右余極説
右翼ではなく余り極端でもなく説明したい(笑)
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科学信仰と言う病
このところ、ちょくちょくアップしていますが、個人の批判ばかりだったので(これが一番書きやすい)、ちょっとそうでない話を。

タイトルは科学信仰と書きましたが、正確に言えば、私が批判したいのは技術への盲進です。

現代では、科学技術が宗教になっているような側面があります。

ハリウッド映画を見ていてよく思うことですが、まあ彼らはゾンビ映画が好きですね。あきれるほど。

で、昔のゾンビ映画と言うのは、墓場から死体がよみがえって動き回るもので、死体を蘇らせるのは呪術的なものと言うか、昔ながらの宗教的な迷信によって説明がなされるものが中心だったと思います。

たぶん、昔は死体をゾンビにするには、そう説明するのが一番説得力があったからでしょう。

ところが、最近のゾンビはバイオテクノロジーで作られます(笑)。人間が作り出した新種のウイルスとかで。

最近では、一般の人々にはむしろそのほうが説得力を感じさせるのでしょう。

しかし、内容をよく見てみると、生物学的にはあり得ない滅茶苦茶なことです。でも、普通の人は分子生物学やウイルス学の知識などありませんから、あくまで雰囲気だけで十分なわけです。

要するに、科学技術と言うもの(この場合だとバイオテクノロジー)を正確に理解している訳ではなく、iPS細胞とか言われるとなんとなく期待したり、遺伝子組み換えと言われると何となく怖がったりしているだけなのです。

そのもっと典型的な例が放射能です。

福島原発の事故で東北に限らず全国で放射能の怖さが喧伝されていますが、私の見た感じでは、「放射能って怖いんだ、やばいんだ、危険なんだ」と言う情報ほどウケているように見えます。

放射線に関して知識の無い多くの人々は、むしろ「危ない、やばい」と言ってもらうほうを喜んでいる。たぶん、怖がっている自分を正当化してくれるからだと思いますが。

危なくないと言われると、自分がたんなる無知の恐がりと言うことになってしまいます。

昨日のニュースでやっていましたが、マンションの基礎の石に放射性物質がついていたようで、そのマンションの1階で住むと、1年で10mSvの被爆をすると言うことでした。

しかし、ブラジルのカラバリと言う地域に住む人々は、自然放射線だけ毎年それくらいの線量の被爆し続けて生活している訳ですが、癌などが多い訳ではありません。

それはともかく、私の友人でもおもしろい人がいて、彼は、とにかく放射能は怖いと言います。もう、自然に浴びるより少しでも増えるのはいやだと言います。

気持ちはわからないではありませんが、彼はその同じ口で、「生きているうちに宇宙に行ってみたい」とも言います。

はやぶさあたりの話を聞いて熱狂し、日本は宇宙開発にもっと力を入れるべきで、有人飛行もやり、自分も将来は宇宙旅行をしてみたいと言っています。

この発言の矛盾にお気づきでしょうか。

そう、宇宙に行けば被爆しまくりなのです。

飛行機に乗っただけでも被曝量が増えることすら知らない。

ましてや、宇宙に出てしまうと、地表では絶対に浴びることのないような高エネルギーの粒子線までをも浴びるわけです。

そんなことすら知らないと言うことは、要するに、科学を信じていたり怖がったりしていても、科学を理解している訳ではないと言うことです。

なので、やはり科学が宗教のようになってしまっているのでしょう。

彼はその象徴です。

・・・と、結局、人の悪口みたいになって終わってしまいましたが、彼を批判したい訳ではなく、多かれ少なかれそういう面があると指摘したかっただけであります。

でも、科学的な思考法と言うことまで否定するものではありません。

物事の考え方として、なるべく、科学的にと言うか、論理的、客観的な手法をとると言うことは重要です。

たとえば、今の政策決定は民意にゆだねるべきと言う方向ですが、その前提として、ちゃんとデータを出して議論する必要がありますし、データの作成からその判断は科学的、論理的になされることが必要です(もちろん、万能ではありませんが)。

ところが、現状では人々のイメージ、思い込みなどが暴走しています。それだけで判断していると言っても良い。

天下りが一体いくらの税金の無駄遣いになっているのか、いくらの利益になっているのか、差し引きプラスマイナスどうなのか、そんなデータを私は一テレビ新聞で度も見たことがありません。

公務員はけしからん、あいつら仕事していないと言っていますが、一体どれくらいの割合の公務員がどれくらい無駄なのか、そういうデータも知りません。

民主党政権は、無駄を削減すれば子供手当その他の財源はあると言っていましたが、当初から具体的に何が無駄かとのデータは示していませんでした。

それはすべて、思い込みと言うか、イメージばかりがふくらんでいただけだからだと思います。

だから、デフレ下で「既得権」を潰して失業者を増やすだけのような政策にみんなが飛びつくのでしょう。

多くの人々が信じている既得権悪玉論は、なんとなくみんなが信じている迷信に似たところがあるものだと思います。

そのウソっぷりを暴くのは、科学的な検証しかありません。

なので、スローガンには注意しましょう。

そして、橋下氏に言っていることや、小泉氏の言っていたことなどは、マスコミがふりまいたイメージを前提にしていると言うことです。

迷信のもとづいた政治をやる現代日本の民(たみ)は、中世の人々を笑うことはできないのかもしれません。
放射性物質拡散ー国際非難には反論を
福島原発の事故では、放射性物質が環境に拡散してしまいました。福島周辺では汚染が問題になっています。

日本国内でも風評被害はすさまじいものがあり、それと同時に、そこで漏れ出た放射性物質が大気中に拡散して世界中に広がっています。

今後は、そのことを国際社会から非難される可能性があるでしょう。

現在までは震災の被害に同情的で好意的な諸外国も、いざ物事が落ち着いた時点で、漏れだした放射性物質などに関して日本を非難して、自国の国益につなげようとするかもしれません。

しかし、現時点で大気中に拡散している人工放射性物質は、世界的に見ればさほど問題になるレベルのものではありませんので、もしそうした非難が出た時には、データを示して何かしら反論めいた作業をすることにより日本の立場を守る必要があると思いますし、またそれは可能なことです。

もちろん、これは、ひらきなおれと言う意味ではありません。放射性物質をまき散らかすことは決して良いことではありませんので、反省と謝罪も必要ではあります。

しかし、日本人はだいたいにおいて、ひたすら反省したり謝罪したりすることをやりすぎますから、あくまで失敗や迷惑の程度に応じたもので十分だと言っているだけです。そして、過剰な謝罪要求や非難に対しては反論せよと言う話です。

で、今日はそのためのデータを紹介します。
地震予知!?
さて、今日はちょっと政治ネタを離れてちょっと違う話題を・・・

今回のような大地震が発生すると、デマその他が蔓延することがよくあるらしいが、それと関係あるかどうか、地震にまつわるあやしげな言説について書いてみたい。
大災害をきっかけに・・・
しばらく更新を休んでいたが、このたびの大震災で日本が大変なことになっているのを期に、またブログを再開しようかと思った次第であります。たぶん誰も読んでいないとは思いますが・・・

地震による原発事故がいまだに危機的状況を脱することができていない。この先、一体どうなるのか、不安である。放射線に関しての多少の知識はあるが、福島のあの原発が今後どうなるか何てことについては、正直わからない。

TVで解説者があれこれ言っているが、はっきりしたものの言い方をせず、何を言っているのかわかりにくい。

それに対して、日頃から原発に反対してきた人は、ここぞとばかりに原発の危険性をガンガン断言しまくる。自信満々に。

例えば、ノンフィクション作家の広瀬隆氏などはその代表のようで、CSの報道番組で今回の原発に関する報道の批判をガンガンとやっている。

一般の人はたぶんこう思うのかもしれない。

何を言っているかわかりにくい専門はきっと都合の悪い真実を隠蔽するために曖昧な発言をしているのだ、とか、わかりやすく原発の危険性を断言してくれる人の言っていることこそ真実である・・・などなど。

しかし、学者が正確にものを言おうとすれば、ああいうわかりにくい言い方しかできないものである。断言した瞬間にはウソになってしまうので。

逆に私は仕事柄(なのかひねくれた性格のためか)、ものごとを断言する人間には嘘つきが多いと言う経験則で判断することが多いので、広瀬氏の言うこと、というか、彼のものの言い方は不誠実で独善的でうさんくさいと感じてしまう。

この広瀬と言う人は「地球温暖化の原因はCO2ではなく、原発から出される温排水」と言う説を提唱していて、要するに、この世の中が悪いのはすべて原発のせいだと言う極論を吐いているだけ・・・と言うことも無いのかもしれないが、とにかく原発そのものの存在が許せないと考えている人のようだ。

が、現実問題として原発がどうなのかについては、やっぱり難しいとしか言いようがない。

放射線と言うのは目に見えない。だから恐ろしいのだろう。

放射線に限らず、農薬やダイオキシン・環境ホルモンなどの化学物質も目に見えない。

実際には、人体に影響など出るはずもない量でも、見えないから恐ろしく感じててしまう。

また、その「人体への影響」についても、目に見えてすぐにどうこうなるわけではなく、時間が経ってから発ガン率が上がるなどするわけなので、その有害さも目に見えない。

怖いと思えば想像がふくらんでどこまでも恐ろしくなるのかもしれない。

だから、「安心」と言うことはあり得ない。

よく、「安心・安全」な社会を作れ、などと言われるが、「安心」と「安全」はまるで違う。

「安全」のほうは専門家らがそれなりに考えてその基準を数値として客観的に決めることができるが、「安心」のほうは心理的なものなので、そのレベルを数値で決めるのはたぶん不可能である。

人間と言うのは、想像力があるので、すでにおこったこと(被害が確定したこと)よりも、これから起こると予想されるもののほうを恐れる傾向があるのだろうと思う。

今回の地震の死者は、まだ確定していないが、1万人は超えるとの予想がある。すでに確認されただけでも、数千人が亡くなっている。それにたいして、今回の原発の放射線漏れで死んだ人はいまのところゼロである、

しかし、テレビで毎日放送しているのは、原発関連が圧倒的に多い。

それは、原発の事故によって、これから一体どれだけ被害が出るか計り知れないためだろうとは思う。

確かに原発は危険だし、人間の作るものに完全はあり得ない。チェルノブイリのような人為的な事故が無くても、今回のように日本の場合は自然災害がある。

もしこれまでに、原発を「絶対に安全です」と言って普及させてきたなら、それは明らかにウソだから問題だろう。でも、たぶんそれに近いウソをついて作ったのだろうと思う。

しかし、誰がそのことを批判できるのかと言う話もある。

この現代の日本では、いや、世界中でも同じだろうが、100%安全でなくても、人の命が奪われる可能性があっても、「みんなが便利だから」と言う理由でその存在を認められているものがいくらでもあるのだから。

こういうことを言うと、話を相対化してごまかそうとしていると思われるかもしれないが、私は別に原発推進論者ではない。ただ、自分もその恩恵にさんざんあずかってきて、何か起こった時だけに行政を責めると言うのは、私は正直できないなと思っているだけである。

危ないものとわかっていても、それがあまりにも便利であるために、他人の犠牲を承知で利用しているものというのは、他にいくらでもある。

一番簡単な例は自動車である。

しかし、自動車はどれだけの人の犠牲でなりたっているか、誰も考えないし想像もしない。

最近でこそ交通事故の死亡者数は1年で5千人程度にまで減少しているが、長年にわたって日本では、毎年1万人以上の犠牲者を出し続けてきた。

下の緑色の線が交通事故による死亡者数。

110313koutuu.jpg

戦後の交通事故死者数をすべてを合計すれば、ちゃんと計算していないが、原爆の犠牲者よりも多いのではないだろうか?

今回の地震の犠牲者がどのくらいかまだわからないが、交通事故の死亡者は毎年ずっと阪神大震災の犠牲者より多い人命を確実に奪ってきたと言う現実を直視したことのある人は、一体どれくらいいるだろうか?

もちろん、自動車と原子力発電とでは、それぞれへの生活の依存度、重要度が違うだろう。車が無くなれば国がなりたたないし、物資の輸送が止まれば餓死者が大量にでるかもしれない。

原発がなくてもそこまでひどいことにはならないかもしれないので、まったく同列に比較などするつもりは無いが、しかし、みんなの生活のために誰かを犠牲にしていると言う点では同じである。沖縄等にある米軍基地なども似たようなものだろう。

自分たちの安全や便利な生活と言うのは、他の一部の人々の犠牲や不便やリスクの上に成り立っている、そういう側面があることを忘れてはいけないだろうと思う。


ちなみに原子力発電は、日本の電力供給の3割程度である。これをゼロにするのは不可能ではないかもしれない。

しかし、戦後の日本で、もしまったく原子力発電を使っていなかったらどうなっていたか?

二度のオイルショックを経験して、そのまま何もせずに火力発電に依存し続けるなどできたのか?できたかもしれないが、電力供給が不安定になれば文句を言うのは誰か?不都合をこうむるのは誰か?

このところまた原油価格が高騰しているが、ちょっと前にも世界的な原油の値上がりで大変なことになったのをまだみなさんも覚えているだろう。

比較的安く安定した電力を供給してもらえるというのは実にありがたいことなのだが、みんながその恩恵を受けていることをすっかり忘れている。

電気料金が安いと言うことは、家計にありがたいとか言う話だけでない、日本経済のあらゆるところに影響が出てくる訳である。電気を大量に使っているのは、そもそも家庭よりも産業のほうなのだから。

昔、原発反対の友人とよく議論していたのを思い出す。私は賛成でも反対でも無かったのだが、根がひねくれ者なので、その場にいたのがみんな原発反対だったから、私だけ賛成にまわってみたことがある(笑)。

彼らは、電気を大量に使っているのは家庭ではなく大企業なのだから、原発やめても困るのは企業だけと言っていた。しかし、企業が困ればまわりまわって人々の生活にも影響がでるに決まっていると思うのだが、こういう発想を、難しい大学を出た人でもするわけだから、考え方と言うか、イデオロギーと言うのは恐ろしいものである。

話をもどして、世界情勢の変化などにいちいち影響されないように、とにかく電力を安定供給させなければならないというのも、政府の責任である。

それをやらなかったらやらなかったで、批判されるわけである。私もよく政府批判などするが、彼らは「何をやってもやらなくてもどうせ批判されるのだから、もうやめた」と言わないだけ偉いと思うが、そういう人たちがいるから国がなりたっているのだろう。

いずれにせよ、多くの日本人が原発の恩恵をかなり受けてきたのは間違いない。事故がおこったときに、その責任が電力会社や政府にあると言うのはその通りだし、それなりに保証しなければならないのは当然だが、それを税金でやるのはあたりまえ、なぜなら国民全体は原発によって利益を受けていたのだから。

とは言え、事故が起こってしまった、安全性への信頼がそこなわれたのは確かである。

では、原発は一切作らいほうが良かったのか!?

私はそうは思わないが、少なくとも減らす方向へ向かっていたほうが良かったとは思う。

実は、政府の官僚と言うのは世間で言われているのとは違ってバカではないので、実際には少しずつ原発を減らす方向に向かっていた。2005年あたりには。

2000年には原発依存は34%だったのが2005年には31%、2008年には26%まで減らしてきていた。

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日本のエネルギー政策と言うのは、リスクを分散するために、多様化の方向に向かっていた。

一時はゼロに近かった「石炭」が最近増えていて、そのぶん、原子力が減る傾向にあったのだ。しかも、日本の石炭の火力発電のエネルギー効率は世界一である。

だから、石炭発電などを増やすという方法で、脱原発も可能だったかもしれないが、何が問題だったかと言うと、地球温暖化対策でのCO2削減である。新しいデータが無いので2008年より後がわからないが、たぶん原発による発電量は温暖化対策という理由で増えているだろう。この先は40%以上にまで増やす予定だったはずである。

ルーピーな元首相が大風呂敷をひろげて、日本はCO2を25%削減するとか言ったいたが、その1つの手段が原子力発電への依存度を40%以上に引き上げるという方法だったはず。しかし、たぶんもうそれは無理だろう。一体どうするつもりだろうか・・・つくづく無茶な約束してくれたものだと思う。

原発の安全性だけ見ていれば、それは原発など作らないにこしたことは無いだろうが、政府というのは世の中全体を見なければならない。そこだけ見てやっても絶対に別のところで違う問題が出てくるのである。

あちらを立てればこちらが立たないというのはよくあることで、何をやってもどこかに問題が出てくる。

その問題を批判するのは当然のことだろうとは思うし、責任者は結果に責任を取らなければならないのもその通りだが、正直、そういう事をあれこれ考えると、批判のしかたにもそれなりの節度が必要なのではないかと思ってしまう。

批判が足りないのは、むしろ日頃から他人の批判ばかりしている人たち(マスコミ)への批判のほうなのではないだろうか?

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脳科学って大丈夫?
たしか3月31日の晩だったと思うが、NHKで脳科学にもとづいた人の育て方というような内容の番組をやっていたが・・・

調べてみたら、仕事の流儀という番組であった。

内容は「プロに学べ・これが「育て」の極意だ」というもの。
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