右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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国を存続させる三つの力
2、3日前に書いた文章のコメント欄で、経済力、軍事力ということについて若干議論になっているようですので、そこらへんについての私の考え方をちょっと書きたいと思います。

そこでは深く議論にまでなっていませんが、その話で本質的に問題となるのは、おそらく「国家存続のために必要な力とは何か」ということだろうと思います。

これについては、過去のブログで書いていますので、それを参考に再度書き直してみたいと思います。
コメント欄(ここ)で経済力=軍事力と書かれた人がいて、私はそれに同意したのですが、それはたぶん、「国を守るためには経済力というのは軍事力と同じように必要な力である」という意味で言われているのだろうと解釈したから、私も同意したわけです。

厳密に言えば、経済力と軍事力はまったく別物ですし、戦後の日本みたいに、経済力は世界第二位にまでなっていながら、憲法9条みたいなのを持つ、使える軍事力を持たない国というのがあるわけですし、コメント欄で指摘されていたように、これとは逆に、北朝鮮みたいに経済がボロボロでも軍事力だけ突出している国もあります。かつての中国もそうでしょう。

いずれにせよ、近代国家のパワーというのは、経済力と軍事力、というのは間違いないと思いますが、もっと大事なことがあります。それは、二つの視点から考えられるでしょう。

第一の視点としては、経済力も軍事力も、国家存続のためになるような方向で制御されなければならないという点です。

経済力について言えば、国民の価値観を滅茶苦茶に崩壊してひたすら経済力を高めるために拝金主義的になったりグローバル化させてしまうのは、長期的な国家存続をあやうくする可能性があるという点で、私は慎重であるべきと考えます。

また、軍事力とて、日本のようにせっかくの軍隊にあまりに手枷足枷が多くて使えないとか、逆に北朝鮮のように軍がひたすら突出して国民生活と周辺諸国を圧迫するようでは、これまたそういう国は他国や国内から滅ぼされる可能性があるでしょうから、長期的な国家存続を危うくするという点で問題ありです。

それから、第二の視点としては、経済力と軍事力だけでは国家の存続は不可能だということです。それは第一の視点から、経済力と軍事力さえあれば国家が存続するわけではないとわかるでしょう。

国家の存続のためには、何よりも、国家を存続させるための「価値」が必要なのです。

そのことを私に気づかせてくれたのが、西村眞悟議員でした。

国家の回復とは何か

 およそ国家が存続するには、三つの要素が不可欠であろう。一つは、その国家の価値である。そして、カネと力つまり経済力と国防力だ。これら三つの要素は、総合されて国家を存続させる。そのうちの中心の要素は、価値である。価値の無い経済力も国防力も無意味である。猿が金と力を持っていても滑稽なだけで無意味だ。もっとも、如何に価値と経済力が兼備していても、力がなければ他国に容易に滅ぼされるのも人類の歴史であった。また、たとえば経済力も国防力も無くなって国が滅ぼされても、価値があれば国家は復活できる。イスラエルは、20世紀になって二千年前に滅ぼされたユダヤ人の国家を復活させた。反対に、国家が価値を失えば例えカネと力が豊富にあっても復活は難しい。したがって、国家の回復とは、国家を存続させる価値を中心とした三つの要素の回復に他ならない。

 では、我が国は、如何にしてその回復の切っ掛けをつかむのか、それは、まずその三つの要素への攻撃を加えている脅威を自覚することであろう。

 まず、結論を言うならば、我が国の価値に対する攻撃は「歴史認識の強要」という手法で中国とそれに追随する韓国が行っている。もともと我が国の近代の歩みを裁くと称して、我が国に復讐した東京裁判史観そのものが我が国の歴史を悪として価値を奪うことを目的としたものであるが、それでも東京裁判は、戦没者の慰霊の場である靖国神社を否定するものではなかった。

 しかしながら、近年になって、中国と韓国は我が国の靖国神社そのものを否定して攻撃している。これは、例えば革命により建国を宣言した中国において、革命英雄記念碑を否定するに等しいのである。革命の英雄を「人殺し」と否定すれば、その時に中国共産党政権の正当性が崩壊するのであるから、靖国神社に対する中国の攻撃は、極めて重大で悪質かつ狡猾と言わざるを得ない。また、先に述べたように国内の売国層が中国に追随し靖国神社を攻撃している。神社における慰霊は、日本人の自然に行う伝統そのものである。この日本人の自然の「しぐさ」に対する、いわれなき執拗な攻撃に遭遇して、我々は、日本の歴史とその伝統の中にある価値に目覚め誇りをもって歴史を顧みはじめたのである。

(以上、西村眞悟・眞悟の憂国 p24~)

真悟の憂国真悟の憂国
(2005/04)
西村 真悟

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ちなみに、国家という言葉を聞くと政府のことを連想する人が特に左翼には多いですが、国家とは、政府ももちろん含まれますが、そこには国民も歴史も含まれるものです。国家は国民と対立するものではなく、それを含むものであるということだけ確認しておきます。

それで、国家の存続のためには、ただ経済力や軍事力だけ強ければ良いというものではなく、国家を存続させるに値すると思わせるような、価値が絶対に必要なのです。

そういう価値を考えずに、金や武力についてだけ考えるというのでは、より金儲けできそうな国へ逃げようとか、力の強い国にひたすらついてゆこうとか、そういう発想にしかなりません。

そう考えると、グローバリズムを良いことと捉えて、ひたすら個人的な経済活動の自由の拡大に傾きがちな新自由主義や市場中心主義のようなものは、それによって一時的に日本の経済力が多少回復したとしても、その根本にある歴史軽視、共同体破壊、個人主義、拝金主義などなどが日本人の価値観をさらに劣化させ、日本という国家の長期にわたる存続にとっては決してプラスにはならないものだろうと私には思えるのです。

それから、私が、いくら新自由主義批判のためとは言え、左派と組みたくない理由もここにあります。左派は、国家存続のための価値としての日本の歴史否定、天皇否定、靖国否定などなど、ともかく価値の力においてまったく意見が反対です。

さらに、憲法九条への信仰心とかエセ平和主義など、軍事の力についても意見がまったく反対です。

ネオリベ批判という「経済の力」にかんする表面的な同意があるからと行って、歴史否定で「価値の力」を軽視し、エセ平和主義によって「軍事の力」を無視する人たちと、私はとても一緒に何かしようとは思えません。

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コメント
この記事へのコメント
価値、経済力、軍事力の他に科学力も含まれるのではないでしょうか。経済力、軍事力の向上の為にも科学力は必要であるし、科学が発達すれば国の価値も上昇する面もあるかと思われます。
それと一国だけについていくというのはその国に裏切られたり、その国が経済的、軍事的に衰退した場合どうにもならなくなる為、複数のなるべく違う勢力同士と組めばリスクも分散できて良いと思いますが。
ラピュタ王 | URL | 2008/03/31 (月) 11:32:15 [編集]
手段と目的
国家を存続させる三要素のうち、経済力と軍事力は国家を存続させるための「手段」であり、価値は国家を存続させる「目的」と考えます。

「手段」がなければ「目的」も果たせませんが、「手段」それ自体が「目的」にはならないし、なってはならない。「目的」があってこその「手段」です。

新自由主義や市場原理主義に賛同しかねるのは、「手段」の追求ばかりで、「目的」には何も言及しない空虚さにあります。

一方で左派が新自由主義や市場原理主義の「手段」を批判すると同時に、日本の価値を守るという「目的」も排斥する点において、共感できない。

特に戦後は戦前の反動から、国家の本来の目的であるはずの「日本の価値を守る」ことが過剰に忌避されてきました。まずこれを取り戻すことが必要でしょう。

「手段」がなければ「目的」を果たすことはできませんが、「目的」のない「手段」は空虚でしかありません。
かせっち | URL | 2008/03/31 (月) 16:47:19 [編集]
的外れでしたらすみません
価値は経済、軍事力という手段に対する目的であるという、かせっち様のご意見に同意します。
さらに「価値は経済、軍事などの力を増幅させるものであり、不可視、不定量のもの。経済、軍事力は量的に彼我の優劣を判別できるが、価値は他国との比較ができない、あるいは他と比較する意味のないもの。国家の尊厳であり日本人であることの誇りそのものである」。
前エントリ(善き価値観を~)から拝読していてこのように理解いたしました。
ROM太郎 | URL | 2008/04/01 (火) 04:17:08 [編集]
>ラピュタ王さん、

そうですね、おっしゃる通り科学力もそうだと思います。ただ、科学力が効いてくるのは、あくまで経済や軍事を通してというふうに考えると、まあ敢えて入れなくても(あまり多くなるとややこしいですし、3つという数字が切りが良いかと)と思いました。

そう考えると、国家存続のための力は他にもあると思いますよ。たとえば最近だとソフトパワーみたいなもの、つまり文化力ですよね。アニメとか何とか。ただ、これも実際には経済力を通して(価値の力にも若干かかわってきますが)発揮されるものなので、より下位の階層の力の一種だと思います。


>かせっちさん、ROM太郎さん

まあ、この場合は、国家存続というのが目的という設定ですので、厳密に言えばどれも手段と言えるものだと思いますが、価値に関しては純粋に単なる手段とは言えず、それを守るということも国家存続とほぼ同じく目的と言えるものですね。
管理人 | URL | 2008/04/01 (火) 08:43:58 [編集]
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