右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
人気ブログランキングへ にほんブログ村 政治ブログへ

コメント歓迎ですが「こちら」をお読み下さい。

男女共同参画とか女性の「社会進出」とは?
私は理系の教育・研究職についていまして、いくつか学会に所属もしているのですが、最近よく男女共同参画に関するアンケートを求められたりすることがあります。女性科学者の権利を認めるための内容です。

また学会の会報誌に男女共同参画を積極的に推進すべしといった意見が載ったりするのを目にするようにもなりました。そこに見えるのは、とりあえず我が国の科学技術の発展云々よりも女性科学者をもっと増やすべきとか女性の意志が反映される組織運営をすべしと言った意見です。

私は社会的性別による役割分担というのは、すべてとは言いませんが、そこには多分に歴史の叡知が含まれていると思いますので、それらを全否定して過激に男女均一化を推進したりなどすれば、社会はとてつもない混乱に陥るだろうと思います。というか、実際そのようになりつつあります。

世界各国のデータを素直に見れば、女性のいわゆる「社会進出」が進めば進むほど、出生率が低下しています。そして、国がそれにたいしてほとんど社会主義的とも思えるような男女平等政策を、多額の税金を投入して行うと、出生率が多少改善することもあるようではあります。

そうなると、女性の「社会進出」がさらに推進され、今度は再び出生率が低下するでしょう。それに対してさらに莫大な税金と男女平等政策を強力にすすめることによって、またちょっと出生率が上昇する・・・といういたちごっこを繰り返しているのだと思います。ジェンダーフリー論者は各国の統計を素直に解釈してその事を認めた上で主張すべきだと思います。

また、上で女性の「社会進出」という書き方をしたのは、一般には女性が家庭を出て会社に勤めて外で働くようになることを「社会進出」と言いますが、私はこの言い方はおかしいと思います。専業主婦とて社会とつながっており、というか、会社勤めなどしている者よりも余程地域社会としっかりとつながっており、会社勤めをせずとも、いや、むしろ会社勤めなどしていない主婦こそ、すでに社会に進出しているのです。

経済活動に直接かかわることのみを「社会」などと呼ぶのは悪しき拝金主義・近代主義です。

従って、外に出て働くようになることを「社会進出」と呼ぶのは、不正確な表現だと思います。

二人以上の子供をそだてるためには、夫婦のどちらかが専業でなければ、かなりの困難を伴います。分業しなければ無理ですし、家で子育てをすることと会社で働くこと、どちらが社会的に立派なことであるか、どちらが価値のあることか、そう単純ではありません。

そして、どうしてこのような社会的な役割分担ができあがったのか、それはやっぱり性によって適性が異なるからだと思います。多少なりとも生物学をかじっている私からすれば、やっぱり男女はその脳の構造や体のつくりにおいて(もちろん個人差はあるものの)あきらかに異なっています。

ですからジェンダーフリー論者は、そのような、性による適性の違いを否定したがるのでしょう。そして大人よりも性差の小さい子供の頃から、性による違いを否定した教育を施すことによって、自分たちのイデオロギーに都合の良い「異形の子供達」を量産しようとしているようです。そのひとつが「性教育」だそうで、かなり異様なものです。

そこで、ずいぶん以前になりますが、極楽トンボの山本という芸人が未成年者に淫行をした際に旧ブログで私は女性の側の道徳観の乱れについて書いたのですが、その時に、「しま」さんより頂いたメールの内容を許可を得て転載させていただきます。

若者の性的な乱れに関しては、教育の現場で以下のようなことが行われております。
のまりんの部屋(ページの下のほうをご覧ください)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~constanze/nomarintopx.html

************************************

さて、男女平等運動は大きく分けて、三つの柱で推進されております。
学校における男女平等教育も、おおむね、これらにそって行われています。

いわゆる男女平等
 男女雇用機会均等、昇進、女性も職業をもちましょう、ジェンダーフリー、等

性被害
 セクハラ、ドメスティックヴァイオレンス、レイプ、等

性教育
 さて、これがすごく問題です。昨今の性教育は、大半が究極の人権教育です。


*目的 
昨今の推進者達は、人権の問題として、児童生徒に「性の自己決定権」を付与す
ることを、性教育の最優先課題として実践して運動を進めています。

*性の自己決定権
自分で性行為をするかしないか、決定する権利です。主に女性の「自己決定権」
を指します。この「自己決定権」のところで、子供の人権条例運動と重なり、相
乗効果で進められています。
*性の自己決定能力
より良い「性の自己決定」をするための能力です。

*良いセックス(より良い自己決定)
性教育推進派が言うところの「良いセックス」とは次の通り。
1 エイズ・性病にかからない。
2 望まない妊娠をしない。
3 合意
上記1と2の理由のため、コンドーム装着訓練を行います。


というわけで、性教育推進者はすごく熱心にコンドーム装着訓練をしています。

************************************

もう一点、先日千葉県我孫子市で「自治基本条例を考える市民集会」に参加してきました。(講演はジャーナリスト平田文昭氏と東京都日野市議渡辺眞氏)直接的侵略を引き入れるのが無防備地域条例であるなら、自治基本条例は間接的侵略を引き入れるものです。
その中に盛り込まれるのが「子どもの人権」「外国人参政権」「住民投票」なのだそうです。

「市民が主権者」といって議会をないがしろにし、NPOなどの正体のわからぬ市民団体が条例検討の委員などとして直接市政に口を出しつつあります。

このまま地方分権が進めば、「遠くの国内より近くの外国」ということで国家解体につながりかねません。

子ども、障害者、女性、人権など聞こえのよい言葉を使って条例を作り、利権をむさぼり国を乗っ取ろうとしているのではないでしょうか。

そういう観点からすれば子供は利用され躍らされる被害者ともいえるでしょう。

・・・はしょりすぎて、なんだかまとまりがなくてすみません。

若者の乱れに関しては、情報の氾濫や躾の問題もありますが、こういったジェンダーフリーや政治利用という側面もあるのかなと思います。

基本的に義務のない子供には権利はないと考えています。

親や周囲の大人が分別のある人間に育てていくのです。しかし最近のニュースを見ていると親のほうにも問題が多いようですが。
何かあるとすぐ損害賠償請求で、自分の首を絞めていることがわかっているので
しょうか。医師も保育士も教師も減っていきますよ・・・。

ここで指摘されている通り、私も現時点での地方分権は非常に危険だと思います。小泉政権は地方切り捨ての方便として地方分権を謳っていましたが、地方は地方で国家解体のイデオロギーによって地方の独立を目指しています。

ちなみに上のメールを下さったのは女性の方です。私のまわりにも、男も女もおなじように生きるのが幸せだなどと考える人は少数です。それが常識というのもだと思います。

女性の「社会進出」を唱える人々は、自分たちが女性の代表であるかのように思っているようですが、果たしてそうでしょうか?私はどうしてもそう思えません。彼女たちのやろうとしている事は女性を不幸にしているのではないかとすら思います。

男女の違いと性の役割分担についてもっと真剣に考えるべきでしょう。社会的性別による役割分担の多くは、歴史と伝統の叡智である可能性が高いと思います。

男は男らしく、女は女らしく生きてこそ充実した人生が送れるというものです。

男とはこういうものだ、とか、女とはこういうものだ、というのは偏見だと言われるかもしれません。

しかし偏見とは英語で「Prejudice」です。これはすなわち、あらかじめ(pre)の判断(judice)ということです。

長年の積み重ねが人々の間に何らかのものの見方に関する基準を生み出してきた、そして、その基準によって、「あらかじめの判断(prejudice)」ができあがった、それが偏見の一面であると言えるのであれば、偏見もそうそう捨てた物ではないのじゃないか、と思います。

どんな「論理」にもかならず論理の「出発点」が必要です。論理とは方向性や流れを示すだけの道具にすぎません。またどんな「合理」にもかならずその「前提」が必要になってきます。「論理の出発点」も「合理の前提」も、どちらも「論理」や「合理」そのものから出てくることはありえません。そこには「感情」や「情緒」による「あらかじめの判断」がかならず必要になってくるのです。

「あらかじめの判断(prejudice)」なしには、その先の「論理」も「合理」もありえないという事です。

また男女の性差は生まれつきか環境かというテーマも興味深いものです。ジェンダーフリー論者は、性的な役割分担はすべて事後的なもの、環境によるものであると決めつけています。

しかし、それはウソです。リチャード・ドーキンスみたいに人間も所詮は遺伝子の乗り物にすぎないとするのは極論で、あれはあれで不正確な論ではありますし、社会生物学や動物行動学のような分野でも、氏か育ちか、つまり遺伝か環境かという問題はよくテーマになっています。

そして、結局はそれぞれが半々であるというのが今のところのほぼ正しそうな着地点であるというのが私の感覚です。少なくとも半分は「生まれつきの性質」というものがあり、男女の差というものも、少なくとも半分のレベルでは生まれつきであると言える、と断言しても間違ってはいないと思います。

それを、「たった半分だけ」と見るか「半分も」と見るかは人それぞれあるかもしれませんが、ジェンダーフリー論者のように生まれつきの要素など「ゼロである」というのは極論であり暴論であり、単なる間違いにすぎません。

↓クリックしていただけると書く意欲が増します。


↓お手数おかけしますが、こちらもクリックしていただけると助かります。
にほんブログ村 政治ブログへ
コメント
この記事へのコメント
>経済活動に直接かかわることのみを「社会」などと呼ぶのは悪しき拝金主義・近代主義です。
>従って、外に出て働くようになることを「社会進出」と呼ぶのは、不正確な表現だと思います。

そのとおりです。専業主婦だって社会の重要な要素を担っているわけで、その側面を無視するのはおかしいことです。
| URL | 2008/04/15 (火) 23:19:22 [編集]
耕さん、毎度です。

私は以前から女性の「社会進出」という言い方に違和感を感じていたんですよね。

あと、もちろん私は明治時代?の父親があまりにも威張り散らしているような父権の強すぎる家庭というのが決して良いとは思っていないのですが、男女の区別がまったくない、親子の区別すら無い最近の家庭のあり方が、社会の秩序を根こそぎにしているような気がしてならないのです。
管理人 | URL | 2008/04/16 (水) 09:57:02 [編集]
男女差や親子差をなくして喜ぶ感性は、親から教わる部分も大きいでしょうね。子育てとはやはり大変に不安なものなので、親は周りの社会を注意深く見渡しながら子を育てます。核家族が主体の現状では、その親の周りをジェンダーやらコマーシャリズムやらのいろんな暴風が毎日吹いているのでしょう。そしてそれを牛耳っているのがマスコミですね。やはり教育の問題とマスメディアの問題は不可分だと考えます。
ユーグン | URL | 2008/04/16 (水) 10:48:35 [編集]
はじめまして。

つい先日「性教育の暴走」という本を読みましたが、酷いものですよ。
幼稚園の段階で
「ペニス!ヴァギナ!」
と叫んでいるそうです。
Z | URL | 2008/04/16 (水) 15:22:33 [編集]
大体、何でも極端なんです。
封建的なのが悪い、となったら
逆方向へ一気に極限まで流れようとするし。

行き過ぎた性教育、不必要なまでの男女差の否定、
女性を家庭から引き離す風潮、全て反対です。
翡翠(ひすい) | URL | 2008/04/16 (水) 19:50:21 [編集]
みなさん、コメントありがとうございます。

まあ、大変な世の中になっちゃいましたね。実際の子育てもいろんな障害物がごろごろしていることでしょうね。
管理人 | URL | 2008/04/17 (木) 09:52:21 [編集]
性教育というか性の乱れは本当にひどい感じがしますね。
それこそ、私の地域でも学生による乳児置き去り事件がありました。多分、少女は逮捕されたでしょう。
結局、フリーセックスを認めれば、恋愛において、セックスしないということは愛していないのか、と言われて、望まないセックスを行うことにもなりかねないですからね。それで、責任を負うのは女性のみ。
一体、誰のための性教育なのか少々疑問に思えますね。
unname | URL | 2008/04/25 (金) 10:52:31 [編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
copyright © 2005 右余極説 all rights reserved.
Powered by FC2ブログ. | Template by Gpapa.