右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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再開から1週間
ずいぶん長いことブランクが空いた後に再開してようやく今日で1週間になりました。

2008年の5月頃にブログの更新がとどこおりはじめ(てっく詐欺の反省から・・・)、その後に再開したりブログ終了宣言したりするも、また再開、その後はまた断続的に更新と停止を繰り返し、それも2009年の夏を最後に更新が完全に停止・・・

それから1年半ほどのブランクがあり、先週からようやく再開して今日で1週間(日と火は更新サボりましたが・・・)。

再開したのは、今回の大震災をきっかけに何か書きたいと思ったからと言うこともありますが(ろくなことは書けませんでしたが)、もう一つ、実はひさびさに政治経済で議論したいネタが出てきたこともありましたもので。

TPPです。

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(2011/03/17)
中野 剛志

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TPPについて、また色々議論したい・・・そう思っていました。TPP参加は郵政民営化以来のでたらめな政策です。私はもちろん現状でのTPP参加には絶対反対です。

しかし、気づいている人は少ないようです。農業の問題だけではなく、医療(こちら参照)などのサービスの分野(金融、人の移動などなど)を含めて、幅広い影響が懸念されます。

そして、TPPについて調べていると、中野剛志と言う論客を知り、そのつながりで、三橋貴明氏にいても知りました。

その流れの中で、新自由主義にもとづいた構造改革と言うは、デフレの時期に絶対にやってはいけない政策であることもわかりました。

ブログを続けていた頃、ずっと批判していた構造改革や公共事業悪玉論について、ようやくちゃんと話が出来るようになった、そういう思いもあり、何とかブログを再開できないかと模索しておりました。

そこで、今回の大震災があり、また自分も自分の信じるもののために何か言論活動めいたものができないかと、震災をきっかけにして、日本のためになる(ならないかも!?)何かをしたいと思い、再開いたしました。

しかし、やはり丸々2年ほどの休止と、その前の1年間も不定期更新と言うことでしたので、なかなかアクセスもも伸びません。

懐かしい方々に来て頂いたりしてうれしく思いますが、まだまだわずかの方々にしか見ていたいただけていません。

しかし、まあ焦らずに、とりあえずはコツコツとなるべく毎日更新して行くことからはじめようと思います。

と言うことで、今後ともよろしくお願い致します。

さらに、厚かましいお願いですが、しばらくは↓のクリックを1日1回お願いします。ホント、厚かましいお願いですみません。

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1つになれない日本
テレビでは、企業のCMの自粛のため、いまだにAC(公共広告機構)のものが大量に放送されている。これはしょうがないと思うので、そのことに文句を言うのはどうかと思うが、しかし、さすがに同じCMばかり見させられるのはたまらない。

まあ、そのことはしょうがないとして、そのうちの1つのCMで「1つになろう、日本」などと言っているものがある。

確かに、今回のような非常事態では当たり前のことだと思う。1つになろうとするだろう。

しかし、基本的に日本人は、平時から空気を読んですぐに同調して多数派を形成し、多数派が支配して少数派を排除することで1つになろうとする悪い癖があるように思う。

多数派を形成する前の公の議論が少なすぎる。そして、仲間内で悪者を作り出して排除しようとする傾向が強いのではないだろうか?

そういうスタンスの政治が、最近のマスコミを利用した直接民主制的な政治手法に典型的にあらわれてきている。

だいたいこういう政治である。
構造改革の失敗(1)
ブログをやめている間に小泉ー竹中の構造改革路線の失敗がはっきりと証明された。・・・少なくとも私はそう思ったのだが、同じように考えている人は少数で、未だに「それなりの意義はあった」とか「改革が足りない」などと言う声が聞こえてくることもある。

しかし、どうだろうか、私はやっぱり構造改革路線そのものが失敗だったと思う。

ちなみに、私も昔に比べると構造改革と言うものを、「局面によっては」肯定的に考えて良いと思うようになった。それでも小泉ー竹中路線は間違いだったと言いたいのである。

以前は、自分でもはっきりと記憶が無いが、もしかしたら「構造改革路線と言うものが普遍的に間違っている」と言う意味にとれるようなことを書いていたかもしれず、もしそうなら、その部分は訂正したいと思っている。場合によっては、やったほうが良いこともある。

だとしても、小泉ー竹中路線、それだけでなく、橋本龍太郎あたりからの流れは明らかに間違っていたと断言して良いだろう。

もちろん、日本の最大の問題点を何と考えるかによっては、評価にズレが出てくるかもしれない。
頑張れ予備自衛官!
今回の地震では自衛隊が活躍しているが、予備自衛官にも招集がかかったとか・・・

実は、数年前に(ここで書いた)私も予備自衛官に応募しようとしたことがあるので、ちょっと目にとまった。

正確に言えば、予備自衛官に応募しようと思った訳だが、これには「一般」と「技能」とがあり、採用の条件は以下の通りになっている。

一般:18歳以上34歳未満

技能:18歳以上で、保有する技能に応じ53~55歳未満(技能については以下に列挙)

医療従事者~医師、歯科医師、薬剤師、理学療法士、作業療法士、診療放射線技師、臨床検査技師、看護師、救急救命士、栄養士、准看護師、歯科技工士 等

語学~英語、ロシア語、朝鮮語、中国語 等

情報処理~第1種情報処理技術者、ITストラテジスト 等

通信~第1級総合無線通信士、第1級陸上無線技術士、アナログ・デジタル総合種工事担当者 等

電気~第1種電気主任技術者 等

土木建築~建築士、測量士、測量士補、1級建築機械施工技士 等

整備~1・2級四輪自動車整備士、1級二輪自動車整備士、2級ガソリン自動車整備士、2級ジーゼル自動車整備士、2級二輪自動車整備士



と言う感じだが、まず「一般」のほうは年齢がアウトである。「技能」のほうも残念ながらさっぱりである。何の技能も無い、ホントにつぶしのきかない職業である。

唯一、なんとか資格を満たしていそうなのは、語学の英語くらいだが、英語ができる者などあまっているだろうし私程度の英語能力ではたぶん邪魔になるだけかもしれない。

お役に立てそうも無いので、あきらめてそれっきりだったが・・・

結局、その後に仕事が忙しくなったりなどして何もできずブログもやめてしまった・・・

なので、そのことを考えると今でも敗北感で一杯になる。

「(自分の)生活が第一」などと言うフレーズを聞くと何ともいえない嫌な気持ちにさせられたが、自分に人様のお役に立てるような能力が無いのだからしょうがない。

と言うか、他の方法で、できる方法で何か役に立てば良いと思うことにした(何もできていないが・・・)。

復興支援では多くのプロたちが頑張っていて頼もしく思うが、今回、日頃は私らと同じように普通に生活している人たちの中から招集された予備自衛官の皆さんにも是非とも頑張って力を発揮していただきたい。

本来の自衛官の皆さんも復興支援に尽力されている訳だが、今回のような大規模災害では、膨大な人数が長期間にわたって必要になる、と言うことは、国防という重大任務もあり、そちらが手薄になるのは、それはそれで困る事態である。

なので、予備自衛官の皆さんの存在感がとても大きくなっているはず。

無力な小市民たる私などは、小銭程度の協力しかできていない今回の大災害だが、自衛官はもちろん、予備自衛官のみなさんがたのパワーもあわせて、是非とも被災地の方々の力になっていただければ、いや、間違いなく大きな力になることと思う。

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仕分け人らの不見識
今回の災害は本当に想像を絶する規模で、こういう非常事態だから、今はみんなで団結して対処すべきだから、政府の足をひっぱるようなことをしてもしょうがないのはわかるのだが・・・

しかし、この非常時に、あきらかに不適切な人事をやっているとしか思えないので。

どさくさに紛れて仙石を復帰させたり・・・

その他、ちょっと前の話になるが、節電担当大臣とか言う役職についたレンホーがどうかと思う。この人は事業仕分けで「災害対策予備費」「学校耐震化予算」「地震再保険特別会計」を4000億円以上も削った張本人である。

『津波なんて実際に来るまでに時間差があるからその時間でできる対応をすれば済むこと』

とか

『明日来るのか100年後に来るのか200年後に来るのか来ないのかわからない対策費を使うのは無駄遣い』

などと言ったそうだが、こんな人を、いったいどういう理由でかわからないが、この非常時に地震対策関係の大臣などにしてしまったが、本当に大丈夫だろうか!?

私は別に、これらの予算を削ったから犠牲者が増えたとかそういうことが言いたい訳ではない。上に書いたように、この人が言っていた「削る理由」があまりにもアホすぎるから批判しているのである。

こんなデタラメ言って、日本がどういう国か(地震や火山が集中している)よくわかっていないのじゃないかと思いたくなる。スパコンの予算を削ったのだって同じである。日本がどういう国で、どうしなければならないのかを、わかっていない。あまり考えたことが無い。ただ削ることしか考えていない。

いずれにせよ、この件1つとってみても、あの事業仕分けがいかにでたらめだったかがよくわかると言うものである。しかし、それを国民が喝采したのだから・・・

一番悪いのは、マスコミが正確に報道しないことだろうとは思うが・・・

はたして、マスコミは自分たちが絶賛した事業仕分けでこんなとんでもない不見識なことが行われていたことをちゃんと報道するでしょうか!?

たぶん、しないだろう。

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大災害をきっかけに・・・
しばらく更新を休んでいたが、このたびの大震災で日本が大変なことになっているのを期に、またブログを再開しようかと思った次第であります。たぶん誰も読んでいないとは思いますが・・・

地震による原発事故がいまだに危機的状況を脱することができていない。この先、一体どうなるのか、不安である。放射線に関しての多少の知識はあるが、福島のあの原発が今後どうなるか何てことについては、正直わからない。

TVで解説者があれこれ言っているが、はっきりしたものの言い方をせず、何を言っているのかわかりにくい。

それに対して、日頃から原発に反対してきた人は、ここぞとばかりに原発の危険性をガンガン断言しまくる。自信満々に。

例えば、ノンフィクション作家の広瀬隆氏などはその代表のようで、CSの報道番組で今回の原発に関する報道の批判をガンガンとやっている。

一般の人はたぶんこう思うのかもしれない。

何を言っているかわかりにくい専門はきっと都合の悪い真実を隠蔽するために曖昧な発言をしているのだ、とか、わかりやすく原発の危険性を断言してくれる人の言っていることこそ真実である・・・などなど。

しかし、学者が正確にものを言おうとすれば、ああいうわかりにくい言い方しかできないものである。断言した瞬間にはウソになってしまうので。

逆に私は仕事柄(なのかひねくれた性格のためか)、ものごとを断言する人間には嘘つきが多いと言う経験則で判断することが多いので、広瀬氏の言うこと、というか、彼のものの言い方は不誠実で独善的でうさんくさいと感じてしまう。

この広瀬と言う人は「地球温暖化の原因はCO2ではなく、原発から出される温排水」と言う説を提唱していて、要するに、この世の中が悪いのはすべて原発のせいだと言う極論を吐いているだけ・・・と言うことも無いのかもしれないが、とにかく原発そのものの存在が許せないと考えている人のようだ。

が、現実問題として原発がどうなのかについては、やっぱり難しいとしか言いようがない。

放射線と言うのは目に見えない。だから恐ろしいのだろう。

放射線に限らず、農薬やダイオキシン・環境ホルモンなどの化学物質も目に見えない。

実際には、人体に影響など出るはずもない量でも、見えないから恐ろしく感じててしまう。

また、その「人体への影響」についても、目に見えてすぐにどうこうなるわけではなく、時間が経ってから発ガン率が上がるなどするわけなので、その有害さも目に見えない。

怖いと思えば想像がふくらんでどこまでも恐ろしくなるのかもしれない。

だから、「安心」と言うことはあり得ない。

よく、「安心・安全」な社会を作れ、などと言われるが、「安心」と「安全」はまるで違う。

「安全」のほうは専門家らがそれなりに考えてその基準を数値として客観的に決めることができるが、「安心」のほうは心理的なものなので、そのレベルを数値で決めるのはたぶん不可能である。

人間と言うのは、想像力があるので、すでにおこったこと(被害が確定したこと)よりも、これから起こると予想されるもののほうを恐れる傾向があるのだろうと思う。

今回の地震の死者は、まだ確定していないが、1万人は超えるとの予想がある。すでに確認されただけでも、数千人が亡くなっている。それにたいして、今回の原発の放射線漏れで死んだ人はいまのところゼロである、

しかし、テレビで毎日放送しているのは、原発関連が圧倒的に多い。

それは、原発の事故によって、これから一体どれだけ被害が出るか計り知れないためだろうとは思う。

確かに原発は危険だし、人間の作るものに完全はあり得ない。チェルノブイリのような人為的な事故が無くても、今回のように日本の場合は自然災害がある。

もしこれまでに、原発を「絶対に安全です」と言って普及させてきたなら、それは明らかにウソだから問題だろう。でも、たぶんそれに近いウソをついて作ったのだろうと思う。

しかし、誰がそのことを批判できるのかと言う話もある。

この現代の日本では、いや、世界中でも同じだろうが、100%安全でなくても、人の命が奪われる可能性があっても、「みんなが便利だから」と言う理由でその存在を認められているものがいくらでもあるのだから。

こういうことを言うと、話を相対化してごまかそうとしていると思われるかもしれないが、私は別に原発推進論者ではない。ただ、自分もその恩恵にさんざんあずかってきて、何か起こった時だけに行政を責めると言うのは、私は正直できないなと思っているだけである。

危ないものとわかっていても、それがあまりにも便利であるために、他人の犠牲を承知で利用しているものというのは、他にいくらでもある。

一番簡単な例は自動車である。

しかし、自動車はどれだけの人の犠牲でなりたっているか、誰も考えないし想像もしない。

最近でこそ交通事故の死亡者数は1年で5千人程度にまで減少しているが、長年にわたって日本では、毎年1万人以上の犠牲者を出し続けてきた。

下の緑色の線が交通事故による死亡者数。

110313koutuu.jpg

戦後の交通事故死者数をすべてを合計すれば、ちゃんと計算していないが、原爆の犠牲者よりも多いのではないだろうか?

今回の地震の犠牲者がどのくらいかまだわからないが、交通事故の死亡者は毎年ずっと阪神大震災の犠牲者より多い人命を確実に奪ってきたと言う現実を直視したことのある人は、一体どれくらいいるだろうか?

もちろん、自動車と原子力発電とでは、それぞれへの生活の依存度、重要度が違うだろう。車が無くなれば国がなりたたないし、物資の輸送が止まれば餓死者が大量にでるかもしれない。

原発がなくてもそこまでひどいことにはならないかもしれないので、まったく同列に比較などするつもりは無いが、しかし、みんなの生活のために誰かを犠牲にしていると言う点では同じである。沖縄等にある米軍基地なども似たようなものだろう。

自分たちの安全や便利な生活と言うのは、他の一部の人々の犠牲や不便やリスクの上に成り立っている、そういう側面があることを忘れてはいけないだろうと思う。


ちなみに原子力発電は、日本の電力供給の3割程度である。これをゼロにするのは不可能ではないかもしれない。

しかし、戦後の日本で、もしまったく原子力発電を使っていなかったらどうなっていたか?

二度のオイルショックを経験して、そのまま何もせずに火力発電に依存し続けるなどできたのか?できたかもしれないが、電力供給が不安定になれば文句を言うのは誰か?不都合をこうむるのは誰か?

このところまた原油価格が高騰しているが、ちょっと前にも世界的な原油の値上がりで大変なことになったのをまだみなさんも覚えているだろう。

比較的安く安定した電力を供給してもらえるというのは実にありがたいことなのだが、みんながその恩恵を受けていることをすっかり忘れている。

電気料金が安いと言うことは、家計にありがたいとか言う話だけでない、日本経済のあらゆるところに影響が出てくる訳である。電気を大量に使っているのは、そもそも家庭よりも産業のほうなのだから。

昔、原発反対の友人とよく議論していたのを思い出す。私は賛成でも反対でも無かったのだが、根がひねくれ者なので、その場にいたのがみんな原発反対だったから、私だけ賛成にまわってみたことがある(笑)。

彼らは、電気を大量に使っているのは家庭ではなく大企業なのだから、原発やめても困るのは企業だけと言っていた。しかし、企業が困ればまわりまわって人々の生活にも影響がでるに決まっていると思うのだが、こういう発想を、難しい大学を出た人でもするわけだから、考え方と言うか、イデオロギーと言うのは恐ろしいものである。

話をもどして、世界情勢の変化などにいちいち影響されないように、とにかく電力を安定供給させなければならないというのも、政府の責任である。

それをやらなかったらやらなかったで、批判されるわけである。私もよく政府批判などするが、彼らは「何をやってもやらなくてもどうせ批判されるのだから、もうやめた」と言わないだけ偉いと思うが、そういう人たちがいるから国がなりたっているのだろう。

いずれにせよ、多くの日本人が原発の恩恵をかなり受けてきたのは間違いない。事故がおこったときに、その責任が電力会社や政府にあると言うのはその通りだし、それなりに保証しなければならないのは当然だが、それを税金でやるのはあたりまえ、なぜなら国民全体は原発によって利益を受けていたのだから。

とは言え、事故が起こってしまった、安全性への信頼がそこなわれたのは確かである。

では、原発は一切作らいほうが良かったのか!?

私はそうは思わないが、少なくとも減らす方向へ向かっていたほうが良かったとは思う。

実は、政府の官僚と言うのは世間で言われているのとは違ってバカではないので、実際には少しずつ原発を減らす方向に向かっていた。2005年あたりには。

2000年には原発依存は34%だったのが2005年には31%、2008年には26%まで減らしてきていた。

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日本のエネルギー政策と言うのは、リスクを分散するために、多様化の方向に向かっていた。

一時はゼロに近かった「石炭」が最近増えていて、そのぶん、原子力が減る傾向にあったのだ。しかも、日本の石炭の火力発電のエネルギー効率は世界一である。

だから、石炭発電などを増やすという方法で、脱原発も可能だったかもしれないが、何が問題だったかと言うと、地球温暖化対策でのCO2削減である。新しいデータが無いので2008年より後がわからないが、たぶん原発による発電量は温暖化対策という理由で増えているだろう。この先は40%以上にまで増やす予定だったはずである。

ルーピーな元首相が大風呂敷をひろげて、日本はCO2を25%削減するとか言ったいたが、その1つの手段が原子力発電への依存度を40%以上に引き上げるという方法だったはず。しかし、たぶんもうそれは無理だろう。一体どうするつもりだろうか・・・つくづく無茶な約束してくれたものだと思う。

原発の安全性だけ見ていれば、それは原発など作らないにこしたことは無いだろうが、政府というのは世の中全体を見なければならない。そこだけ見てやっても絶対に別のところで違う問題が出てくるのである。

あちらを立てればこちらが立たないというのはよくあることで、何をやってもどこかに問題が出てくる。

その問題を批判するのは当然のことだろうとは思うし、責任者は結果に責任を取らなければならないのもその通りだが、正直、そういう事をあれこれ考えると、批判のしかたにもそれなりの節度が必要なのではないかと思ってしまう。

批判が足りないのは、むしろ日頃から他人の批判ばかりしている人たち(マスコミ)への批判のほうなのではないだろうか?

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