右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
人気ブログランキングへ にほんブログ村 政治ブログへ

コメント歓迎ですが「こちら」をお読み下さい。

品格なき人々
一昨年から去年にかけて「国家の品格」という本がベストセラーになった。

国家の品格 (新潮新書) 国家の品格 (新潮新書)
藤原 正彦 (2005/11)
新潮社

この商品の詳細を見る


私はベストセラーになるとまず読まないが、この本はベストセラーとして取り上げられるようになる前に読んでいたので、良い本とわかった。ベストセラーでもたまには良い本もあるということのようだ。

ところで、この本が売れた影響でか、最近では「○○の品格」という本をちょくちょく目にするようになった。

アマゾンで検索してみたら、とりあえずこれだけあった。

女性の品格 (PHP新書) 女性の品格 (PHP新書)
坂東 眞理子 (2006/09/16)
PHP研究所

この商品の詳細を見る
親の品格 (PHP新書 495) 親の品格 (PHP新書 495)
坂東 眞理子 (2007/12/15)
PHP研究所

この商品の詳細を見る
会社の品格 (幻冬舎新書 お 3-1) 会社の品格 (幻冬舎新書 お 3-1)
小笹 芳央 (2007/09)
幻冬舎

この商品の詳細を見る
腐女子の品格 腐女子の品格
(2008/01)
リブレ出版

この商品の詳細を見る
ヤマダ電機の品格―No.1企業の激安哲学 ヤマダ電機の品格―No.1企業の激安哲学
立石 泰則 (2008/01)
講談社

この商品の詳細を見る
男の品格―気高く、そして潔く 男の品格―気高く、そして潔く
川北 義則 (2006/04)
PHP研究所

この商品の詳細を見る


これらの本はすべて「国家の品格」がベストセラーになった後に出されたものである。

そして、これらの本はすべて何かの品格について書かれたものなのだろう。

ところで、一番重要なポイントとして、ベストセラーになった本の後追いで似たようなタイトルの本を売り出す人たちに、果たして品格などあるのだろうか?品格について語りうる能力があるのだろうか?品格を口にする資格があるのだろうか?と、そんなことを問わずにおれない。

はっきり言って、私にはどうもそういう人たちはそもそも品格に欠けるのではないかという気がしてしょうがないので、これらの本を読もうとは到底思えないのである。

ルールに従順な日本人
今、ハンドボールの再試合のことが話題になっています。クエートが反則しまくりだったのに、審判もグルになって勝たせたということのようです。この話は興味深いです。日本と同じくもう一つの被害国が韓国であるというのも皮肉です。

韓国のスタンスはむしろクエートに近いところにあるのではないかと思うからです。それは日韓共催のサッカーワールドカップで韓国がどういうスタンスで、どう国際的に認識されたかを知っている人には私が何を言いたいのか、すぐわかってもらえるでしょう。

しかし、日本のマスコミは不思議と韓国に過剰なほど気を遣いますので、知らない人も多いかもしれません。まあマスコミがいくら隠そうとも、今ではネットで調べればすぐにわかることです。

まあ、韓国の話は今回はどうでも良いです。あまり嫌韓ネタをとりあげると、そういう人ばかり集まってしまうので、書きたくないです。中韓や在日への非難は書くけれども強国には甘い「新風」のブロガーとは私は距離を置きたいと思っています。

最近はやたらと与党系に媚びを売っていますが、何を考えて居るんでしょうか?橋下氏って、そんなに一生懸命応援するほどの候補でしょうか?まあ対立候補もどうかとは思いましたが。

それはそうと、話をもどします。
利口ぶるバカ
常識的な人間関係や家族関係を保ち、普通に仕事したり家庭を守ったりしている常識人に、バカはいないと思っている。日々の堅実な暮らしぶりから常識を身につけ、状況に応じて行動しているかぎり、そういう多数の人たちというのはバカではない、むしろ良識ある人々だと思う。

それよりも、むしろ文化人や知識人、学者やニュースキャスターのようなタイプの人間のほうがバカである。彼らのことを私は「利口ぶるバカ」と呼びたい。
現代人の分裂症
たとえば、「私は一生懸命ダイエットしている」と公言している人が、よく見たら、一見してヘルシーそうなだけの食べ物をバカ食いしていたりということがよくある。

もっとひどいのは、ダイエットしていると言って食事をちゃんと採らずに、お菓子ばかり食っている。こういう分裂が現代人には多いそうだ。

そして、この喩えこそ温暖化対策の矛盾をもっともよくあらわしている比喩だと、誰かが言っていた。
真の競走は「切磋琢磨」
=自然淘汰というイデオロギー=

私も、競走というのはやはり大事だと思うし、平等というのは能力のある者にとっては居心地の悪い状態であるとは思う。しかし、最近の新自由主義者らの言う競走はちょっと違うと思う。彼らが言っているのは、生存競争のことで、これはやりすぎると良いことが何も無い。
文化摩擦としての朝青龍問題
異文化交流が、主にマスコミによく登場する「進歩的文化人」らによって奨励されて久しい。

ところで、マスコミの朝青龍に対する報道ぶりが異常に加熱している。

上に立つ人間を悪者にしてよってたかって批判したがるというマスコミの習性も関係していることと思うが、しかし、朝青龍問題の根本は、モンゴルの文化と日本の文化の摩擦である。

モンゴルでは上に立つと威張り散らして良いと社会的に認められているが、日本では逆に謙虚になり人々の手本となる行動をとらないと醜いとされる。

そういうことを朝青龍にちゃんと教育しなかった親方や相撲協会の責任が第一だが、今後、あらゆる文化交流がすすみ、異なった文化の混在がすすむと、それによって摩擦が増えることが予想される。

グローバリズムがすすむとその反動で民族主義が台頭してテロが増えることと似ている。

進歩的文化人はむやみやたらと異文化交流をあおり、それを単純に素晴らしいこととしか言わない。そしてその結果として、このような摩擦がおこっても、面白おかしく朝青龍を非難してすましている。

異文化交流によって文化摩擦がおこった場合、少数側というか叩かれる側はたいてい「自分たちは差別されている」と主張して弱者の側に立つことで、道徳的な正義をふりかざす。

中身をよく見ずに、安易に「弱者」に見方するふりの自分に酔いしれるタイプの偽善者が日本人には多いので、「被害者」であることを強調するのが一番有効なやりかたである。

ところが、そうした偽善者の典型である進歩的文化人らこそが、無邪気に朝青龍をバッシングして差別している。

朝青龍は自分を差別されているとか被害者だなどとは言っていない。だから気づかないのだろうか。日本ではそう言うのが一番有利なやりかたのはずだが、そんな卑怯な態度を取らないだけ、まだ朝青龍のほうが立派なのかもしれない。

というか、これも日本人の文化を理解していない証拠かもしれないし、また「弱者」の側にたつことが何より不名誉だと考えるモンゴル人の文化ゆえなのだろう。

朝青龍問題が文化摩擦であることに気づけば、朝青龍バッシングこそある種の差別、異文化と深く交流せざるを得ないという相撲界の構造が生んだ不幸な結果であると理解できるはずだ。

私とて、不当な差別に怒りを感じるくらいの人並みの神経は持っている。ただ、偽善者になることが何より嫌いなので、「善意」を示すに際しては人よりも慎重なだけなのである。

ともかく、問題は、この「差別」を生む構造に気づくかどうかである。異文化交流の弊害にも思いを至らせるべきではないか。

進歩的文化人らは、朝青龍問題が文化摩擦であるとまずきっちり認識して、やたらと異文化交流のたぐいを煽らないこと、異文化とは、接近しすぎず、かつ、離反しすぎない、つまり交流においては節度を保つことが重要だと気づくべきだ。

朝青龍問題に関して言えば、相撲界は外国人力士に頼らずに相撲を盛り上げてゆくやり方を見つけだして実行する以外に、このようなトラブルの解決方法および予防方法は無いのではないか。

それが見つからないというのならば、こうしたトラブルによって相撲が徐々に腐り果ててゆくしか無かろう。

いずれにしろ、相撲の未来は暗いものだろうし、神事としての相撲はすでに消滅したと言って良いだろう。

内部告発について(法律と道徳)
去年は食品の内容表示などに関してさまざまな偽装が発覚した年であった。私の知人の中でも、あれもこれも偽装かもしれないと思うと何も食えなくなるねなどと冗談半分に言うような者が後を絶たなかった。

その通り、偽装は問題だろうと思う。しかしこのような偽装は有る程度想像のつくものだったと思う。私が「偽装社会」よりももっとブキミに感じているのは、「密告社会」の到来である。
copyright © 2005 右余極説 all rights reserved.
Powered by FC2ブログ. | Template by Gpapa.