右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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映画「父親たちの星条旗」を見た
親たちの星条旗」を観に行きました。以下、ネタバレありです。

当初は人から聞いた話で、どうもステレオタイプな反戦映画のようなので観に行くのはやめておこうと思っていたのですが、新聞屋にタダ券をもらったので、見ておくことにしました。

当初はこんなタイトルの映画ですから、てっきりまた例の反日映画「パールハーバー」みたいにアメリカ人のとめどなく果てしのない自己肯定の世界を見せつけられるのかと思いきや、一転、反戦映画だというのですから、びっくりです。

実は、この映画を見て、私は正直、とても好印象を受けました。
もちろん、アメリカでは今現在はイラク戦争は間違った戦争だという認識で国民が戦争というものに対して嫌気がさしてきているという背景も見逃せないでしょう。

この映画を見て思ったことですが、アメリカは大東亜戦争の頃から民主主義の国ですが(実は戦前の日本も世界的に見れば民主主義がかなり進んだ国だったし戦争中も議会が機能していて決してファシズムとか独裁国家ではなかったのは周知の事かと思いますが)、ともかくアメリカは直接民主制の国で、そういう国のほうが政府が国民をコントロールしやすいのだということがよくわかりました。日本も最近そうなりつつあります。

結局、国民の世論が国の方針を決めるわけですから、政府は世論を誘導さえすれば、思うように国民を支配できるわけです。その一つが星条旗のプロパガンダなのであり、もうひとつは「真珠湾攻撃はだまし討ちの奇襲攻撃である」というプロパガンダなのでしょう(実際には暗号の解読でルーズベルトは真珠湾攻撃を事前に知っていたのですから)。

イラク戦争にしたって、大量破壊兵器があるという偽情報にアメリカ国民はすっかり騙されて、アメリカ国民全体がいきり立って戦争をしかけたわけです。

太平洋戦争においても、国民が騙されていたのはむしろアメリカのほうだ、その象徴が「父親たちの星条旗」だったのだ、ということをクリント・イーストウッドは見事に描いています。

そういう点から、私はこの映画にかなり好感を抱きました。

そこはクリント・イーストウッドの良心を見た気がしました。まあ、もしかしたら、単に戦争なんて正当化できるようなものではないからやめましょうという程度のありふれた反戦メッセージにすぎないなのかもしれませんが。

さて、問題は、硫黄島の戦いを日本側の視点から見たと言われる「硫黄島からの手紙」のほうです。まだ私は見ていないので、何とも言えませんが、正直、結局のところアメリカから見てあの戦争を否定的に捉えたものを、日本側から見て日本に肯定的に描かれているはずはないと思います。

ハリウッドでも「星条旗」よりも「硫黄島」のほうが評判が高いということですから、まあだいたい栗林中将という立派な人はいたけれども、やっぱり戦争は悲惨なものだという常識的なセンに落ち着く内容なのだろうと思います。

クリント・イーストウッド監督は、この映画の制作記者会見で、「日米、どちらの側も、自分たちの大切な家族を守るために必死で戦ったのであって、そういう気持ちは同じだ」というような事を言っていましたが、この説明には私はイマイチピンと来ません。

もちろん、硫黄島を死守することは本土を空襲から守ることになるから、一日でも敵を阻もうと戦うことは、その通り家族を守るということに直結したと思いますが、しかし家族を守るためにだけ戦うのだったら戦争はおこりません。

特にこれでは「志願兵」という存在が説明できません。家族を守ろうと思うならば、志願などせずに家庭を守るために普通に仕事をしていれば十分なわけです。

この理屈で言えば、志願兵というのは家族をないがしろにした人ということになってしまいます。

彼ら志願兵が、家族を軽んじていたわけでは決してないはずです。

自分の命を危険にさらして、平和な家庭生活を犠牲にしてでも、自分がやらなければならないと思うから、家族を含めた自分の生活や自分の命を犠牲にするかもしれないけれども志願したわけです。

そこには自分や家族というプライベートを犠牲にしてでも、国を守るという「公」を敢えて選んだ苦渋の選択があったわけです。何でも割り切って単純に考えることはできないはずです。意識の高い人間ほど、様々な葛藤に苛まれながら、それでもやらなければならないと決断するのです。

こんな事は災害派遣のレスキュー隊員の気持ちを考えてみれば簡単にわかることです。災害が起こったとき、レスキュー隊員は災害地域に派遣されて、言ってみれば「他人」の救助にあたるわけですが、この時には災害が大きければ自分の家族だって災害にあっているかもしれないわけです。

レスキュー隊員が自分の家族を守ることを優先させればどうなるでしょうか?そこには当然葛藤があって、自分のプライベートな気持ちを犠牲にしてでも使命を果たそうとしているのです。

「硫黄島からの手紙」がどのような映画になっているか、期待と不安が半々と言ったところです。

日曜日にたまたま「ラストサムライ」を放送していて、あれはアメリカ人が作った映画ですが、負けるとわかっていても戦わなければならななかった、それを運命として受け入れ、逃げずに戦って散ることで何かを伝えようとした、そんな姿を描いている映画なわけです。

こういうものをアメリカ人も作ることができるならば、「硫黄島」を見る前から失望するのは早いのかもしれません。が、どうなんでしょうか。どっちにしろ観に行くつもりではいますが・・・。

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コメント
この記事へのコメント
私も観に行きたいと思ってた作品ですが、星条旗は見逃してしまいました。

家族を守る・・・のくだりですけれど
アメリカは日本より兵士への考え方が違うと思いますし、基礎的な部分が違ってるので家族を守る為っていう表現が、日本人が言ってるものとは違うんじゃなかろうか?と私は思いますがいかがでしょう?

日本の意識の低さといってしまうと悲しいですけれど・・。
さか | URL | 2006/12/12 (火) 15:49:01 [編集]
家族が将来住み続けるであろう祖国を守る事が、結果的に家族を守ることに繋がると考えて、一時的に家族の利害に反しても、「祖国の為に戦おう」という動機になるのではないでしょうか?
そういう意味では、日本人であろうとアメリカ人であろうと、多くの兵士の戦場におもむく動機が、「家族の為に戦った」と言っても間違いではないと思います。

アメリカは高々200年ほどの歴史しか無い移民の国なので、色々な出身国や宗教を背景に持つ人たち集合でしかありません。
一言で、「アメリカ人は、、」と特徴付けるのは難しいと思います。

アメリカ人は、学校などの愛国心教育でアメリカに対する帰属意識を植え付けられます。
しかし彼ら自身、「自分はイタリア系だ」とか、「アイルランド系だ」とか、祖先の出身国に対する帰属意識を強く持っています。
日本人ほど、一体感がありません。

僕は良く、新聞や論説で「アメリカ人は、、」という文章を見ると、「著者の言うアメリカ人はどんな人種なのだろう。白人?黒人?ラテン系?アジア系?」と疑問に思ってしまいます。

さらに白人でも、個々人の宗教的な背景によって、その人の価値観が変わってきます。

僕が感じるのは、「勤労は美徳」と思っているピューリタニズムを背景に持っている白人は、かなり日本人に価値観が似ているなぁと思います。

しかし実際にアメリカを動かしている上流階級の人間が、どの様な価値観を持っているのか、彼らに接する機会が無いので分かりかねます。

たか | URL | 2006/12/12 (火) 16:35:44 [編集]
まったくその通りですよ。家族を守るためだけで戦争がおこるわけがない。そこにはさまざまな国がその国益をかけて必死だったわけです。大東亜戦争を含めた第二次世界大戦にはソ連の国益が一番大きく関わっていたと私は考えます。理由は簡単。大戦終結後一番利益を得たのはソ連だったからです。日米両国にコミンテルンのスパイが多数いたことはどうやら間違いないようです。ソ連崩壊後ななりやばい資料がどんどん出てきてますから。つまり日本もアメリカも両方ソ連にはめられ利用されたと言えそうです。ただアメリカはしたたか。途中でなんとなく気がついて戦後のソ連への牽制のために原爆実験を日本でやりやがった!だからやっぱり私はアメリカが嫌いです!!
震電 | URL | 2006/12/12 (火) 18:12:38 [編集]
今日、清水寺の坊さんが、「命」を今年の漢字に選んだそうです。いまの日本人は、体の寿命まで生きることが、最も正しく、最も価値があると思っているようです。。。日本人というよりマスコミは、そう思っているだけかもしれませんが。
私は、サラリーマンとして10年生きた人と30年生きた人と、人生に優劣がつくものなのか?と思います。生涯の長短ではなく、本人の望みであるとか、あるいはそれで良いと思うなら、それで良いのではないか、長短を基準にして短いから悪いと言えないと思います。
体の寿命まで生きることを良しとすることについて、いろいろ理屈はあるでしょう。しかし、生きなくてもよしとする理屈も成り立ちます。その中で体の寿命まで生きることを良しとすることをベストとする理由はないのではないでしょうか。
たか | URL | 2006/12/12 (火) 23:36:10 [編集]
かつて故国を思い、祖国のために多くの兵が死にました。そして今の我々があるのですが、彼らが守ろうとした日本、我々子孫に残したいと思った日本。我々が受け継いだはずの日本。その有様を見るに忸怩たるものがあります。かくなる上は、お詫びのために切腹したりせず、倦まずたゆまず日本をより良い方向へ向かわせ、努力しつ続けることが手向けとなると思います。
たか | URL | 2006/12/12 (火) 23:58:43 [編集]
>たかさん
まあ、おっしゃる通りかと思います。ようするに、たんに家族と自分の今の生活を守るだけではなく、その家族の住む国を将来にわたって存続させるべく戦うということなのでしょう。でも、本当に家族だけが大切なら戦わずに外国に逃げるとかそういう選択肢もありになってしまいます。家族にとって父がいなくなるというのは大変なことですから、やっぱり単純に家族を守るためという説明は未だにしっくりきませんね。私はやっぱりアメリカ人と日本人とはでお互いに違うものを守ろうとしたから戦ったのだと思います。お互いに戦っている相手にも家族がいるわけですから、そう考えると戦えなくなるでしょう。相手にも自分と同じ家族がいるですよ。それでも戦うわけですから。守るものが同種のものなら、相手に対する共感が生じてやっぱり戦争にならないだろう、というか戦えないだろうと私は思います。やっぱり別の価値のために戦ったのではないでしょうか。

>震電 さん
そうですね、私も、あの当時のアメリカはどう考えてもやりすぎでしたし、それを未だに正当化しつづけるアメリカ人もどうかしていると思います。しかし、日本人の戦後にも大いに問題ありだと思います。

>たかさん
今年の漢字は「命」という話ですが、これは今日書こうと思いましたが、明日にでもこのネタで書いてみたいと思います。あいかわらず深く考えもせずに「命より大切なものはない」なんてことを言っていましたね。
日村秋介 | URL | 2006/12/13 (水) 09:38:00 [編集]
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