右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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映画「靖国」問題のまとめ
映画「靖国」の問題について、先週までに3つほど文章を書いてきました。
映画「靖国」上映中止に見るご都合主義的な表現の自由
「見て批判を」は卑劣な言い方
言論の不自由
どれもわりと好評だったのではないかと勝手に思っています。その後、新たにいろいろな情報も目にすることがありましたので、ここで最終的なまとめをここでしておきたいと思います。以下の4点について結論をまとめておきたいと思います。

【マスコミによる弾圧こそ問題】
【映画「靖国」への助成は不適切】
【稲田議員の活動は検閲ではない】
【映画「靖国」の違法性と背徳性】


【マスコミによる弾圧こそ問題】

弾圧とは強い者がより弱いものを力でおさえつけることです。そうと考えれば、今の日本で一番強い権力とは何か?それはマスコミです。とくに朝日新聞とイデオロギーを同一にするマスコミ勢力が日本でもっとも権力を握っていると言ってさしつかえないでしょう。

そのようなマスコミがネガティブキャンペーンやレッテル貼りを行うと、政治家などひとたまりもありません。安倍首相が良い例でしょう。ただし、この関係は普遍というわけではなく、例えば小泉首相のようにマスコミをたくみに操ることができる政治家のみが、本当の最高権力者の位置に立てるというだけにすぎません。

したがって、マスコミを何らかの方法で牽制しなければ、権力は暴走するの喩え通り、とても危険です。

ところが、サヨクは自分たちの考えが朝日的なイデオロギーと一致するので、自分たちが権力側に立っている、時にその権力を暴走させていることに無自覚で、右側の言論をかんたんに弾圧して、その暴力的な言動の質と量にまるで無自覚です。

戦後の日本は、朝日的マスコミの圧倒的な力によって日本人の歴史認識にからむ報道が特定のフィルターを通してしか報道されてこなかったため、多くのデマが国民を洗脳してきたわけです。強制連行や集団自決の軍命令など。「教科書で侵略→進出への書き換え」や「従軍慰安婦」、「南京大虐殺」などのデマが拡大再生産されてきました。

またマスコミのイデオロギーに反する活動をしたり言論を行った人たちは政治家までもが弾圧され、レッテルを貼られその影響力を徹底的にそがれてきました。日韓併合は植民地ではないなど発言した政治家がどうなったかを思い出してみましょう。また、そもそもそういう発言をする文化人や知識人はマスコミで活躍することすらできないのです。正しいことをわかってそれを発言しようとしても、です。

そして、映画「プライド」のように大東亜戦争においての日本を多少でも弁護するととれるような映画は、マスコミにより徹底的にレッテル貼りされ、弾圧と言って良いほど妨害されてきたという事実もあります。

こうして見ると、政治家とマスコミ、言論の自由を弾圧してきたのは一体どっちと言えるでしょうか?

こうした戦後日本の状況にあって、「言論弾圧するもの=公権力」という図式しか頭に浮かばないのは、「権力と言ったら国民を弾圧するもの」とインプリンティングされているサヨク脳のなせる技としか言いようがないものです。

戦前のような日本ならば、たしかに公権力が言論の自由を弾圧してきたかもしれません。しかし、それとて、戦時中の特殊な事情の下の話であり、戦争となれば国民の自由が大きく制限されるのは戦前の日本に限ったことではありません。

また、戦後の日本にあって、言論の自由、表現の自由を弾圧しているのは、圧倒的に力の強いマスコミのほうなは間違いありません。右派と言えども国民ですから、そういう国民の言論を力でねじふせてきたのは、朝日的なマスコミ権力なのです。

サヨクは弱肉強食の新自由主義を批判しておいて、マスコミという言論にかんする最高の価値組・既得権・圧倒的強者が、言論の世界、表現の世界でまさに弱肉強食をほしいがままにしてふるまってきたことを、どうして批判しないのでしょうか!?

そう、まさに戦後の言論空間というのは、公の秩序がマスコミの暴力によって排除される、弱肉強食の舞台に他ならなかったわけです。

そういう状況にあって、稲田朋美議員のやったことは果たして「検閲」などと言えるものでしょうか?

そもそも助成金の妥当性を議論するのは一体どこですべき問題か?マスコミが取り上げることもあるでしょうが、それ自体がマスコミが権力である証拠です。さらに、実際に助成の妥当性を問うて場合によってはそれを修正するための手続きを行うために議論する場といったら、やはり国会になるでしょう。

そうならば、国会議員がこういう問題について議論しなければ、無駄な税金が映画助成の名目で使われてしまうことに歯止めがかからなくなります。そういうことをするのは本来はマスコミの仕事ではなく、行政がやることです。

そして今回の問題では、マスコミによる政治的な圧力の問題こそ議論されるべきです。マスコミのイデオロギーにより政治がゆがめられてきた戦後日本の状況を反省すべきなのです。



【映画「靖国」への助成は不適切】

稲田議員は、「反日映画『靖国』は日本の助成金750万円で作られた」という昨年12月20日号の週刊新潮の記事および、映画の試写を見た人から、この映画に自分が写っていることを教えられて映画について知ったそうです。

そして、マスコミ報道にあるように「稲田議員が公開前試写を求めた」というのもマスコミによる虚報だそうです。

そして、この件に関してマスコミが一番問題にすべきなのは、この映画への助成が妥当かどうかということです。政治家が助成の正否を議論することができないような暴論をマスコミが吐いているわけですから、そんなことを言うからには、せめてマスコミが代わってしなければならないはずなのに、そういう論点はまったく見えてきません。

 それは、結論からいってこの映画に日本芸術文化振興会が助成金を出したのは妥当ではないと言えるからでしょう。この映画は、助成のための条件、(1) 日本映画である、(2) 政治的、宗教的宣伝意図がない、という要件を満たしていないのは明らかだからです。それは、映画を見なくてもわかります。

それは、稲田議員のHPの「お知らせ」から以下を引用させていただきます。これを読めばわかりやすいと思います。

まずこの映画は日本映画とはいえない。同振興会の平成20年度芸術文化振興基金助成金募集案内によれば「日本映画とは、日本国民、日本に永住を許可された者又は日本の法令により設立された法人により製作された映画をいう。ただし、外国の制作者との共同制作の映画については振興会が著作権の帰属等について総合的に検討して、日本映画と認めたもの」としている。

映画「靖国」の制作会社は日本法により設立されてはいるが、取締役はすべて(名前からして)中国人である。この会社は、平成5年に中国中央テレビの日本での総代理として設立されたという。映画の共同制作者は北京映画学院青年電影製作所と北京中坤影視制作有限公司である。製作総指揮者、監督、プロデューサーはすべて中国人である。このような映画が日本映画といえるだろうか。ちなみに政治資金規正法では、日本法人であっても外国人が出資の過半を有する会社からは寄付を受けてはいけない扱いが原則である。

 さらに映画「靖国」は、政治的存在である靖国神社をテーマとして扱っており、そもそもが政治的宣伝である。小泉総理の靖国神社参拝をめぐっては、国内外で議論があった。特に日中関係は小泉総理の参拝をめぐって首脳会談ができなくなるほど政治問題化した。

映画「靖国」のメインキャストは小泉総理と靖国神社を訴えていた裁判の原告らである。私も弁護士として、靖国神社の応援団としてその裁判にかかわった。その裁判で、原告らは一貫して「靖国神社は国民を死ねば神になるとだまして、侵略戦争に赴かせ、天皇のために死ぬ国民をつくるための装置であった」と主張していた。映画「靖国」からは同様のメッセージが強く感じられる。映画の最後でいわゆる「南京大虐殺」にまつわるとされる真偽不明の写真が多数映し出され、その合間に靖国神社に参拝される若かりし日の昭和天皇のお姿や当時の国民の様子などを織り交ぜ、巧みにそのメッセージを伝えている。

いわゆる「南京大虐殺」の象徴とされる百人斬り競争―私は、戦犯として処刑された少尉の遺族が、百人斬り競争は創作であり虚偽であることを理由に提起した裁判の代理人もつとめた。結論は遺族らに対する人格権侵害は認められなかったが、判決理由の中で「百人斬りの内容を信用することが出来ず甚だ疑わしい」とされた。ところが映画「靖国」では、この百人斬り競争の新聞記事を紹介し、「靖国刀匠」をクローズアップすることにより、日本軍人が日本刀で残虐行為を行ったというメッセージを伝えている。

 これらを総合的に判断すると、映画「靖国」が、「日本映画」であり「政治的宣伝意図がない」とし、助成金を支出したことに妥当性はない。なお、この映画には肖像権侵害や靖国刀が靖国神社のご神体だという虚偽の事実の流布など法的にも問題があることが有村治子参議院議員の国会質疑で明らかになった。 

このように、この映画への助成金の支出はあきらかに不適切なものです。助成の条件、(1) 日本映画である、(2) 政治的、宗教的宣伝意図がない、の2点を満たしていない以上、映画製作者はただちに助成金を返還しなければなりません。また、マスコミはそのことをはっきりと報道しなければなりません。日頃から税金の使い道にあれほど口をはさみたがる、何でもかんでも税金の無駄遣いと言いたがるマスコミ連中はは一体何をしているのでしょうか?

また、助成金が自主的に返還されないと言うのならば、返還を求める訴訟を起こす必要もあると思います。稲田議員は弁護士ということですから、その訴訟をお手伝いされてはいかがかと思います。



【稲田議員の行為は検閲にはあたらない】

これについては、上で私はマスコミと一国会議員の力関係から、稲田議員の行為は言論弾圧などではないこと、むしろ弾圧してきたのはマスコミの側であることを示しました。それは、現実の状況というものを分析したにすぎないと言われるかもしれません。

もう一つの問題は、法律的に言って稲田議員の行為は本当に検閲にあたらないのかどうか、という点にもあるでしょう。

そこらへんのことは私は面倒なので議論から撤退したのですが、コメント欄で「お笑い左翼スイーツ(笑)」さんと「ROM太郎」さんが議論してくださり、最終的にROM太郎さんによって論破された通り、稲田議員の行為は検閲などにはあたりません。

以下、コメント欄から引用させていただきます。

お笑い左翼スイーツ(笑)さまが稲田議員の行為を検閲行為と判断される根拠となった判例はこれですか?(事件名「輸入禁制品該当通知処分等取消」判例集第38巻12号1308頁)。
(↓)
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070914155802.pdf
判例によれば(参照先の5ページ、14行目以下)、『「検閲」とは行政権が主体となって、思想内容などの表現物を対象とし、その全部または一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の行為の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止すること』とされています。

さて、今回の稲田議員の行為が検閲にあたるかどうか検証してみます。

上記によれば「検閲」が成立する構成要件としては次の3点。

(1)「行政権が主体となって」
一国会議員である稲田議員の立場は行政権たる内閣でもその機関でもありませんので、これに該当しないことは論を待ちません。釈迦に説法でしょうが国会議員という身分そのものは立法権に属します。

(2)「思想内容などの表現物を対象とし、その全部または一部の発表の禁止を目的として」
映画の事前試写は「文化庁の助成金交付の妥当性」を判断するものであり「表現物の発表の禁止を目的」としたものではないということは稲田議員の談話からも明らかです。

(3)「不適当と認めるものの発表を禁止すること」
行政権によって表現物の発表(映画の上映)が禁止されたなどという事実はどこにもありません、映画館が自主的に判断したことです。現にその後、全国で幾つかの映画館での上映も決定していますしね。

ということで、今回の稲田議員の行為が検閲にあたると主張するには上記の構成要件を何ひとつ満たしていないということになります。

お笑い左翼スイーツ(笑)さまが、今後も「検閲」ということを主張されるのでしたら、上記(1)~(3)に対する反証を呈示された上で自論を展開されるべきです。

と、完膚無きまでに論破されています。つまり稲田議員の行為は戦後日本のマスコミと一議員との力関係からも、また法律上からも検閲などにはあたらない、これをマスコミが検閲などとレッテル貼りするのであれば、それはマスコミによるまともな政治活動への弾圧であると断言して良いでしょう。

長年放置されてきて今問題にすべきは、圧倒的な力をいまだにほこっている朝日的なマスコミによる、それとは異なる言論および政治活動への徹底的な弾圧のほうなのです。



【映画「靖国」の違法性と背徳性】

さらに、この映画「靖国」は、不公正に助成を受けていたという問題だけではなく、肖像権侵害および、あまり使いたいことばではありませんが、人権侵害を行っている疑いが濃厚です。

まず、靖国神社内での撮影が正しい手続きにのっとって行われなかった点。これについては違法とまで言えるかどうかわかりませんが、靖国神社は抗議しています。

また、数々の肖像権を侵害している疑いもあります。

映画に登場する刀匠の刈谷さんという方が、自分が登場する場面を全部削除するよう監督に申し入れているという話があります。

これについて中国人監督は「刈谷さんの心変わりは、自民党の有村治子参院議員が電話をしたことがきっかけ」と、問題を政治的圧力というサヨクお得意のウソにすりかえようとしています。

しかし刈谷さんが削除を申し入れたのは昨年の春ということで、それでは時期的に説明がつきません(有村議員の電話はもっと後)。

そもそも中国人監督から「最後の靖国力の制作者」という主旨で刈谷さんに映画の出演依頼が有って、刈谷さんはこれを快諾し、平成17年秋に撮影が行われたということのようですが、映画の試写を昨年の春に見た刈谷さん夫妻は、取上げ方が話しと違うと削除を強く求めていたのです。

刈谷への試写の後、この中国人監督は、さらに完成品を作った上で、そこで刈谷さんの考えを考慮すると釈明したにもかかわらず、その後はほったらかしであったとのことです。要するに刈谷さんはこの中国人監督に騙された、中国人監督は騙して自分のイデオロギーに都合良く刈谷さんを量したということなのです。何とも卑劣なやりかたです。ここでは法に違反うんぬんだけでなく、この映画の不徳さのあらわれが見て取れます。

では、映画の中で刈谷さんさんは一体どのように描かれているのでしょうか。この部分については、映画を見た者しかわかりませんが、見なくても稲賀議員が書いている上の部分から十分に想像可能です。これを「見てから言え」と言い方こそ卑劣な物言いです。

稲田議員の文章では、『映画「靖国」では、この百人斬り競争の新聞記事を紹介し、「靖国刀匠」をクローズアップすることにより、日本軍人が日本刀で残虐行為を行ったというメッセージを伝えている。』とあります。

このような描かれ方に刈谷さんが大変不快感を感じられた、悪いイメージのレッテル貼りをされたという事なのでしょう。これは、サヨクが言うところの人権侵害にあたると言って良いでしょうし、本人の許可無く映画を上映するとなると、靖国神社での撮影の話と合わせても肖像権を侵害しまくり、人権侵害もしまくりなわけです。

靖国刀が靖国神社のご神体だという虚偽の事実の流布など法的にも問題があることを有村治子議員が指摘したことを政治的圧力などと批判するような卑劣な物言いまでしています。本来、こういうことはマスコミがすべきことなのに、マスコミが自分たちのイデオロギーばかり優先するから政治家が口をはさまざるを得ないのでしょう。

そしてこれらの点こそ、左派マスコミやサヨク連中が人権や肖像権や法律というものを自分たちに都合よくしか考えていないことのあらわれです。自分たちの都合で、自分たちの勝手な都合によって一番大事なものがコロコロ変わるのです。この場合は、「刀匠の人権」よりも「中国人監督の表現の自由」がうわまわるようです。もちろん、映画プライドのような場合はこれが逆になります。表現の自由よりもサヨクイデオロギーが一番大事となるのでしょう。

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