右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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「変化」は良いことか
戦後の日本に限った話ではなく、ともかく近代以降の社会では、「変化」というものを無条件に良きもの、歓迎すべきこととであるという思いこみが強く支配していると思います。

その時代の世がどうしようもなく、これ以上悪くなることが無いとしか考えられないような場合に限って、変化してもそれ以上悪くなることが無いから、変化=良いこと、というだけの話で、基本的に、近代以降は、変化したからと言ってその変化が良い方向へ向かわせるものとは限らないのは、少し考えればわかることです。
北朝鮮みたいな国ならば、どうころんでも、現状よりもそう悪くなることも無いでしょう。ですから、ああいう国ならば既存の体制を破壊までしても、それは良いことと言えると思います。

しかし、それ以外の、しかも現代の日本で、既存の体制を徹底的に破壊してしまうのが、よりよい日本を創るとも思えません。部分的にそういうことが必要だとは思いますが。

正確な表現は知りませんが、マイケル・オークショットという人がこんなことを言っています。

変化によって失うものがあるは確実だが、得るものがあるかどうかは不確実だ。
だからその確実性の差だけ、変化に対して慎重であるべきだ。

ところが、アメリカ大統領選挙でオバマが連呼しているのは「チェンジ(変革)」のワンフレーズという訳です。

控えめに言っても、変化して良くなるかどうかは不確実である、ということでしょう。人間は未来を予測できません。リスクとして管理できる情報などたかが知れています。未来は確率分布では推し量れないのです。

ところで、ちょっと話は変わりますが、ホリエモンの最終的な判決が一体いつ出るのかよく知りませんが、このところずいぶん小さくなったとは言え、未だに聞こえてくるホリエモン支持者の考え方に、変化にたいする過剰な期待というか軽信、盲信が典型的に見て取れます。

支持者曰く、『彼は既得権をうち破ってくれた、彼のやったことは私たちに「変化」という希望を与えてくれた』とか・・・。

考えてみれば、これが「改革」が支持される理由と同じということです。とにかく大きく変化させることを皆が望んでいるとかいうことが吹聴され続けています。

既得権を打破してくれたとか、既存の構造を変えてくれたと言っていますが、どこかで誰かが既得権にあぐらをかいて甘い汁をすっている、そういう「ずるい奴」がいると、そういう思いで頭がいっぱいになっている人間が多くなっているということでしょう。それは、どういう社会であろうが、そういう人間はまったくいなくなることはありません。

そして、その「ずるい奴」が、古いタイプの財界人のことなのか、ゼネコンなのか官僚なのか政治家なのか知りませんが、実際にはそうした人たちの中で悪質なの一部のことだと私は思いますが、どうも既得権はすべてけしからんと思っている人が多いようです。

そういう一部の「ずるい奴」を倒すために、その体制すべてをぶっこわせとする極論がまかり通るのが恐ろしいところです。

ろくに仕事をしない官僚がいるからと言って、官僚制度を根本から潰してしまえ、という意見がそれなりに支持を集めてしまうのが現代の恐ろしいところです。

郵政民営化の論争のときには、特定郵便局みたいな、ごくちっちゃな既得権まで攻撃の対象にされました。猪ノ瀬直樹でした。昔からある特定郵便局が、これまでどれほど地域社会に貢献してきたかなど一切省みられず、ひたすら「安定している」「体制に守られ甘えている」と言って攻撃されたのです。商店街をシャッター通り化させてゆく過程でも、商店街の店主たちに同じような攻撃がしかけられたのを思い出しました。

これは、戦後常に体制側を攻撃し続けてきたマスコミの洗脳によって、既得権をすべて悪であると思いこませるような、反体制のムードがえんえんと続いてきたことによるものだと思います。商店街の店主たちも郵便局の人たちも自民党の支持母体であったために、反自民しか考えていないマスコミの標的にされてしまったのです。

こうした考え方がちょっと行き過ぎというか思いこみのレベルに達している人が結構多くて、これは長年のマスコミの洗脳にそまってルサンチマンばかりを募らせた典型例なんじゃないかと思うわけです。

ホリエモン支持者の声として以前に新聞で見かけたのは、フリーターをしている負け組の意見でしたが、彼はホリエモンのような人間の行動や「改革」が既得権の破壊(実際は秩序の破壊にすぎない)をやってくれて、社会が混乱すればするほど、自分たち「負け組」にもチャンスがめぐってくると信じているところがあるのです。

月刊現代だか何かに、「丸山真男をぶん殴りたい」かなにかの文章を書いて注目されたフリーターもいましたが、彼は戦争になってほしいと言っている。戦争になれば、既存の秩序が崩れて皆兵士として平等になり、もしかしたら丸山真男のようなエリートよりも上官になって、彼をぶん殴れるかもしれない、そういう発想を抱くものすらいるそうです。

しかし、彼らは一番肝腎なことがわかっていません。現在すで負け組になってしまった人間は、社会が混乱すればするほど、もっと負け組になるだけなのです。

変化にすがるしか希望が見えないのでしょう。同情はしますが、ホリエモンとか「改革」みたものに期待しても無駄だということに早く気づくべきだと思います。

そもそも変えればよくなると安易に考えすぎです。変えれば、かならず変えたことによる混乱というものがおこります。

社会は有機体のように複雑にからみあっているので、たとえば金融の制度だけであっても、それを大きく変えれば変えるほど、周り回って結局人々の暮らしにも大きな混乱をおよぼすのです。

そのような混乱はどういう事態をもたらすか。要領の良い奴が混乱に乗じてうまいことやって成功するだけで、大多数のコツコツ地道な努力を継続的にするような勤労者は損するだけということが多いのです。

そして、みんな目先の金儲けにばかり血眼になります。改革によって、そういう社会にどんどん改造されています。これも半分くらいは「変わればよくなる」という盲信のせいだろうと思うのです。

「変化によって失うものがあるは確実だが、得るものがあるかどうかは不確実だ。」というオークショットの言葉を思い出して欲しいものです。

もちろん、一切変えるなと言っている訳ではありませんし、古いものがすべて良いものであると言うつもりもありません。古くからあるものには、伝統だけではなく、旧弊としか言えないようなものもあるでしょう。

しかし、現代に蔓延しているのは、古いものを伝統であるか旧弊であるかの仕分けをせず、とにかく破壊して新しくすることが良いのだというドグマ(良いことに見えること)なのです。

歴史の風雨にさらされて生き残ってきた歴史あるものが、たかだか現代人の思いつきとしか思えないようなアイディアで悪弊と決めつけられて破壊され改造されるということがあいついでいますが、そのような理性の傲慢が人々を幸せにしない・できないのは、フランス革命を見ればよくわかります。

慣れ親しんだ制度なり慣習なりを変えることにたいして、良識ある人間ならばそれなりの慎重さがともなうはずです。しかし長年マスコミ報道にさらされていると、自分たちがものすごく損をしているような怨念ばかりがふくらむようになっているから、「既存の秩序など破壊するくらい改革せよ」、などと思ってしまうのでしょう。

その結果、自分たち「負け組」がさらに追いつめられる世の中になってゆくだけだとも気づかずに・・・。

負け組がすべきことは、新しいこと、改革ではありません。理性による実験的な改革ではなく、歴史をふりかえることです。

年功序列賃金・終身雇用・所得再分配・企業間労働組合、そういったものを見直すのです。もちろんこれらとて、過去のように硬直したものではなく、伸縮性を持たせたものに改変する必要くらいはあるでしょう。

このように、頭で描いた設計主義にもとづく改革、それもアメリカの猿真似ですでに他国で失敗したような、日本の国柄にもあわないような改革ではなく、温故知新、かつての日本はどうであったか、どうするのが日本の国柄にあっているのかを考えるべきなのです。

滑稽なことに、労働組合などは、その偉い人(名前は忘れた)が改革をずっと支持してきました。そのせいで自分たちが潰れてしまい、労働条件は劣悪なものに成りはてたのです。進歩主義に取り憑かれた人間の哀れさを感じます。

ところで、改革派は「国際競争力」という観念を持ち出して、労働力の流動化や賃金カット・リストラを正当化します。

日本の労働者賃金も下げないと、途上国の安い労働力にかなわないと言うのです。そう言って労働者の賃金を大幅カットしたりリストラして業績をあげた金は、役員報酬や株主配当の大幅増へと消えて行くのですが・・・。

しかし、いかに国際競争力などと言って国内の労働者賃金を下げようとしても、日本人には歴史的に培われた「妥当と思われる賃金の水準」という感覚があります。この感覚から判断して、とても公正と思われないような賃金では、労働者は勤労の意欲を失う、雇用関係はいずれ崩壊するに決まっています。そうなると、国が成り立ちません。

従って、日本の国柄を守るという前提にたって、国際競争力が障害になると言うのならば、国際社会に対してグローバリズムを抑制するような何らかのアクションを強い政府が起こすべきなのです。

しかし現在は強い政府がありませんから、ひたすら現状に適応しようとするばかりで、国内の安定を守れません。自民党には中国のに媚びる政治家かアメリカの手下のような政治家しかいないのが現実です。そこが根本的な原因です。

国柄の保守ということは、伝統的な価値観に限らないのです。労働環境における公正の感覚というものも、そう簡単に変わることのできないものなのです。

そうやって、人々の感覚や行動は慣習にひきずられているのです。変化している状況にひたすら適応してゆこうとするだけでも、大きな困難がともなうのです。

したがって、避けようのない変化であっても、それを穏やかなものにしようとする努力が必要なのです。その努力さえ一切無しに、ひたすら「もっと変化を!」と叫び続けるのは、常軌を逸しているとしか思えません。

「変化」についてはまだ書きたいことがありますが、長くなりそうなので明日へまわします。

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コメント
この記事へのコメント
平和ボケの人が刺激が欲しくて
「変化」を求めているような気がします。
それから、随分、「楽観的」なんだとも。
変化を求める人々は、変化すれば良くなる、
という随分都合のいい考え方(妄想)があるのでしょう。
が、現実はどうなのか。確実に悪くなっていますよね。
今のこの状態を打破したければ、逆に伝統や歴史を
振り返って見るべきです。それこそ
先人の智慧の宝庫だと思うからです。
翡翠(ひすい) | URL | 2008/04/02 (水) 17:30:10 [編集]
事がここまで来れば変化は必要では?

國體を取り戻す様な変化がね。

揶揄するつもりではありません。
要はこの国の人々はもう何を守るべきかも分からない状態ではないかと思う訳です。
この状態から巻き返すのは革命家の気概で行かんとどうにもならん気がする次第。
ZERO | URL | 2008/04/02 (水) 22:31:25 [編集]
もちろん私とて、変化そのものを完全否定しているわけではありません。

変化の方向性が、決して「過去の良きもの」へとむかうのではなく、破壊か外へしか向かいません。

つまり、「不確実性」「破壊」「アメリカなど他国のサル真似」などへとしか向かっていない、そういう変化のベクトルがおかしいということでしょうね。そう書ければ良かったですが・・・

明治「維新」はメイジ「リストレーション(復古)」なわけですからね。ただ新しく変えるのとは違いますから。橋下知事が大阪維新だなんて大笑いですよね。
管理人 | URL | 2008/04/03 (木) 09:11:09 [編集]
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