右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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構造改革の失敗(1)
ブログをやめている間に小泉ー竹中の構造改革路線の失敗がはっきりと証明された。・・・少なくとも私はそう思ったのだが、同じように考えている人は少数で、未だに「それなりの意義はあった」とか「改革が足りない」などと言う声が聞こえてくることもある。

しかし、どうだろうか、私はやっぱり構造改革路線そのものが失敗だったと思う。

ちなみに、私も昔に比べると構造改革と言うものを、「局面によっては」肯定的に考えて良いと思うようになった。それでも小泉ー竹中路線は間違いだったと言いたいのである。

以前は、自分でもはっきりと記憶が無いが、もしかしたら「構造改革路線と言うものが普遍的に間違っている」と言う意味にとれるようなことを書いていたかもしれず、もしそうなら、その部分は訂正したいと思っている。場合によっては、やったほうが良いこともある。

だとしても、小泉ー竹中路線、それだけでなく、橋本龍太郎あたりからの流れは明らかに間違っていたと断言して良いだろう。

もちろん、日本の最大の問題点を何と考えるかによっては、評価にズレが出てくるかもしれない。
構造改革路線の信奉者、新自由主義者らの信じる価値は、自由、競争、市場、効率と言ったもののようである。たしかに、これらは大切なことだと思うし、その価値をあっさり認めて良いと思う。

ただし、そこで気になるのは、彼らは
『経済に何か問題があるならば、自由化・規制緩和して、競争で淘汰し効率を良くして、あとは市場にゆだねれば問題解決』
というような発想を、経済の事情に関係なくやりがちな点である。
もちろん、他の目的を唱える場合もあるが、それは次回にでも。

しかし、構造改革路線、自由主義路線は、経済問題に対する万能薬ではない。かなりの劇薬なので、使い方を間違えると副作用ばかりが強く出ることになる。

最近、TPPの問題(またいずれ書く予定)で中野剛志の本などを読んでいてようやくわかったことでもある。今の日本の最大の問題は「デフレ」であると言う認識が共有されていないことが最大の問題だったのだ。

構造改革(新自由主義)はインフレ対策としては有効(サッチャー・レーガンの時)である。しかし、デフレの時にはデフレを悪化させるだけで効果無し、それどころか有害という話である。

だから、デフレの日本でいくら構造改革をやっても日本経済はさっぱり良くならないのが当たり前という話だ。


デフレの時、供給が過剰で需要が不足している時に、自由化・規制緩和で新規参入をうながしたり産業を効率化したりすればどうなるか?さらに供給が過剰になってデフレが進むだけである。

しかし、規制緩和を進めた官僚や経済学者の頭には描かれていたのは現状認識(デフレ)ではなく、高校で習うレベルの経済学の理論?のようである。たぶんこう考えたのだろう。

経済学では需要と供給のバランスで商品(やサービス)の価格と数量が決まると考える。そこで、いままでの法律を緩和し、新規の参入を増やせば、供給が増えて価格が下がり、経営状態の悪い会社や、サービスの質が低い会社は自然に淘汰される。


かなりずさんな思考としか思えないが、本当にこう考えてやったようである。しかし、これはまさにデフレを促進するだけの話だろう。価格が下がり、会社が潰れて失業者が増えれば賃金も下がりデフレである。デフレで困っている時に一体何がやりたいのか!?

実際にはかならずしもこの通りでない部分もあるが、デフレが悪くなるだけというのはその通りである、

タクシー業界を例に考えてみるのがわかりやすい。

規制緩和を主張した人たちは、たぶんこう考えたのだろうと思う。

タクシー料金に関する規制や新規参入(車の台数)に関する規制を無くせば、会社間の競争が生じて、運賃が安くなる。そうなれば客が増えて、また非効率な経営をしている会社は淘汰され、タクシー業界全体が良くなる・・・と単純に考えたのだろう。

しかし、前提がおかしい。そもそも客が少ないのにタクシーの台数を増やしてどうなるのか?と言う話である。デフレの時に値下げ競争(チキンレース)をしてどうなるのか、という話でもある。客が少ないのは経済全体が悪いせいで、そんなときに値下げ競争しても客は増えず、少ないパイを奪い合って互いにつぶし合うだけだろう。

基本的に今はすべての業界で値引き競争、安売り競争が行われている。安くないと売れないので、企業がそういう方向へ向くことそれ自体は経済的に合理的な判断かもしれない。しかし、政府がそれに拍車をかける政策を奨励しても、問題の解決にはならない。

実際にタクシー業界で行われた規制緩和は「台数制限」の緩和ということだったが、どういう結果になったか。

現実には、企業だってそう簡単に潰れてはたまらないので、必死である。タクシーの台数はものすごく増えたが、そもそも客が少ないのだから、1台あたりの売り上げが激減、そうなれば、価格を下げることもできず客も増えず、賃金カットで運転手さんらの生活がままならなくなり、デフレに貢献しただけの話である。

経済学者らが考えた前提には、いくつもの誤りが含まれている。今の日本はデフレで困っているという根本的なことを忘れているのだろうか?

いや、たぶん、規制緩和とか自由化とか言うものを、普遍的な価値と信じてしまっているのではないだろうか?それか、詳しくは次回にまわすが、構造改革路線の別の目的(利権の構造の破壊など)に執着しすぎて、日本経済の現状が見えていなかったのではないか。

確かに、規制緩和や自由化が有効な場合もあったのは事実のようである。上でも書いたレーガンやサッチャーの改革など。しかし、基本的にインフレ時に行われた政策である。

そもそも、ここ最近の日本で行われた規制緩和は、その前提からして間違っている。需要が少なくて世の中デフレが進んでいる時に、供給を増やそうと言う発想である。

やることが逆ではないのか!?

もし、インフレならば、つまり、需要が多く供給が追いつかない状況ならば規制緩和するのは簡単に理解できる。

客がタクシーをつかまえたくてもつかまらない、それを良いことに客から高い金を取って営業しているような状況の時(バブルの時がまさにそうだった)なら規制緩和は有効だろう。新規参入を認め、タクシーの台数も増やせば競争により価格が下がってインフレ状態が緩和される、だから規制緩和は有効と思われる。

しかし、それをデフレの時にやれば、どうなるか?デフレが余計に悪化して、経済が余計に悪くなるだけである。

恐ろしいことだが、そんな簡単なこともわからなかったのである。慶応大学の教授までしているような人でも!

まあ、所詮は「日本は経済立国のアイスランドをお手本にしろ」などと言っていたような人である。アイスランドが経済破綻してその後に彼は何か反省の弁を述べたのだろうか?

この20年間、ずっとデフレが続いている。こんな国は世界中どこにも無い。それはあたりまえで、デフレの時にインフレ対策(規制緩和・自由化・緊縮財政・公共事業削減・無駄の排除による効率化)を中心にずっとやってきたのだから、デフレが悪化して続くに決まっているのである。

デフレが続いている原因を「少子高齢化だから」とか「欲しいものが無くなった(社会が成熟した)から」とか言ってなんとなくしょうがないものと思ってきたが、果たしてそうなのか?

確かに少子化の傾向は先進国のどこでも見られる現象である。しかし、経済が成長しなければ少子化すると言うのもこれまた過去にあった現象であるし、生物学的にはむしろあたりまえのことである。

長年の経済の停滞が少子高齢化に拍車をかけていると考えるのが自然だろう。労働者の賃金が上がらなければ所帯を持つなど不可能なのだから、結婚できない、結婚できなければ子供を作れないのはあたりまえである。

要するに、長年の経済政策の失敗、それこそがすべての根本原因なのではないか?

やるべきことと逆のことをずっとやり続けてきたのではないか?

日本経済がゲリしているのに下剤ばかり飲んだせいでおかしくなったのではないのか?

そうとしか思えないのだが・・・

ではなぜそんなことが!?

それは当たり前で、一旦それ(逆のことをやってきた)を認めると、自分たちが長年言ってきたことが間違いだったとなり信用を失い失業する訳だから・・・また、そもそも経済が健全になればなるほどエコノミストは不要になる。間違ったことをやらせたほうが自分たちは失業しなくてすむわけである。・・・と悪意にとればそういう説明が可能だろう。

その考え方がいやなら、善意に考えても説明は比較的簡単で、昭和の時代までは、日本はインフレしか経験したことが無かった。だから、経済に問題が起きればインフレ対策をやればよかった。

いままでの腹痛の原因はすべて便秘だったので、お腹が痛くなったら下剤を飲めばすべて治っていた。だから「腹痛には下剤」と言う考えがすり込まれてしまって、実はゲリをしているのに、さらに下剤を増やしているような状況なのではないだろうか?

基本的に今の経済学はインフレを前提として発展してきたようである。だから、なかなか発想が転換できないのではないだろうか?

デフレ対策(財政出動や金融緩和)をやろうとするとストップをかける人がいる。そういう人が何を心配しているかと言うと、1つには過剰なインフレのようである。

それから、もう一つ、これは多くの人が心配していることだが、財政破綻である。無駄なことばかりやりすぎて、赤字国債が積み重なることを心配しているようだ。これを何とかしなければならないと考えるのは当然だろう。

だから、政府は構造改革で緊縮財政、支出を減らして借金を減らすという流れになったようだ。しかし、上でも書いた通り、デフレの際にそれをやると、余計にデフレが進み、経済も縮小する。その結果、税収も減って結局のところ借金は返せないだけでなく、デフレでお金の価値が上がるから借金の重みも増して、余計に財政悪化の懸念が高まる。

こちらも悪循環のようである。

国の財政を家計簿に例えれば、借金を返す方法は単純である。支出を減らして収入を増やす。収入が増えなければ支出を切りつめるだけである。

ところが、国の場合は違うのである。自分が切りつめた支出がまわりまわって収入も減らしてしまう側面があるのである。

その一例としてよく言われるのが、橋本内閣時代の行革である。この時期に政府はかなりの緊縮財政もやり、また消費税の増税までやった。普通に考えれば財政は良くなると思われるが、結果は逆だった。不景気になり税収が減少、期待に反して財政収支は改善しなかった。

やはり、ゲリの時に下剤を飲むことをくりかえしたせいでボロボロになったのではないかと思うが、どうだろうか?

この状況は18世紀のヨーロッパの医療によく似ているのではないか?

当時の医学はかなり遅れていた。医者にかかることが「英雄的治療」と言われていた。ようするに、有効な治療法が無いから、実験的な治療ばかり行われ、何もしないより治療を受けるほうが死亡率が高かったのである。

この時代には医者に治療を受けることの死亡率が1番高く。2番目が何もしないこと。3番目、つまり一番治療効果があったのは、今で言うところの代替医療、ホメオパシーのようなプラセボ効果しか無い治療を受けることである、

それはそうで、ニセ医療は信じればプラセボ効果はあるが、副作用は無い。そのぶん、何もしないよりもましだったのである。もちろん、現代においては正規の医療がプラセボ効果よりはるかに有効であるから、代替医療を推奨などできないので誤解されないように。

さらに、19世紀には、瀉血(しゃけつ)と言う治療法が万能と思われていた。皮膚を切開してだらだらと血を抜くだけある。

現代でも限定的にされる場合もあるが、当時は何かと言うと切開して血をだらだらと抜き続ける、どんな病気でも、なんでもかんでも瀉血する。それが治療と信じられていた。おそらく、何もしなければ助かっていた人たちが瀉血のせいで大量に死んでいたことだろう。

正義感に満ちて人の命を救いたいと使命に燃えていた多くの医師たちが、今から考えれば有害な治療方法でかえって人の命を奪っていたという皮肉な事がおこっていた、そんな医学における暗黒時代があったのである。

おそらく、経済学も未だに暗黒時代なのではないだろうか・・・

しかし、それも当然で、何も経済学者が無能だからとかバカだからと言う理由ではなく、経済と言う現象は人体よりもはるかに複雑でややこしいから、そう簡単には理解できないのでまだまだこれからなのだろう。これは、あたりまえでしょうがないことだろうと思う。

ちなみに、今回は、構造改革路線を経済問題への処方箋と考えていた人たちへの批判である。

次回は、『構造改革には経済政策以外の目的(利権構造の破壊等)があり、少なくともその目的は達成できた』などと言っている人を批判してみたい。

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コメント
この記事へのコメント
そのとおりです
江戸鎖国、明治維新そして敗戦
有史以来文明はトップクラスで思想はだめちう。
いたいところを狡猾なグローバル屋にせめこまれて
いま一度ソフト鎖国しつつ精神をきたえるしかないおもいます
ハンディ12 | URL | 2011/03/30 (水) 21:43:42 [編集]
いやー、お久しぶりです。来て頂きありがとうございます。

本当に、鎖国と言うか、精神的に自分たちらしさを取り戻すために努力してほしいですね。

グローバリズムが失敗した今こそ、そういう方向に向かってこそ健全だと思います。
管理人 | URL | 2011/03/30 (水) 22:08:28 [編集]
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