右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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代理出産に反対
土曜日だったか、新聞を見ていると、1面に、「代理出産、一部容認へ」という見出しが目に付きました。この記事と同じ内容だったと思います。

代理出産 限定的試行認める 学術会議「原則禁止」

このような流れの背景には、代理出産を認めても良いのではないかという世論があるということでしたが、なんでも世論で決めようとするのは、問題ありです。

産経にもこのようなトンデモ記事があります。

【視点】代理出産 世論との乖離を埋める努力を

そもそも世論調査のやりかたに問題ありです。

日頃、代理出産について何も考えていないような人に「どう思うか?」と聞いて、そこから得られた答えにどれだけの重みがあるというのでしょうか?

子供ができずに悩んでいる人がいて、代理出産しか無い、そんなかわいそうな人がいるんですよ、と言われれば、面と向かって反対などできないのが普通です。

しかし、よく考えてみると、代理出産というのはやはり「おそるべきこと」なのです。

その問題点はいくつもあります。

代理出産ー法、納得!どっとこむ」より代理出産における問題点としてあげられるもの

・ 倫理的理由
1. 反自然的方法であり、性行為とそれに先立つ男女の関係を伴わない「ヒトの製造」である

2. 代理出産が報酬で請け負われることにより、女性の子宮を商品として利用することになる


・ 関係者の福祉と利益に関係する理由

3. 生まれてきた子に障害があったような場合、生まれた子どもに不満であるとして、依頼者が引取りを拒否することが考えられる(特に 2. の方法の場合)

4. 代理母から引き離される子ども、子どもを取り上げられる代理母の精神的ダメージが無視されている

5. 妊娠・出産は出血多量・子宮破裂等の危険を伴うため、他人の生命にかかわるようなリスクを他人に負担させる契約は認めるべきでない

・ その他、社会的・思想的理由

6. 代理母となる女性の属性(白人代理母の方が黒人よりも報酬が高いなど)が問題となり、人種・学歴等による差別につながる

7. 代理母が一般に承認されるようになれば、女性に出産に対する義務感が生まれる。また「他人を利用しても出産すべきである」という出産義務の押しつけとなる


代理出産の主な論点 子に免疫学的リスク 法律上は分娩者が母

 代理出産をめぐり、日本学術会議の検討委員会が7日、「原則禁止」の最終報告書案をまとめた。多様な価値観が存在するなか、生命倫理について一つの見解をまとめるのは大変なことだ。約1年3カ月におよぶ議論で、論点となった「医学的問題」「罰則の問題」「親子関係の規定」の3点のポイントをまとめた。

 ■医学的問題

 委員会が、代理出産を「原則禁止」とした要因の一つが「医学的問題」の存在だ。

 1月末の公開講演会では、医学的見地から代理出産のリスクを指摘する声が相次いだ。お茶の水女子大理学部の室伏きみ子教授は
「代理母と胎児との間では、免疫機構の破綻(はたん)が起こりやすくなる懸念が示されている」
と、生物学の視点から危険性を指摘した。子供が将来、生活習慣病やがんの高いリスクを負う可能性があるというのだ。

 議論の過程ではほかにも、「先天異常の確率」「早産など妊娠中の異常」「胎児の発育障害」などを危惧(きぐ)する声や、代理母に与えるリスク、医療現場の倫理的混乱を懸念する意見が強く、「原則禁止」が掲げられた。

 一方、公的管理下で厳格な条件をつけた限定的代理出産の道を残した。例外を「部分的許容」ではなく、あえて「限定的」としたのには、代理出産がなし崩し的に広がることを防ぐ意図が込められている。

(中略)

 ■2人の母親

 「遺伝子上の母」と「分娩(ぶんべん)した母」という2人の母親が存在する代理出産。法的に誰を母とするかをめぐり、大きな問題が起きることになる。

 「原則禁止」が打ち出されたが、違法を承知の上で代理出産が行われることも十分予想される。そのため、子供の福祉の観点から、親子関係をどう規定するかが議論された。

 米国での代理出産で子供を授かったタレント、向井亜紀さん(43)のケースでは、最高裁が平成19年に「現行民法の解釈では、(向井さんとの)母子関係の成立は認められない」と判断している。

 委員会は、現行法に沿って代理母(分娩者)を母とすることにした。卵子取り違えや、子の誕生時に依頼者が行方不明になるリスクのほか、「誕生と同時に、子の一義的な保護者を確定できる」「生物学的に母性は、懐胎中にはぐくまれる」といった理由からだ。

 その上で、依頼夫婦との親子関係は、「子の福祉の観点から、養子縁組によって法的関係を定めるべきだ」とした。海外で生まれた場合にも、帰化制度の活用なども提言されることになった。


代理出産は、代理母だけでなく、生まれてくる子供にもさまざまなリスクを負わせることになる(医学的なもの以外も含めて)のです。また、委員会が指定しているように、出産したのが第一義的に母親であると判断するのが私も妥当だと思います。

このように、色々な問題点ざっと挙げられるわけですが、世論調査をするときに、こういうものをちゃんと説明してから調査などするわけがありません。

世論をありがたがるのは、マスコミです。報道のしかたによって世論というのは、かなりの程度マスコミの都合良いものにできるからでしょう。

まあ、世論批判はいつもやっていることなので、今日はやめておきます。

他人に子供を産ませるということは、出産のリスク(場合によっては母体の命にかかわる)を金で相手に負わせるということです。

まったくの他人に金でリスクを負わすのはさすがにまずいと考えたのか、母の母、つまり祖母に代理母をさせるというおぞましいことをしたケースもあったようです。そういうことにたいして、「異常である」という感覚がおこらないほどに、日本人は非常識になっているのでしょうか?

また、「産みの母親」と言えばこれまでは「育ての母親」に対する言葉で、「血のつながった本当の母親」という意味でしたが、代理出産を認めると、「産みの母親」の意味が変わってきて、それに対しては「卵子の母親」という概念ができあがるでしょう。

この「卵子の母親」を本当の母親と言えるかどうか・・・。それは、母親には違いないでしょうが、では、命がけで出産という行為を請け負った代理母は母とはいえないのでしょうか?

たとえば、昔ながらの「生みの親」「育ての親」で考えると、これは、やむをえない事情があって子供を捨てざるを得なかった、そこで「生みの母親」と「育ての母親」ができてしまうわけです。

子供はどっちが本当の母親か、物心ついた後に迷うことがあるはずです。血のつながりだけでなく、自分を育ててくれた母親だって母親のはずです。場合によっては血のつながり、遺伝子のつながりよりも、自分を育ててくれたということでもって、育ての母こそ真の母という結論に達する場合も少なくないでしょう。

そうならば、遺伝的にはつながりがなくても、自分を命がけで生んでくれた代理母だって、母親と言えるのではないか?本当の母親はいったいどっちなのか?子供がものごころついたときに、そう悩まない保障は無いのです。

遺伝子みたいなものを信じて、遺伝子が連続しているほうが本当の母親だと合理的に考える人間ばかりではないでしょう。

このように、私が代理出産で大きな問題だと思うのは、社会の常識を混乱させる、という点です。

社会の常識を滅茶苦茶にしてまで子供を持とうとするのは、エゴです。

私の代理出産に関する考え方は、ずいぶん前から変わっていません。

2006年の11月に、少子化対策の話とからめて、この問題について書いたことがありましたので、それを転載しておきます。

旧ブログより「■[社会] 少子化対策への疑問と高齢者の雇用継続

(前略)

子育てに伴う義務(2)

もう一つ付け加えるなら、他人に自分たちの子供を産ませる行為も大いに問題ありです。代理母出産というやつです。ここまで来ると生物としての営みから完全に逸脱しています。社会の秩序、親子の意味などあらゆるものを破壊してしまいます。そうまでして子供を持とうとするのは、完全に個人のエゴでしかありません。

子供が欲しいと思っている人たちにとって子供ができないという事は本当に不幸で辛いことではありますが、しかしだからと言ってそこまでして子供を持つ権利は誰にもないと思います。我が家もなかなか子供ができないのでその辛さはよくわかりますが、社会に迷惑をかけてまで、社会を混乱させてまで子供を持とうとするのはエゴです。

私は仕事柄、生物学とか遺伝子とかについて普通の人よりかなり詳しいほうです。その私からみて、この代理母というのはかなり滅茶苦茶です。自然に考えるならば、産んだのが母親です。

オスとメスが一切交配せず、他人から産まれた子供を「これは純粋に自分たちの子供であり、我々は他の親子と変わらぬ親子関係にある」などと言い張るのは無理があります。

受精卵はたしかに夫婦由来のものですが、受精行為はシャーレの上で行われ、それ以後の発生過程のすべてを別の女性の胎内で行い産まれてきた子供は一体だれの子供か。

自分の卵子由来でなくても、代理母は普通の妊娠とかわりなく胎内では胎児が生育してゆきます。代理母は自分の子供を妊娠した時とまったく同じように体が変化して、さまざまなホルモンが分泌され、胎児が成長してゆきます。

そして胎児も代理母の影響を強く受けます。その時の代理母の精神状態、食べ物、周囲の環境の影響などを大きく受けて胎児が育ってゆくのです。人間の発生過程の基本的部分は設計図であるDNAの遺伝情報によって決められるのはその通りですが、しかし同時に、人間は小さい頃ほど周囲の影響を受けて育ちます。特に胎児の頃の影響は大きいのです。

そして、産まれてきた子供の血や肉や骨や体液のすべては、代理母によって分け与えられたものです。代理母が生みの母であることには違いないのです。

しかし、代理母が男女の交わりによって妊娠したわけでもなく、遺伝情報も自分由来ではない、普通の母親とも当然違うわけです。しかし、上で書いたように、まったく母親と言えないかというとそうでもありません。

ようするに、産まれてきた子供は親子関係が混乱したものになってしまう、このような親子関係を一般に認めてしまっては、他人と身内、血縁関係と親子関係といった区別を混乱させて家族の定義をあいまいにしてしまう、社会の秩序がもう滅茶苦茶になってしまうのです。

誰であれ、社会の秩序を乱してまで何でもできるという事が認められるはずはないのです。


いろんな人に迷惑やリスクをかけまくって、社会まで混乱させるような代理出産を「権利」とみなすのは問題あります。

個人の欲望・エゴを権利と僭称して何でもかんでも認めろと主張する世論がけたたましい叫び声をあげているのが戦後の日本であるわけですから、問題の根元はやはり「戦後民主主義」にありと私は思います。

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