右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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「平和主義者」は「卑怯者」という常識
防衛庁を省に格上げする法案が成立するようです。安倍政権は小泉政権がやろうとして間に合わなかったことをただ引き継いで淡々と消化しているだけという印象をうけますし、この省への格上げもその路線に沿ったものでしょう。まあ、これは妥当な話だと思います。

当然予想されたことですが、朝日新聞はこれには反対しているようです。いつもは朝日の言っていることなんて、毎度のことだから、アホは放っておけという感じでスルーなのですが、今回のこの社説には、いくつかの大変興味深い点がありますので、ひさびさに取り上げたいと思います。

防衛「省」 改めて昇格に反対する

 戦争が終わって60年が過ぎた昨年、詩人の長田弘さんはそのころ盛んに語られた「戦後60年」という表現に疑問を投げかけた。「不戦60年」と言うべきではないのか。

 「昭和の戦争に敗れて戦争はしないと決めてからの、戦争をすることを選ばなかった『不戦60年』という数え方のほうが、この国に戦争のなかったこの60年の数え方としては、むしろ当を得ています」(長田弘「知恵の悲しみの時代」みすず書房)

 60年もたてば、多くのものは古くなって時代に合わなくなる。手直しするのは当然だ。憲法しかり、戦後民主主義しかり――。そんな風潮がある。

 だが、日々続けてきたものは古くなるのではなく、日々新たな到達点がある。そこを前向きに評価したい、というのが長田さんの言いたいことだろう。

 防衛庁を「省」に昇格しようという法案の審議が衆院で大詰めを迎えている。きょうにも本会議で可決される見通しだ。「庁」という形は時代に合わないから、直したいということのようだ。

 防衛庁が生まれて52年がたつ。自衛隊は国土防衛だけでなく、カンボジアへの派遣をはじめ海外でもさまざまな経験を積んだ。かつてと比べ、国民は自衛隊や防衛庁をより肯定的に評価するようになったのは事実だ。

 だがこの間の歩みには、戦前とは違う国のありようを求めてきた私たち自身の決意が投影されていることを忘れてはならない。

 戦後日本は、侵略と植民地支配の歴史を反省し、軍が政治をゆがめた戦前の過ちを決して繰り返さないと誓った。だからこそ、戦後再び持った武力組織を軍隊にはせず、自衛隊としてきた。普通の軍隊とは違う存在であることを内外に明らかにする効果も持った。

 軍事に重い価値を置かない、新しい日本のあり方の象徴でもあった。国防省や防衛省ではなく「防衛庁」という位置づけにしたのも、同じメッセージである。

 省になってもこれまでと実質的な違いはないと、政府・与党は言う。自衛隊員が誇りを持てる。諸外国も省の位置づけだ。名前が変わったからといって、戦前のような軍国主義が復活するわけではない。それはそうだろう。

 だが、問われているのは私たちの決意であり、そうありたいと願う戦後日本の姿である。古びたり、時代に合わなくなったりする問題ではないはずだ。

 長田さんが「不戦60年」の表現を薦めるように、私たちは「庁」にこだわりたい。省になることで、軍事的なものがぐっと前に出てくることはないのか。そんな心配もある。

 日本は、惨憺(さんたん)たる敗戦に至った歴史を反省し、新しい平和の道を選んだ。それは多くの国民が賛成し、いまも支持している選択だ。その重みを考えると、あたかも古い上着を取り換えるようなわけにはいかない。


まあ省に昇格したからと言って日本が軍国主義になるわけじゃあないけど、なんとなく反対みたいな論調で、一体何がいいたいのか、よくわかりませんし、ただケチつけたいだけなんでしょう。まあそこは朝日らしいということで笑ってすませることにします。問題は他の部分です。

上の引用文中で、赤字にした部分ですが、朝日は戦後の反戦平和路線を、あたかも日本人自身が主体的に選択したかのように書いています。

「不戦60年」と言うべきではないのか。

「昭和の戦争に敗れて戦争はしないと決めてからの、戦争をすることを選ばなかった『不戦60年』という数え方のほうが、この国に戦争のなかったこの60年の数え方としては、むしろ当を得ています」

日本は、惨憺(さんたん)たる敗戦に至った歴史を反省し、新しい平和の道を選んだ。それは多くの国民が賛成し、いまも支持している選択だ。


まず、戦後の日本が戦争をしなくてすんだのは、平和憲法のおかげでもなければ、自ら戦わないと誓ったからでもありません。米軍に守ってもらったからです。

その米軍による守りとて完璧だったわけではなく、日本の軍事力の空白期間には、北方領土と竹島がそれぞれソ連と韓国に侵略されています。戦後のアメリカの軍事力といえども、それらを取り戻すほどには役に立たなかったわけです。

また、戦争をしなくてすんだという話で言えば、ちょっと想像してみるとわかると思いますが、たとえばもし終戦直後に自衛隊もないままさっさと米軍が撤退して日本からも朝鮮半島からもアメリカが引き上げていたら、朝鮮半島から共産軍が日本まで南下して戦争になっていた、あるいは、日本の半分をソ連に占領でもされていれば、日本が南北に分断されて朝鮮戦争みたいなことになっていたかもしれません。

そこに平和憲法があろうが、不戦を誓おうが、そういう状況になればそんなもの無力です。

だから、戦後の日本が戦争にまきこまれなかったのは、単にラッキーなだけです。その後も在日米軍や自衛隊の抑止力によって、侵略を防いできたのだと思います。しかし国防に大きな穴がたくさん空いていたために、拉致事件など不審船による工作活動をやりたい放題させて国民を危険にさらしてきたのです。

それからもう一つ我慢ならないのが、日本は戦争を反省して「不戦」というものを主体的積極的に選択してきたという言い方です。

もともと今の憲法はアメリカが日本に二度と逆らわせないよう、軍事力を行使できないように押しつけたものです。その後、朝鮮戦争が勃発してかなり後悔したと思いますが、それで日本の再軍備がアメリカから許可されて自衛隊が発足したわけであり、日本の防衛はすべてアメリカの都合によって決められてきたことです。

その後、たしかに日本は経済復興を最優先にしてきましたから、軍事的なことはアメリカにまかせて経済優先できましたし、保守系の政治家も不戦ということを積極的に口にしてきましたが、それはむしろ方便にすぎないのであって、今はそのほうが日本にとって良いと判断したからそうしただけでしょう。

そうしている間に、いつのまにかGHQやサヨクのプロパガンダが国民に浸透してしまって、「戦争を反省して不戦を選んだ」かのように錯覚してしまったというのが実際のところだと思います。

終戦直後はとにかく軍事はアメリカに任せて、その間に国を復興して経済力をつけることが重要であったかもしれませんが、その後十分すぎるほど経済力を身につけた上でもまだ、他国に自国を守らせるなどというのは、義務の放棄とみなされます。卑怯なことです。そんな卑怯な国が「平和を貫いている」などと言っても笑われるだけです。

そもそも、自分は反戦主義者だ、平和主義者だなどとというのは卑怯者なのであって、なにも立派そうに自慢げに言えるようなことではありません。

平和主義者、反戦主義者は英語ではパシフィストでしょうが、そう言った場合には「卑怯者」という意味が少なからず含まれているわけでです。

大切なものを自分で守ろうともせずに、簡単に相手に譲り渡して、自分だけ安全な場でぬくぬくと暮らしている。それがほとんど多くの平和主義者の実像なのだと思います。

イラクのクウェート侵攻の際、日本は国際社会の要請にもかかわらず、自衛隊を派兵しませんでした。あれはまぎれもなくフセインによる侵略行為でした。国際社会が一致団結して排除しなければならない大義ある戦争だったわけですが、日本は戦わずに金と技術による貢献という道を選びました。

その金は莫大な額であり、またアメリカの兵器に利用されていた日本の技術は相当数の米兵の命を救ったはずなのですが、国際社会からは一切評価されず、日本は卑怯者の烙印を押されたわけです。

まあ、あの経験があるから今度はイラク戦争でアメリカをいち早く支持して自衛隊を派遣してしまったのかもしれませんが、やっている事が逆だと思います。残念です。

いずれにせよ、戦うべき時に戦わないのは卑怯者なのであって、それを偉そうに不戦だなどと自慢げに言うのは恥さらしも良いところだという事です。

それから、軍隊の存在意義で一番忘れられているのが、 「独立」を守るということです。

軍隊は何を守るのか?今の日本では「国民の生命・財産」とか「領土」とかそういうものを守るくらいにしか言われていませんが、一番肝心なことを忘れています。国の「独立」を守るのが軍隊の役割です。

独立を守るということが、その国の歴史や伝統や文化を守ること、その国の過去と未来の連続性を守り、我々の大切な価値を存続させ続けるということにもつながるのです。

己の生命と財産だけを守るのなら、戦わずに逃げるという手段だってあるはずです。そのことが最近はあまりにも置き去りにされているのだと思います。

さて、次の問題点、上の社説の引用文の青で示した部分についてです。

「庁」という形は時代に合わないから、直したいということのようだ。

古びたり、時代に合わなくなったりする問題ではないはずだ。


この「時代に合わなくなった」という表現を、安倍首相なんかもよく使うわけですが、時代にかかわらず大切な価値を長く守って行こうという立場であるはずの「保守」が、「時代に合わなくなったから変えよう」という言葉を平然と使っているのに違和感を感じます。

一方、日頃から「時代が変わった」「常に変化と進歩が必要だ」「古くさいものを守ろうとするのは保守反動の守旧派だ」などと、とにかく伝統などクソくらえ、何でも新しく変えてしまえと主張しているサヨクの代表である朝日が、「不戦」だけは大切な価値だから時代に関係なく守って行けと言っているのがおかしく思いました。

朝日のほうが本当に自分に都合よく言っているだけでしょう。あきれます。一方の首相の側は、まあ弁護する要素があるとすれば、戦後はたしかに軍備よりも経済で国を復興させることを優先してきた、もうそういう時代ではないんだから、そろそろ国の独立のために自衛隊の立場を確立しなければならない、と解釈すれば、まあ間違っているわけではないと思います。

でもやっぱり、改憲や自衛隊の省への昇格に関して「時代が変わったから」という表現は謹んで欲しかったですね。そのほうがウケは良いんでしょうが。

「今の憲法も自衛隊のありかたも、時代の変化とはかかわりなく普遍的に間違っているから変える、日本の伝統と歴史の流れに照らしてみて、明らかにはずれているから変える必要があるのだ」という道理が通用する世の中にならないと、やっぱりダメでしょうね。

とにかく、上にも書いた通り、自国の独立を守るのが軍隊の重要な役割ですから、目先の国益を守るためとか言って、長期的には国の存続をあやうくするようなことはしてほしくないと思います。

自衛隊がまともな軍隊になれば、今後は積極的に海外に展開して米軍や多国籍軍とともに戦うことも増えるかもしれません。しかしその時決して忘れて欲しくないのは、軍隊の本当の役割は自国の独立を守るのだという事です。

日米の政治を見比べれば圧倒的に日本が弱いです。日米がかけひきすれば、日本は負けますから、シビリアンコントロールである今のままでは、政治の弱さのために、将来の日本軍がアメリカに都合良く利用される軍隊になりさがってしまう可能性もあります。

日米同盟は将来的に日本が独立を果たした後でもあって全然かまいませんが、それをアメリカに利用されるのではなく、むしろ日本の戦争に積極的にアメリカを協力させるのだ、くらいの気概を持って頑張って欲しいと思います。

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コメント
この記事へのコメント
同感です。
アサヒを初めとする反日勢力はいつも「時代にそぐわない」という言葉を良い様に使ってきた。
「時代」とは?過去にはAと言った事が時代に合わないからと明日にもBと変わってしまうかもしれない「時代」とは?
女系天皇問題のときもそうであった。
容認派はおしなべて「時代にそぐわない」から
「男女同権」の「時代」だから、と声をあげていた。
正論のように。
時代が違うからといって戦後日本の美風、制度などを
ことごとく破壊してきたのはいわゆるサヨク共ではなかったのか。時代に合わせると言うのがそんなに正しいのか。大切なのか。どんなに年月が経とうとも、どんなに古いと言われようとも、護っていかなければならないものがある。
時代になど振り回されてたまるか。
それなのに破壊者、朝日が今度はまた自分の都合で「時代」と言う言葉を利用するのか。どの口で言う。全く厚顔無恥な奴等だ。
「省」に昇格させ精神的にも「独立」を自国で守るという
気概が持てるようになる事を望みます。
DBGTSP | URL | 2006/12/01 (金) 14:42:54 [編集]
まことにもっともです。
今日、昼のみのさんの番組に福澤 諭吉氏の墓が映ってました。氏のことばに、「一身独立して一国独立す」というのがありますが、最近の日本人はどうも独立心には縁遠いように感じます。なんでもかでも政府に頼り、まかせっきりで、これでは良くなりようがないです。自分の頭で考えろと言いたい
たか | URL | 2006/12/01 (金) 23:11:13 [編集]
平和の反意語は戦争では無い。「不和」です。それが日常状態です
「平和」の反意語は「戦争」では無い!まず朝日の国語力はゼロ。「平和」の反意語は「不和」です。
「不和」が状態なのです。国連に国家と国家の間の「不和」を裁定する機能は無い。何処の国も「主権」が認められてる。だからどこの国も国益を最重視して行動します。
「不和」で絶えず国益重視で動き回るとぶつかり合いが頻発するので、ある程度経済ルールを守って行動してる。しかし守らない国が出てくる。「不和」が状態だから普通は(外交)で調整してる。所が日本の場合の竹島や尖閣諸島の石油ガス採掘などは、侵略行為だし、日本国内での日本人拉致などは国家主権の侵害です。又中国内の日本大使館襲撃行為での破壊行為もです。ロシアによる漁民への銃刹や拿捕、韓国との領海境での拿捕や漁業違反行為などは一方的な相手の理不尽な行為では無いと言えるのでしょうか?時代にそぐわないなどという言い換えをするから 意味不明になるのです。防衛省も歯切れが悪い。はっきり国民の財産と安全を守る事が明確ならば国防軍で有り、「国防省」であるべきです。時代が合わないのでは無く、周辺諸国が(戦争放棄)を記載してる憲法下では誤解を招き、遠慮なく「切り取り合戦」を仕掛けてくるからです。白昼に日本の国土の街角が外国勢力に占領状態にされて、無抵抗の日本人が連れ去られるような事態が頻繁に起きていたのだから「時代にそぐわなない」も何も無い。(全くの日本の国土が無防備だった事に鑑みて、遅ればせながら、国防省の建議が成立した)と正しく発表するべきです。大体言い換えとか相手が傷つくとか訳の分からない事で差別用語などと規定して言い換え言語ばかり増やしたり、漢字を簡単にしたり地名変更を読みやすくなどと書き換えると、かえって混乱する。国語力が可笑しいから意味が不明になる。近隣諸国条例とかで中国の悪口を書けない、真実を語れない、などと中国様のご機嫌伺いばかりして、 皇室と言う尊いものを風刺にもならない、左翼の女性天皇擁立劇などを演じてもあらゆるメディアは無視して ネットか週刊誌にしか掲載されていない異常な国を作ってる事をいいことにして、朝日のいい加減な文章力は国民を愚弄してる。朝日が左翼系と分かってるから混乱もしないで、読み流せるけれど、子供には悪い新聞です。それを学校の先生は子供に朝日新聞を取るように押し付ける。私も小学校時代に教師に言われたし、息子達の時代になっても朝日新聞を薦めたのには腹がたった。
ようちゃん | URL | 2006/12/02 (土) 07:26:37 [編集]
皇室侮辱罪、国旗・国歌侮辱罪、 在日外国人・反日活動禁止法の提案
http://empire.cocolog-nifty.com/(Empire of The Sun)が 「陛下のガン」も笑いのネタにした「皇室中傷」芝居を掲載しています。博士の独り言さん、暇人電凸さん始め多数が怒ってるのは当然ですが、法的に違法な事を解説しています。法解釈を平易に説明されてますのどうぞ♪


ようちゃん | URL | 2006/12/02 (土) 07:43:40 [編集]
軍事と経済は密接である。
http://kiyotani.at.webry.info/200612/article_1.html
(魁!清水谷防衛経済研究所)

日本経済新聞に軍事常識なし、即ち経済記事も信用に値せず !
本日の日本経済新聞の一面に、防衛庁の省昇格はシビリアン・コントロールを揺るがす、というようなことを書いていました。

 昨日も書きましたが、(【朝日社説】防衛「省」 改めて昇格に反対する【負け犬の遠吠え】 ) このような主張は他の民主国家を愚弄することです。何しろ日本以外殆どの国は、国防省或いはそれに類する官庁が軍隊を管理しているわけです。
 しかも立派に軍を管理している。その現実を全く無視しています。かえって自衛隊の方が法的根拠が曖昧だったりしますから、法律で律することが難しい。
 
 緊急事態は現場の指揮官が腹を切る覚悟(あるいは政治家は彼らに腹を切らせるつもりで)で泥縄の対応を強いているわけです。オウムのがさ入れの時もAH-1Sを訓練名目で待機させてあった。こういうグレーゾーンを多くすることは軍の暴走につながりかねないわけですが、高給かつ賢明なる日本経済新聞の記者及びデスク諸君はそうことが理解できないらしいです。

 それとも軍事的常識はわかっているけど、こういう記事を書いておくと北京に受けがいいから書いているのでしょうか。

 こういう記事を英語で書いて、外国に配信すると物笑いの種になります。ぼくは積極的こういうネタは外国で吹聴してきます。


 経済活動は政治や外交、そして軍事と密接に結びついています。どこぞで戦争が起きれば、ドルが上がったり、金や戦略物資の相場が上がったりします。逆に航空会社の株が下がったりします。イラク戦争、テロとの戦いがどれだけ我々の経済活動に影響を与えているか今更いうまでもないでしょう。

 つまり軍事に疎いということは、経済に疎いということです。

 即ち日本経済新聞の経済記事は読むに値しない、そういうことです。前からいっているように日経で一番読む価値があるのは文化面です。
ようちゃん | URL | 2006/12/02 (土) 12:34:23 [編集]
官僚の座布団と伝馬船の要求を廃止せよ!
http://blog4.fc2.com/gaikoanzenhosyo/ (外交と安全保障をクロフネが考えてみた)
「防衛省に昇格したので、外務省の悪習を廃止せよ」
(座布団)というボスとと(伝馬船)という座布団の家来を廃止せよ。>をお読み下さい。
アメリカのCIAとDIAも、あんまり仲がよさそうではないが、日本の官僚って自分が閉じこもっているタコツボ(自省・自局・自課)だけが大事で、どうして国家全体の利益を睨んで政策を考えるということができないのだろうか。
ようちゃん | URL | 2006/12/02 (土) 16:04:58 [編集]
大阪に治外法権が認められてる租界地が出来てる!
http://ameblo.jp/worldwalker2/ (WORLD WALKER)


■在日特権の闇  大阪朝鮮人大量居住区

↑大阪市立北巽小学校のホームページ

市立小学校のホームページがこんな具合。
公立なのに朝鮮民族教育。
テストに名前を書くときも、日本語とハングルを併記しなくてはならない。
大阪だけで、公立学校の在日コリアンの教師数が今年100人を超えた。

自分の子供の担任が在日コリアン。
朝鮮人教師による洗脳教育、誤った歴史観・・・
現在、そういう状況におかれている日本人の親御さんは多いし、私たちにとっても十分ありうることです。

【大阪】大阪府・市教育委員会は06年度の公立学校教員採用選考テストに合格した23人の外国籍者を4月から採用することになった。この結果、大阪府内の公立小・中・高等学校で勤務する外国籍教員は初めて100人の大台を突破し、計105人となる。 国籍(地域)別内訳を見ると韓国籍者が90%以上を占め、中国、台湾が続く。

大阪府・市教委による外国籍教員の採用実績を見ると、ここ数年1ケタ台にとどまっていた。4月から採用予定の23人は昨年実績の約2倍にあたる。辞令が交付されれば府内公立小・中・高等学校教員はトータルで59人となり、大阪市立小・中・高等学校教員46人と合わせた数は105人となる。

すでに教壇に立つ外国籍教員82人は全体の3分の2が本名を名乗っている。新たに採用予定の23人についても教育委員会は、教育的配慮から本名を名乗るよう粘り強く指導していくという。

これは外国籍教員の積極採用と合わせ、本名で教壇に立つよう指導を求めてきた民団大阪府本部の要望に基づく。教育委員会でも「児童・生徒たちは外国籍教員を通して隣人のことを知っていく。府内には外国籍の児童・生徒が多数在籍しており、学習の影響は大きいものがある」と認めている。

外国籍教員が100人を超えたことについて民団大阪府本部の鄭炳采文教部長は、「大阪府・市の両委員会が人権尊重を基本とし『ちがいを豊かさに』という教育を実践してきた結果と高く評価します。かつて教員を志望し担任教師から『韓国人は教師にはなれない』と言われた者としてうれしい限りです。これを機会に在日韓国人の受験者が増え、外国籍教員を積極的に採用し、文部科学省が管理職受験を認めるよう期待します」と語った。


○準管理職を新設 大阪府教委
大阪府教委は府立学校において、06年度から新たに「首席」および「指導教諭」という制度を設けた。「首席」は、教頭と教職員の間で校務の要となり、学校運営体制・機能の充実を図る。また、「指導教諭」は学習指導、生徒指導などの指導力に卓越し、教職員の指導力の向上を図ることとしている。



大阪府・市教委とも外国籍教員を「教諭」として積極的に採用し始めたのは75年から。この段階では管理職登用にも道を開いていたが、91年の韓日外相「覚書」以降は同じ教諭採用ながら管理職への道を閉ざした「指導専任」としてきた。このため、民団側が教育委員会に管理職受験を認めるよう要望してきた経緯がある。今年は「首席および指導教諭」の採用者はいなかった。だが、07年度以降は府内の多くの小・中学校で同制度がスタートする予定だ。



○努力認めるが まだ不十分だ
朴洪奎さん(53)=東大阪市立太平寺中学校教諭

私は80年に教諭として採用され、管理職の制限はなかった。今回、府教委は努力してくださった。「首席および指導専任」制度で半分は戻ったというところだ。だが、まだまだ不十分。91年の「覚書」以前に戻っていない。管理職になれる受験資格を認めてほしい。



○管理職挑戦へ 機会を与えて
康孝利さん(32)=大阪市立中道小学校教諭

91年「覚書」以降に採用された。先輩たちが道を切り拓いてくれたおかげです。教員になってからは本名を名乗っている。本名は児童にとって心強いようだ。よく法事の話をしてくれます。この子どもたちのためにも管理職に挑戦してみたい。

民団新聞

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姉の友人の子供が、公立小学校に通っています。
その学校では、在日韓国人がとても多いのですが、変な生徒も保護者もおらず、生徒同士はふつうに仲良くやっています。
ただ、日教組の影響が強いため、狂った先生がかなり多いのです。
 
最たる物は、テストの時、名前を書く欄に、朝鮮語と日本語で書く欄があります。
これだけならばまだ良いのですが、日本人の子供達も、朝鮮語で名前を書くことを強要されています。
 
友人は学校に文句を言いに言ったのですが、全く取り合ってもらえませんでした。
なんで日本人が日本国内でハングル表記の名前を強制されるんでしょうか!



日本の公立小学校で何故  日本人の両親で先祖伝来の日本人の行く学校がハングルなのか!
これはもう植民地にされる! この地区だけが租界になり治外法権が求められてるのか?
至急 調査の必要があります。
ようちゃん | URL | 2006/12/04 (月) 04:59:36 [編集]
 ブログ主様のご意見に賛成です。早く憲法を改正し、是々非々で他国と協調する独立した国防軍を持ちたい。それから、国連常任理事国になる前に充分に核武装論議をしておきたい。
 御健筆を期待します。
茶絽主 | URL | 2006/12/04 (月) 10:45:29 [編集]
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