方の経済や事業者を、政府に依存して自律できていないとして批判する一方、六本木ヒルズ族のような新興成金の「勝ち組」を褒め称えているが、実際には「勝ち組」も政府に依存しているという点である。

なぜなら、彼らは、ゼロ金利と量的緩和という異常な金融政策によって生じた資金の過剰流動の恩恵を受けて成長したのだからだ。

したがって、今般の日本銀行の量的緩和解除は、資金の過剰流動性を解消し、バブル崩壊と共に六本木ヒルズ族の栄華を終わらせる可能性がある(そのせいか竹中大臣は日銀の量的緩和解除の決定にかなり落胆していた)。

五年ほど前のITバブルの崩壊もまた、日銀の政策変更によるところが大きいが、今回も同様のことが起きるかもしれない。

要するに、構造改革路線は、地方経済や建設業者による財政政策への依存を攻撃し、断ち切る一方、金融政策に依存するファンドやIT関連企業を生み出していたということである。小泉政権は、政府に依存する経済の体質を改めたのではなく、新たな依存体質に作り替えたに過ぎない。

しかも、これまでの財制裁策に依存する経済構造と、現在の金融政策に依存する経済構造を比較すると、後者の方がはるかに性質が悪い。なぜなら、前者は、社会格差・地域格差を是正する所得再配分機構があるが、後者は、社会格差・地域格差を悪化させるだけでなく、国富を海外に流出させる場合すらあるからだ。


「勝ち組」が依存しているのは金融政策だけではない。周知のように、金融市場関連の規制緩和もまた、彼らの急成長に貢献した。しかし、規制緩和とは、民主導で行われるのではない。規制の強化と同様、緩和もまた政府によって実行されるのである。

橋本政権から小泉政権に至る、時の国家権力によって六本木ヒルズ族が生まれたのであり、市場から自発的に発生したのでも、彼らが国家権力に挑戦したからでもない。構造改革論者は、田中角栄以来の財政政策を巡る政官財の依存関係を是正するのだと叫んできたが、その結果生み出されたのは、別種の政官財の依存関係であったのだ。

(後略)



まあ結局のところ、外資にしても新興成金勢力にしても、日本経済のこれまでの秩序をなんとかぶちこわさないことには自分たちの「ビジネスチャンス」がないわけで、構造改革による混乱に乗じて金儲けしている、そういう政策を歓迎し、それに依存しているという事ではないかと思います。

社会の混乱につけこんで成長するというやり方は、戦後の混乱時期に駅前などの一等地を不法占拠してパチンコ屋がはびこったのに似ている気がします。

そういえば、ホリエモンは、そっち系だというウワサがありますね。本当かどうかは知りませんし、あくまでウワサでデマかもしれませんが。たぶん彼の出身地である福岡県八女市はそちら方面の方々が多いからとか、彼がやたらと韓国を持ち上げていたり天皇制を否定したりなどの言説などからこういう事が言われるのでしょう。

それはともかく、少なくとも、ヒルズ族みたいなのが自分の実力や努力で成功を収めた人々というふうに単純に持ち上げるのはどうかと思います。もちろん混乱に乗じて成功するというのはある種の能力でしょうが、最近の風潮では「法律に違反しているわけではない」なんて事がまかり通るようになっていますから日本人の意識もかわったようです。

もちろん、きっちり法で取り締まるのは事後取り締まり型の社会に変えるなら一番考えなければならないのに、そこらあたりすらおろそかにしていた政府の責任はかなり大きいと思います。

「改革を急げ!」という感じでそればっかり考えて急激にやろうとするからでしょう。まあ私は事後取り締まり型にはそもそも反対で事前調整型が望ましいと思うのですが。

「構造」という根本的なものを改変してしまう政策を「急激」にやろうとするなんて、とても保守とは思えないわけですが、自称保守という方がどうして支持されるのかわかりません。朝日とかそちら側、国家を弱体化させたい人や、進歩主義者みたいに改革はすべて改良となると脳天気に考えている単純オツム系が支持しているのはまだわかるのですが。

- - - - - - - 旧ブログからの引用ここまで - - - - - -


構造改革推進派の方々は、自由な市場競争の結果の勝ち組があたかも実力のみで成功したかのように言うことがありますが、それは大うそで、実際には新たに政府と癒着したり、新しい政策の恩恵を受けた結果だったり、単に混乱に乗じてたまたま成功しただけであったりと言うのが実際の姿でしょう。

利権の構造そのものを破壊しても、新たな体制の下での新たな利権の構造ができあがるだけです。そして新たなもののほうがタチが悪い場合だってあり得るのです。

また、負け組が、努力が足りなかったからとか、非効率だからとか、サービスが悪いからとか、すべて本人のせいで失敗してしまったかのように言いがちなのも、ウソだと思います。

これが、自己責任論のおそろしさです。成功も失敗も、すべて本人の自己責任と言ってしまえば、それこそ政府など不要です。少なくとも、政府は責任を取らなくてすみます。そう、彼ら統治者が自己責任を言うのは、無責任なのです。それをみんなして「改革」と言ってもてはやしたのですから、まったく恐ろしい話です。

確かこれも中野氏がどこかで言っていたことだったと思いますが、新自由主義ならば、政府が責任を取らなくて良いしくみなになるので、案外と安定して長期政権になる傾向があるようです。レーガン・サッチャー・小泉・・・

まじめに責任を果たそうとしている麻生政権のような政府を途中で潰して、民主党のように元祖構造改革の政党(いまだに部分的に構造改革をひきずっている)=無責任な政府を延命させるとは、民主主義も明らかに不完全なものだろうと思う次第です。

せっかく今、構造改革の象徴であるところのホリエモンの有罪が確定したのですから、これを機会に、構造改革の理念そのものを反省してみたらどうでしょうか?

そのことの反省や総括が無いことが、昨今の政治の不安定さにもつながっていると思います。

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