右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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文明のリスクは原発のみにあらず
ちょっと前に書いたことの焼き直しですが、ブログを再開した頃に書いたものなので、あまり読まれていないと思うために、今日はその話を一部修正して再度アップします。

原発事故に関する報道をずっと見てきて、TVで解説者があれこれ言っているが、はっきりしたものの言い方をせず、何を言っているのかわかりにくい説明も多かったと思います。

それに対して、一部には非常にわかりやすい言い方をしている人たちもいました。

それは、日頃から原発に反対してきた人たちです。

彼らは、ここぞとばかりに原発の危険性および今回の事故で放出された放射線の危険性をガンガン断言しまくっていました。自信満々に。

例えば、ノンフィクション作家の広瀬隆氏などはその代表のようで、CSの報道番組で今回の原発に関する報道の批判をガンガンとやっていました。

こういうのを見ると、放射線に関する基本的な知識もない多くの人たちはたぶんこう思うのかもしれません。

何を言っているかわかりにくい専門はきっと都合の悪い真実を隠蔽するために曖昧な発言をしているのだ、とか、わかりやすく原発の危険性を断言してくれる人の言っていることこそ真実である・・・などなど。

しかし、学者が正確にものを言おうとすれば、ああいうわかりにくい言い方しかできないところがあるものなのです。断言した瞬間にはウソになってしまうので。

逆に私は仕事柄(なのかひねくれた性格のためか)、ものごとを断言する人間には嘘つきが多いように思えてならないので、広瀬氏の言うこと、というか、彼のものの言い方は不誠実で独善的でうさんくさいと感じてしまうのです。
この広瀬と言う人のことはどうでも良いのですが、現実問題として原発や放射線などがどの程度危険なのかについては、やっぱり難しいとしか言いようがないところがあると思います。

放射線と言うのは目に見えない。だから恐ろしいのでしょう。

放射線に限らず、農薬やダイオキシン・環境ホルモンなどの化学物質も目に見えません。

実際には、人体に影響など出るはずもない量でも、見えないから恐ろしく感じててしまうのでしょう。

煽りたい人々は、それを良いことに、危険性を過剰に強調しすぎてきたのも事実です。特に環境ホルモンなどひどい話もありました。

確かに、放射線は、その「人体への影響」について、目に見えてすぐにどうこうなるわけではなく、時間が経ってから発ガン率が上がるなどするわけなので、その有害さも目に見えない部分があります。

怖いと思えば想像がふくらんでどこまでも恐ろしくなるのかもしれない、そういう事もあるでしょう。

だから、どの程度なら「安心」できるのかについて客観的に決めることができない問題であります。

よく、「安心・安全」な社会を作れ、などと言われますが、「安心」と「安全」はまるで違う次元の話です。

「安全」のほうは専門家らがそれなりに考えてその基準を数値として客観的に決めることがでますが、「安心」のほうは心理的なものなので、そのレベルを数値で決めるのはたぶん不可能でしょう。

また、人間と言うのは、想像力があるので、すでにおこったこと(被害が確定したこと)よりも、これから起こると予想されるもののほうを恐れる傾向があるのだろうと思います。

身近なもの・昔からありふれたものは、少々危険があってもそれほど不安感を感じないものです。

それが、原子力とは放射線などと言う目に見えずに一般人の感覚からすれば身近でも何でもないものならば、やはりかなり不安感は増幅されることでしょう。

確かに原子力は莫大なエネルギーを発生させることが可能ですから、そういう意味からも原発は危険だし、人間の作るものに完全はあり得ないのは確かです。チェルノブイリのような人為的な事故が無くても、今回のように日本の場合は自然災害があるわけですし。

もしこれまでに、原発を「絶対に安全です」と言って普及させてきたなら、それは明らかにウソだから問題でしょう。

しかし、危険だから、人命が失われるから即それはダメだとは必ずしも言えないと思います。

この現代の日本では、いや、世界中でも同じでしょうが、100%安全でなくても、人の命が奪われる可能性があっても、「みんなが便利だから」などの理由でその存在を認められているものが他にもある訳ですから。

こういうことを言うと、話を相対化してごまかそうとしていると思われるかもしれませんが、そういうつもりはありません。

ただ、自分もその恩恵にさんざんあずかってきて、何か起こった時だけに行政や企業だけを責めると言うのは、私は正直できないなと思っているだけです。

危ないものとわかっていても、それがあまりにも便利であるために、他人の犠牲を承知で利用しているものというのは、他にもあります。

一番簡単な例は自動車でしょう。これは、かなり危険なものですが、あまりに身近ゆえに、そして事故死もあまりにもありふれているだけに、かえって危険性が忘れられがちになっています。

自動車社会と言うものは一体どれだけの人の命の犠牲でなりたっているか、ほとんど誰も考えないし想像もしないのではないでしょうか。

最近の日本では、さまざまな努力の結果、交通事故の死亡者数はかなり減っていて、1年で5千人程度になっていますが、長年にわたって日本では、毎年1万人以上の犠牲者を出し続けてきたわけです。これは、大量の死者です。

下の緑色の線が交通事故による死亡者数。

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戦後の交通事故死者数をすべてを合計すれば、ちゃんと計算していませんが、原爆の犠牲者よりも多いのではないでしょうか?

世界中の交通事故死者数をあわせれば、ちょっとした戦争よりも多くの人が亡くなっているでしょう。

交通事故の死亡者は毎年ずっと阪神大震災の犠牲者より多い人命を確実に奪ってきたと言う現実を直視したことのある人は、一体どれくらいいるでしょうか?

もちろん、自動車と原子力発電とでは、それぞれへの生活の依存度、重要度が違うでしょう。車が無くなれば国がなりたたないし、物資の輸送が止まれば餓死者が大量にでるかもしれません。

原発がなくてもそこまでひどいことにはならないかもしれないので、まったく同列に比較などするつもりは無いのですが、交通事故の犠牲者の数は桁違いに多いです。しかし、現在では社会問題にすらなっていません。

みんなの便利な生活のために誰かを犠牲にしていると言う点では原発と同じでしょう。いや、自動車のほうがひどいのではないでしょうか?

自分たちの安全や便利な生活と言うのは、他の一部の人々の犠牲や不便やリスクの上に成り立っている、そういう側面があることを忘れてはいけないだろうと思います。

ちなみに原子力発電は、日本の電力供給の4分の1程度です。これを短期間でゼロにするのはかなり難しいでしょう。

戦後の原発行政そのものを批判している人が最近では目に付きますが、もし戦後の日本で、まったく原子力発電を使っていなかったらどうなっていたか?シミュレーションした人はいますか?

二度のオイルショックを経験して、そのまま何もせずに火力発電に依存し続けるなどできたのでしょうか?できたと言われるかもしれませんが、本当にやれたのでしょうか?電力供給が不安定になったりコストが高くなって入れば文句を言うのは誰でしょうか?不都合をこうむるのは誰なのか?

このところまた原油価格が高騰していますが、ちょっと前にも世界的な原油の値上がりで大変なことになったのをまだみなさんも覚えているでしょう。

たまたま今はかなりの円高なので、輸入で調達は比較的しやすいですが、いつまでもこの状況が続くとは限りません。

比較的安く安定した電力を供給してもらえるというのは実にありがたいことなのですが、みんながその恩恵を受けてきたことをすっかり忘れているのではないでしょうか。

世界情勢の変化などにいちいち影響されないように、とにかく電力を安定供給させなければならない、エネルギーを確保しなければならないというのも、政府の責任です。

そういう目にみえにくい点からも、多くの日本人がこれまでに原発の恩恵をかなり受けてきたのは間違いないと思います。事故がおこったときに、その責任が電力会社や政府にあると言うのはその通りだし、それなりに保証しなければならないのは当然ですが、東電だけ叩いておけば良いと言うものではないと思います。

とは言え、事故が起こってしまった、安全性への信頼がそこなわれたのは確かです。

でも、原発は一切作らいほうが良かったかと言うと、それには上で書いた通りそうは思いません。

ただ、もうちょっと原発への依存度は低くて良かったのではないかと言う意見はあるかもしれません。

実は、データを見ると、政府の官僚と言うのは世間で言われているのとは違ってバカではないので、実際には少しずつ原発を減らす方向に向かっていた。2005年あたりには。

2000年には原発依存は34%だったのが2005年には31%、2008年には26%まで減らしてきていたことがわかります。

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日本のエネルギー政策と言うのは、リスクを分散するために、多様化の方向に向かっていたようです。

一時はゼロに近かった「石炭」が最近増えていて、そのぶん、原子力が減る傾向にあったのです。しかも、日本の石炭の火力発電のエネルギー効率は世界一との話も聞いたことがあります。

だから、石炭発電などを増やすという方法で、脱原発も可能だったかもしれませんが、何が問題だったかと言うと、地球温暖化対策でのCO2削減です。

新しいデータが無いので2008年より後がわからないですが、たぶん原発による発電量は温暖化対策という理由で増えているでしょうし、今回の事故が無ければ40%以上まで増やす予定だったと聞いたことがあります。

ルーピーな元首相が大風呂敷をひろげて、日本はCO2を25%削減するとか言ったいましたが、その1つの手段が原子力発電への依存度を40%以上に引き上げるという方法だったはず。

しかし、たぶんもうその目標はもう無理でしょう。一体どうするつもりか・・・つくづく無茶な約束してくれたものだと思います。

原発のリスクだけ見ていれば、それは原発など作らないにこしたことは無いと思うでしょうが、政府というのは世の中全体を見なければならないのです。そこだけ見てやっても絶対に別のところで違う問題が出てくるのです。

あちらを立てればこちらが立たないというのはよくあることで、何をやってもどこかに問題が出てきます。

その問題を批判するのは当然のことだろうとは思いますし、責任者は結果に責任を取らなければならないのもその通りですが、正直、そういう事をあれこれ考えると、批判のしかたにもそれなりの節度が必要なのではないかと思ってしまいます。

批判が足りないのは、むしろ日頃から他人の批判ばかりしている人たち(マスコミ)への批判のほうなのではないでしょうか?

今は原発の危険性ばかりがクローズアップされていて、それさえ除外すれば日本の電力行政はすべてオーケーみたいな空気になっていますが、これはこれで冷静さを欠いた議論だと思います。

国全体の電力供給のような巨大な問題を考えるには、もっと視野を広く、時間スケールを長く見て判断しなければなりません。

私は脱原発の方向性そのものを否定するつもりはありませんが、マスコミ報道ばかり見て感情的になり視野狭窄に陥っている世論でいますぐに結論を出すような問題ではないと思います。

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| | 2012/09/29 (土) 11:20:00 [編集]
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