右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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伝統の精神こそ人間の条件
たまたま、仕事と関係ある?あまり関係無いかもしれないが、参考にと思って本を読んだら夢中になってあっという間に読み終えてしまった。忙しいのに余計な本を読んでいるなあと思いつつ読んだが、読み終わって満足している。まあ、新書なので短時間に読めるものだったし。

今日はちょっと異色の内容かもしれないが、最後のオチはなるほど、という感じで書いてみたい。
人類進化の700万年―書き換えられる「ヒトの起源」 (講談社現代新書)人類進化の700万年―書き換えられる「ヒトの起源」 (講談社現代新書)
(2005/09)
三井 誠

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ゴリラとチンパンジーと人間。どれも霊長類だが、この3種の動物は、お互いに交配をしないので、それぞれが別の種に分類される。ちなみに人間のことを学術用語として言う場合は「ヒト」と書く。

ところで、この3種を二つのグループに分けるとしたら、普通は「ゴリラとチンパンジー」を猿として一組にして、人間はヒトという別のグループにするだろう。生物学の伝統的な分類方法もそうなっている。

つまり、

「ヒト上科」という大きなグループを「ヒト科」と「オランウータン科」の二つに分け、ヒトは「ヒト科」に、そしてオランウータンとゴリラとチンパンジーは「オランウータン科」に分類されていた。

普通の我々の感覚からすれば、毛むくじゃらで森の中で自給自足の生活をしている言葉も話せない猿と、高度な文明を築き、複雑な言語と文化を持つ人類とは、大きな違いがあると思うだろう。それはその通りだと思う。だからこの古典的分類はもっともと思うかもしれない。

ところが、この分類、最近は様子が変わってきている。

最近は、遺伝子の情報を解析して、どれくらい遺伝子が似ているかで分類したり進化を研究する方法が急速に発展している。

ヒトゲノム(ヒトの全遺伝情報)の解析も終了して、チンパンジーについてもわかっている。それぞれがどれくらに似ているか違っているかを比較することができる。

よく遺伝子とかDNAとか言われるが、それは一体何か。まったく知識の無い方のために、ごく大雑把に(不正確を承知で)手短に説明すると・・・

DNAを構成する要素には塩基と呼ばれる部分の異なる4種類があり、それらが横一列にずらりと並んでいてDNAとなっている。

ヒトの染色体上には、その4種類の塩基の配列がでたらめに並んで特に意味を持っていない部分と(ジャンクDNAと呼ばれる)、配列パターンが意味を持っていてタンパク質などの設計図の役割を果たしている部分(この部分が「遺伝子」と呼ばれる)がある。

で、特定の遺伝子だけ比較したり、ジャンクDNAも含めてすべての遺伝情報を比較したりすることができる。

この遺伝情報は、たとえば人間どうしでどれくらい違うかと言うと、平均して約0.1%だそうな。

では、チンパンジーと人間はどれくらい違うかと言うと、何と1.23%ということらしい。たった1%ほどしか違わないということである。逆に言うと、98.8%は同じということだ。

では、最初に出てきたゴリラを加えてみるとどうなるか。ゴリラとチンパンジーの遺伝情報の違いはなんと1.63%、ヒトとチンパンジーの差より大きいのである。

ということは、DNAをもとにした分類では、チンパンジーはゴリラよりも人間に近いということになる。

ところで、たとえば同じネズミであるハツカネズミ(マウス)とドブネズミ(ラット)の遺伝情報を比較すると15%以上も違うそうだから、それよりもヒトとチンパンジーのほうが余程近いというふうにも見ることができて少々驚きである。

そこで、遺伝情報を何より重視して分類する学者が増えてきて、そういう学者は人間とゴリラとチンパンジーを同じヒト亜属に分類し、ヒト亜属をさらにホモ属とゴリラ属に分けて、ヒトとチンパンジーを同じホモ属に分類したりするようだ。

こういうことを知ってしまうと、だんだんと人間の優位性の根拠が失われて行くような気がする。もちろん遺伝子がすべてではないし、特に人間は、遺伝子に刻まれた本能だけで行動しているわけでもなく、言葉を話して文字を書くことで、言語によって知識を体の外に蓄えることが可能となったから高度な文明を維持できているのだろう。

ちなみに、人類が今と「遺伝的に」ほぼ同じ状態にまで進化したのは約7万5千年前あたりらしいので、その頃の人類と現代の人類では、すでに遺伝子レベルで同じ、つまり身体能力や知能が同じレベルに達していたということになる。

しかし、7万5千年前の人類は、知性のレベルで現代人とは桁違いの生活をしていた訳である。知的な能力を決める遺伝子は現代人と同じであっても、である。それは何故か。

ニュートンの言葉がその答えのヒントになる。

「私がさらに遠くを見ることができたとしたら、それはたんに私が巨人の肩に乗っていたからです。」

ここでニュートンが言っている「巨人の肩」とは、人類が言語を生み出してから続いてきた歴史が生み出した知識の集積のことである。

過去から引き継がれ、少しずつ蓄積してきた知識が「巨人の肩」である。現代の我々を支えているのは、過去の歴史を共有できるという点である。その蓄積の恩恵を受けられるから現代の我々がいるのである。

だからこそ、まずはその歴史の蓄積を大切にしなければならないのに、やみくもに最先端を追いかけてばかりである。もちろん特に科学の分野においては最先端を追いかけることも重要かもしれないが、現代人が最先端を進むことができるのは、あくまで過去の歴史の蓄積があり、「巨人の肩」に乗せてもらうことができるからだということを忘れてはいけない。

そのことを忘れた「最先端」の探求は、単に目先のものにとびついているだけであったり、流行に乗っているだけの軽薄な行動にすぎない。

人類は知識や記憶を「外」に蓄えることができる。言語によって知識を「外」に持ち、世代を越えて伝承させ、歴史を経てさらなる知識を蓄積させることを可能とした。この点が他の動物とは異なっているということである。

つまり、人類だけが過去の世代からの歴史を未来へと受け継いでいるのである。歴史を大切にするという伝統の精神こそがヒトをヒトたらしめていると言って良いのではないかな?

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コメント
この記事へのコメント
保守とは歴史や伝統を守るということであると、日村さんに教えていただいて以来、いろいろ混乱していたものがすっきりと理解できるようになりました。ありがとうございます。

最近考えたことは、左翼右翼という呼び方は良くないのではないかということです。保守の本質とは歴史、伝統を受け継ぐことであるならば、極端に変な方向に振れることを避けねばなりません。これを右翼とするよりはむしろ中道とするべきであって、共産主義、国家社会主義、自由主義などはどれも革新的であり左翼と呼ぶよりは中道に対する外道にふさわしいのではないかと思います。つまり、保守が守るべきものは一つしかないが、革新勢力が目指す方向は色々あるということです。名を正すことが政治の要諦であるならばこのような考えも無意味ではないと思うのですが。
jtake | URL | 2008/05/23 (金) 17:42:57 [編集]
人類史が栄えた理由はやはり「言葉」があるからでしょう。
自動車も冷蔵庫も、料理にしろ工芸品にしろ、「言葉」があって出来たものではないでしょうか。 ヒトとチンパンジーがほぼ同じだと言うことですが、確かに最初の人類とチンパンジーとでは大きな差は無かったんだと思います。実はチンパンジーも彼らに共通する言葉を使っていますが、ヒトと違うところは、言葉に「伝統の精神」が有るか無いかだと言うことでしょうか。
言葉に含まれる「言葉」こそ、人間を文化的な動物に仕立て上げているのだと思います。しかし、最近はテレビだとか新聞だとかインターネットだとかが「言葉」を置き去りにして、ただの「情報」となっているのではないでしょうか。構造改革、IT革命、規制緩和…と、意味も伝統の精神も含まぬ言葉がチンパンジーの鳴き声の様に喚いているのが現代の人類なのかもしれません。

渡世仁義の風来坊 | URL | 2008/05/23 (金) 19:44:58 [編集]
人類の進化を

考えさせられますね。
jan | URL | 2008/05/23 (金) 20:10:43 [編集]
ミトコンドリア・イブ
日村さま こんにちは
携帯でエントリを読みながら丁度、目の前に書店があったので、ご紹介の書籍を立ち読みというか、ほとんど完読できてしまいました。でも、ちゃんと買いましたよ(笑)。
「巨人の肩」を思うとき、我々はもっと先人の智慧と歴史に感謝し、謙虚にならなければならないと思う反面、21世紀あたりで天変地異や核戦争で次の新人類(超人とでも呼びますか)が生まれるのではないか、などとSF的妄想をたくましくしてしまいました。
ところで20万年さかのぼって、私たちの共通のご先祖さまとされる「ビッグ・マザー」にたどり着くまでに何人の「父、母とその父母、さらにそれぞれの父母・・」がいるのか。日村さまは計算されたことがありますでしょうか?
私の貧弱な脳ミソと安電卓では計算不能でした(苦笑)。
ROM太郎 | URL | 2008/05/25 (日) 05:21:30 [編集]
文明主義には他人種抹殺の思想や他文化破壊の思想があります。

迷信(伝統)を信じる野蛮人(動物)など殺してしまえ・・・
野蛮人(動物)の迷信(伝統)など破壊してしまえ・・・

これは人間を特別視し、動物を蔑視することから来ているのだと思います。
日本の伝統文化ももちろん野蛮に分類されます。
だから、日本の教養人は自国の文化を卑下するのです。
動物を大切にすることは、結局は伝統文化を大切にすることに繋がります。

動物とはちょっとの違いしかないというのは重要ですね。
だからこそ謙虚にならなければいけません。
ドド | URL | 2008/05/29 (木) 14:56:08 [編集]
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